こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は長野県小県郡青木村、東筑摩郡筑北村、松本市にある峠
を掲載してみたいと思います
青木峠にある明通トンネルは日本最古の現役トンネルです
1993年(平成5年)以前、更埴JCT間及び上信越道 更埴JCT - 須坂長野東IC間開通
前は信濃大町方面北アルプス登山の際、越えた峠道です
懐かしみもあり、鹿島槍ヶ岳登山の帰り道立ち寄ってみました
青木峠明通トンネル上田市方面出口付近の景観
ここは過去をさかのぼると人身事故等事件が多発した区域でした
青木峠明通トンネル現・筑北村側景観
明通トンネル内部より見た上田市方面出口
上田市方面出口付近は急カーブ トンネルの先は崖!
青木峠明通トンネル上田市方面出口
青木峠(あおきとうげ)は、長野県小県郡青木村、東筑摩郡筑北村、
松本市にある峠である 標高1,040m
明治時代の道路開通時に建設されたトンネルが今も残存している 1890年開通
国道143号線は、松本市と上田市を結ぶ路線で、
松本市を起点とし四賀村(現・松本市)会吉(あいよし)をとおり、
会吉トンネルで本城村(現・筑北村)を経由し、
青木峠を明通(あけどおし)トンネルで抜け青木村に入り、
上田市が終点となっている>明治期の長野県の施策である
「七道開削事業」の一つで、2番目に着工されたので、
第二路線と呼ばれていたようだ
明治後半の交通の様子として、当該道路を利用した乗合馬車について、
中にはかなりの長距離路線もあり、
その一例が上田-松本間を結んだ乗合馬車である
篠ノ井線が開通するまでは多くの利用者があった
『長野県史 通史編 第7巻』による
過去に人身事故等事件が多発した区域とは思えない景観
明通(あけどおし)トンネル上田市方面に青空が広がっていました
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は長野県小県郡青木村、東筑摩郡筑北村、松本市にある峠
を掲載してみたいと思います
青木峠にある明通トンネルは日本最古の現役トンネルです
1993年(平成5年)以前、更埴JCT間及び上信越道 更埴JCT - 須坂長野東IC間開通
前は信濃大町方面北アルプス登山の際、越えた峠道です
懐かしみもあり、鹿島槍ヶ岳登山の帰り道立ち寄ってみました
青木峠明通トンネル上田市方面出口付近の景観
ここは過去をさかのぼると人身事故等事件が多発した区域でした
青木峠明通トンネル現・筑北村側景観
明通トンネル内部より見た上田市方面出口
上田市方面出口付近は急カーブ トンネルの先は崖!
青木峠明通トンネル上田市方面出口
青木峠(あおきとうげ)は、長野県小県郡青木村、東筑摩郡筑北村、
松本市にある峠である 標高1,040m
明治時代の道路開通時に建設されたトンネルが今も残存している 1890年開通
国道143号線は、松本市と上田市を結ぶ路線で、
松本市を起点とし四賀村(現・松本市)会吉(あいよし)をとおり、
会吉トンネルで本城村(現・筑北村)を経由し、
青木峠を明通(あけどおし)トンネルで抜け青木村に入り、
上田市が終点となっている>明治期の長野県の施策である
「七道開削事業」の一つで、2番目に着工されたので、
第二路線と呼ばれていたようだ
明治後半の交通の様子として、当該道路を利用した乗合馬車について、
中にはかなりの長距離路線もあり、
その一例が上田-松本間を結んだ乗合馬車である
篠ノ井線が開通するまでは多くの利用者があった
『長野県史 通史編 第7巻』による
過去に人身事故等事件が多発した区域とは思えない景観
明通(あけどおし)トンネル上田市方面に青空が広がっていました
最後まで御覧頂きありがとうございます
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