盗人宿

いまは、わかる方だけ、おいでいただければ。

口ほどに

2012-12-15 16:22:58 | にゃんころ

目って、何なんでしょうかねえ。
単なる玉っころにレンズがついてて真ん中に穴ぁ開いてるだけなのに。

たとえば同じ元ボクシング世界チャンピオンでも、渡辺二郎の目はどう見てもチンピラ筆頭なのです。
隙あらば小銭を掠め取ってやろうという目。
ところが具志堅用高は、バラエティでとんちんかんな回答をして笑っていても、時折見せる背筋が凍り付くほどの恐ろしい目。

中国で最近、こんなことがあったそうです。
どこかの村のじじばば、森に行ったら、巣から落ちた鷹の雛を発見。
じじばば、後で「保護するため」といっていたらしいが、家に持ち帰る(←この時点で食う気満々)。
その直後から、他の村人は何もされないのに、そのじじばばだけが鷹に襲撃され始める。
ばばあなんぞ数十針を縫う重傷。
じじばば、たまらず村から逃げ出す。

猛禽類なめちゃいけませんぜ。
あいつら自分より大きい鮭だの猿だの羊だの、平気で掴んで巣まで飛びますからね。
爪と嘴は、まるで出刃包丁が並んでいるようなものです。
そしてイージス艦のような、あの、目。

さすが具志堅、八重山の猛禽類の通り名は伊達じゃない。あの笑顔に騙されちゃいけない。

コミックで「手塚以前・手塚以降」と語られるように、人間を絵で描く場合に独特の表現方法があるのですよ。
「手塚」を「ディズニー」と置き換えてもいいかもしれませんが、まあディズニーの主戦場はアニメだったんでね。
たとえば「鉄腕アトム」のように、幼い or 若いキャラは目が大きくて額が広く細面、生物学的な子供の特徴を強調する。
これがパターン認識として浸透すると、少女マンガのように瞳に星が輝いたりした。

そして日本のみならず世界に、手塚革命に匹敵する影響を与えた人がもうひとりいます。
「大友以前・大友以降」。そう、大友克洋です。

彼は徹底的に特徴を捉え、しかも徹底的にデフォルメを排した。
日本人に代表される東洋人は、ぱっちりしていない吊り目。胴長短足。黒髪。
では写実主義かというと、そうではない。完全にコミックのキャラの顔なのに、いかにもコミックらしい顔ではない。

現在の世界のコミック、アニメ、ゲームなどのキャラは、3つの流れに分類されます。
ひとつは手塚治虫の流れを汲む。ひとつは大友克洋の流れを汲む。そしてもうひとつはそれ以外の独自路線。
どれがいい悪いではなく、世界中のコミックはこの3つの流れのどこかに位置している。
漫画を劇画にしたといわれる白土三平「サスケ」「ワタリ」もキャラの顔立ちは手塚系列だし、逆にいま劇画の金字塔と呼ばれるさいとうたかを「ゴルゴ13」も、大友系列に似てはいるけれど実は手塚系列の特徴で描かれています。
すべてを3つに分類はできないけれど、ほとんどは手塚か大友の影響を大きく受けている。

いずれにしても「目」の描写は、とても重要なのですね。
昨今のおめめぱっちりキャラを並べときゃ馬鹿が喜ぶというアニメも、おめめぱっちりメイクの若い子を並べておけばいいという AKB も、単なるパターン認識で商売をしているわけです。
「布が赤けりゃ牛は突進してくる」「ポロリを見せれば男は食いつく」「ジャニーズの稚児を出しときゃ女は食いつく」と同じ。
目が語るものの重さを、まったく認識していない。目はあくまで記号で存在しているだけ。
だから、死んだ魚の目のような中居が、人気を得たりしている。

もっとも、「具志堅はクイズで間違えてばかりいるおもしろいおじさん」としか認識できない人に、おそらくこの話は未来永劫通じないでしょう。


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