実は、うちの PS2 の BB ユニットが、壊れましてね。
自宅で検証した結果、裏側のネットアダプタは問題なし、完全に HDD がおかしいと切り分けができたので、修理に出しました。
ところが「HDD 交換だけなら見積もりせず修理を行う」はずだったソニーから電話。
「DVD ドライブにも不具合が見つかりましたので、そちらも合わせて修理いたします」
まてまてまてーい。人の財布を何だと思ってやがる。
DVD はたまに読み込みに時間はかかるが、特に不便に思ったことはない。こちとらスモーカー、レンズが汚れたら自分でシール切って掃除するくらいのこたぁするわい。余計なところまでいじるんじゃない。
「修理を承ったものは、完全な状態でお返しするのが原則なので、一部分だけの修理はできません」
あ、そ。確かに理屈は通っている。そういわれちゃしかたがない。
手つかずのまま返送させることになりました。
となると、さてさて、PS2 が直ってくる前提で考えていた FFXI、できませんねえ。ちょいと困った。
いよいようちの MacMini に Windows を載せて PC 版を考えなきゃいけないのだろうか。
あ。
私が荷物を詰め込んでいる、いわば土蔵のような(といっても四畳半相当の)部屋に、ひょんなことで入手した XP マシンがあります。
すごいよ。10 年もの。図体は巨大ですが、性能はいまの中堅レベル以下。ただし GPU だけは NVIDIA QUADRO。
他人が使っていたもので、自分では触りたくもありませんでしたが作業場所に引きずってきて、手持ちのモニタやキーボードをつなげてみました。
動かねえ。ブルー画面の大安売り。セーフモードにしても埒があかない。
自作派でない限り、たいていここで挫折するものですが、こちとら技術屋です。Windows には疎くても、コンピュータの中味は理解してます。
静電気対策をして、筐体を開く。ずっと使っていなかったから、内部のほこりは些細なもの。
これに掃除機をかけてまた閉じてしまうのは、素人。コンピュータが「何々が壊れている」と騒ぐとき、実際にその何々が物理的に壊れていることはめったにありません。
手の届く限り、メモリ、ビデオボード、HDD などのコネクタ部分をすべて抜いて掃除してまた差す。
このあたりの接触不良、特に古いマシンのコネクタは金属の接触がおかしくなっていることが多いので、ていねいに差し直してやります。
世の中こんなもんでして、たったこれだけで無事にデスクトップ画面まで到達しました。
とてもまともな日本語のわかる奴が書いたとは思えぬメッセージと格闘しながら、ネットワークの IP や DNS を自動取得するよう変更し、ようやくスクエニのダウンロードページに到達したと思えば「Internet Explorer 以外は対応していません」(これはマイクロソフトではなくスクエニが悪い)、それを起動してみれば「このバージョンには対応していません」、バージョンアップしようとしたら「バージョンアップに失敗しました」(これはマイクロソフト)、いやはやなんともはや。
そりゃ当時はモンスターマシンだったとはいえ、何年も眠っていたものです。いろいろ更新しなきゃいけないのは当然の話。
問題はそこじゃない。
ひとつひとつのステップで「うまくいかなかった、それは何のどこにどんな原因があったか」の案内が、ことごとく不親切なのです。
いっときますが、私は Apple II からのアップルユーザです。
ただしこれは、アップル社や製品に対して異様なまでの信奉を抱いているから、ではありません。
私は(簡単なものですが)FORTRAN でコンパイラを設計したこともあるし、UNIX は BSD も SYS V も、あるいは秋葉原でパーツを集めてボードコンピュータを自作しアセンブラで操作したり、とにかく数多くの言語や OS を扱ってきました。
その中で日常の道具としてはいちばん使いやすいのが Mac だから使い続けているだけで、逆にいちばん不親切で出来が悪いから Windows を使わないだけです。
たとえばあなたが ATM から金を引き出そうとして、うまくいかなかったとしましょう。
残高が不足した、暗証番号が違った、別の銀行のカードを入れた、正しいカードだが情報が壊れていた、ATM に異常があった、などなど理由はいくつも考えられます。
その場合「正しい暗証番号を入力してください」「このカードはお取り扱いできません」「係員にお知らせください」など、どうすれば解決できるかをアナウンスするのが当然です。
「予期しないページ宣言です」とかいわれて、誰か理解できますか?
これなんですよ。「使いたいなら理解してるのが当然だろ」という思い上がり。
MacOS のぱちもんなのは、しかたがないでしょう。あれを上回るものを独自に作れといわれても難しい。誰がやっても類似品になる。
それはそれでいい。真似るなら、なぜ「人に優しい部分」も真似ないんだ。なぜ好きこのんで使いづらくするんだ。
と、まあここまでは「マック教」と呼ばれた現象に言及する、どこにでもあるお話です。
実は私のいいたいことは、これよりももっと先にあるのです。
ずいぶん長くなったので、「続報を刮目されたし!」といって区切ることにいたしましょう。
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