こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は東京都八王子市裏高尾町と神奈川県相模原市緑区の間にある
甲州古道小仏峠(こぼとけとうげ)を取り上げてみたいと思います
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高尾山登山口から小仏峠(こぼとけとうげ)へ
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甲州古道小仏峠(こぼとけとうげ)
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小仏峠(こぼとけとうげ)は、
東京都八王子市裏高尾町と神奈川県相模原市緑区の間にある峠
多摩川水系と相模川水系とを隔てる分水界
標高は548m 八王子側の車道終点付近に113号水準点標石(369.51m)がある
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小仏峠に設置されている狸の置物3体 何時の頃からあるのでしょうか?
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小仏峠にある石仏
甲州古道小仏峠(こぼとけとうげ)は
1569年(永禄12年)に武田信玄が関東地方へ遠征した際、
別動隊の小山田信茂は甲斐国大月から八王子に向かった
これを迎え撃つ滝山城の北条氏照は、
当時一般的な経路だった奥多摩方面からの侵入を予想して
戸倉城などに兵を派遣した
しかし小山田隊は小仏峠を越えてきたため、
不意をつかれた北条軍は滝山城に籠城することになった(廿里の戦い)
その後、小仏峠は甲斐国と武蔵国・相模国を結ぶ要路となり、
滝山城の機能は新設の八王子城に転換し「八王子」の地名の由来となった
廃城の後は小仏関所が置かれた
特に富士参詣の行者がここを越えることから、富士関とも呼ばれていた
江戸時代には甲州街道のルートに指定されて交通の要所となり、
小仏関所が置かれた しかし勾配が急で車道化が困難であったため、
1888年(明治21年)に当時の国道16号(現在の国道20号)は
大垂水峠を経由するルートへ変更された
これによって小仏峠を通る通行者は激減した
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小仏峠(こぼとけとうげ)から東京方面を眺める
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小仏峠(こぼとけとうげ)
地形的にほぼ東西に直線的に貫いていることから、
直線的なルートが望まれる中央自動車道とJR中央本線は、
小仏峠の北側の山を小仏トンネルによって貫いて造られた
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は東京都八王子市裏高尾町と神奈川県相模原市緑区の間にある
甲州古道小仏峠(こぼとけとうげ)を取り上げてみたいと思います
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高尾山登山口から小仏峠(こぼとけとうげ)へ
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甲州古道小仏峠(こぼとけとうげ)
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小仏峠(こぼとけとうげ)は、
東京都八王子市裏高尾町と神奈川県相模原市緑区の間にある峠
多摩川水系と相模川水系とを隔てる分水界
標高は548m 八王子側の車道終点付近に113号水準点標石(369.51m)がある
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小仏峠に設置されている狸の置物3体 何時の頃からあるのでしょうか?
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小仏峠にある石仏
甲州古道小仏峠(こぼとけとうげ)は
1569年(永禄12年)に武田信玄が関東地方へ遠征した際、
別動隊の小山田信茂は甲斐国大月から八王子に向かった
これを迎え撃つ滝山城の北条氏照は、
当時一般的な経路だった奥多摩方面からの侵入を予想して
戸倉城などに兵を派遣した
しかし小山田隊は小仏峠を越えてきたため、
不意をつかれた北条軍は滝山城に籠城することになった(廿里の戦い)
その後、小仏峠は甲斐国と武蔵国・相模国を結ぶ要路となり、
滝山城の機能は新設の八王子城に転換し「八王子」の地名の由来となった
廃城の後は小仏関所が置かれた
特に富士参詣の行者がここを越えることから、富士関とも呼ばれていた
江戸時代には甲州街道のルートに指定されて交通の要所となり、
小仏関所が置かれた しかし勾配が急で車道化が困難であったため、
1888年(明治21年)に当時の国道16号(現在の国道20号)は
大垂水峠を経由するルートへ変更された
これによって小仏峠を通る通行者は激減した
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小仏峠(こぼとけとうげ)から東京方面を眺める
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小仏峠(こぼとけとうげ)
地形的にほぼ東西に直線的に貫いていることから、
直線的なルートが望まれる中央自動車道とJR中央本線は、
小仏峠の北側の山を小仏トンネルによって貫いて造られた
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう