06/13
今朝 5:45 集合で道路の脇に花を植えて通りを綺麗にしましょう運動が実施され、私には早すぎる朝なので昨晩から調整
して、やっと早めに集合場所に行った、
今じゃ、それぞれのお宅で花いっぱいなので、取り立てて目立たぬ花を、車道にshadow ~~~♪のように、農村ぐるみの
共同作業ということで、そつなく役目を果たしてきました、
「この家どうするの~?」「あっちで暮らすの~?」「こっちで暮らすの~」「家族は~?」「とうちゃん元気か?」
「ハイハイ、今はコロナ禍で何も決められませんよ」とさらりと流しておいた、
まあね、皆さんの気持ちも分からなくはないのよ、親を亡くして打ちひしがれて食欲もなく、家にとじこもって買い物も
できないような、よくある状態なら同情もしましょう、優しく声をかけましょう、労わりましょうと思うかも、
でも当の本人はケロッとして、やせるじゃなし、デ◎状態をキープしてるし、コンビニでbeer買ってるようだしとなりゃ
嫌味の一つも言ってやろうかと思っても仕方がないかも(笑)しかも後期にしては若作りです、
天敵・本家長男は言った「高齢者の免許の時、ボ◎てるから病院に行ってこいと言われなかったかぁ?」だって、私も
考えたね~今までなら「そういうのを失礼というんじゃないの?」と真向かうところだけど、こっちは余裕ですから、
「テストの点数もよくて何よりだと言われて合格よ~」と言ったら(これも相当嫌味だけど)「それならいいけど」って
また美田の話になりそうだったけど、美田を得て満足してるはずの本家は寄る年波には勝てず、あるいは農作業を卒業
したくなったのか、他力の予定をたててるようだと、余計な話を私に聞かせる御仁(依頼された人)もいて面白い、
今日は花植えだから空気を乱してはいけないから聞き流しておいた、だから言ったでしょ?うちを農家から外すなんて、
先が読めてないってさ(笑)外したはいいけど苦汁の日々かぁ?
疲れて眠れるのかと思ったのに、いつも会えない人々に遭遇して、極めて控えめに行動してきたのに冴えて(笑)
二度寝はさすがに無理だったから押し入れの片づけをして(古和ダンスに並べるのも味があって、この黒さがいいわ)と
CDを思い切り捨てて(燃える物を選別、聴かない曲は潔くバイバイ~)
まだまだ老後の見通しがつかないので、なにせこのご時世の読み切れない流れは、どう考えても「確かに!」とは思え
ないのでね、
なら自分で計画的に動かなきゃ、どこでどうされるかなんて分かったもんじゃないもん、徐々にかたづいてゆくと、いざ
という時によろしゅうございましょ?
冬に無理強いして家の中で咲かせたのに👆ブラックバッカラ、健気にも時がきたら咲きましたよ、
そして聴きたいと思うであろう曲は、今まで聴いてきた曲だと選んで、並べられる程度にしてみたのよ、そして味気ない
ので、咲いてる具合のいいバラを切ってきて飾ってみた、これも趣味の域になってるだろうしね、
今できることと言ったら、この程度のことで、何をしたって満足感は得られず通過点のような、まさかバラを供花にはと
思ったけど、仏壇に上げちょっとパパ&ママに見せた、
06/13
小さな行李二つだけ残っていて、その中には針と糸とボタンが入ってて、ミシンの本体は処分したので、小道具とボビン
その中で懐かしいボタンが!
06/13
娘が高校生になって学校が遠くなったから自転車通学となり、ダッフルコートを買った、それは私が気に入ってたコート
濃紺の肌触りのいいものだったけど、いかんせん重くてだんだん着なくなって、今風の軽いコートに変わっていった、
そのコートは孫も着ないし、私には重すぎるし若すぎるし処分!となったけど、未練が残って、せめてボタンだけ私が
取り置いた、それがこの行李に入ってた、眺めてるだけで楽しい~
06/09
たった一本しか残ってなかった 👆 オダマキが咲き始めた、イトススキに守られたか互いに生き生きとしてた、やはり
共存の姿はいい、遅れてきたオダマキの控えめな色合いの姿は嫋やかだわ、
06/09
06/07
晩生だったはずが鉢から解放されて一番咲きだった 👆 バラが、朝の空気は爽やかだった!
今回のコロナ騒動で、よもや子らが親の家に帰る事もできなくなるとか、親が子の家に孫に会いに、子の様子を心配
出来ない事態になろうとは思ってもみなかった、
今までは何だかんだとはいえ、実家の親が老いたらひとまず両親で暮らして、どちらかがあの世とやらに行ったら、
その時は無い知恵絞って、親の意向を酌みながら暮らし方を決めればいいと思って、
誰もがそうそう深刻にならずとも時が解決ということが多かったし、子の中には親の処に一緒にいて看取るという術も、
都会の子の家に行って、色々な諍いがあっても、そこが終の棲家と思い諦めて暮らすという現実も、
それでも親と子の家の行き来は可能だったのだから、今のような閉塞感は抱かなかったと思う、
ところが今回のように、親と子が分断されようとは誰が想像しただろうか、
何かの事情でたまたま親の家にいた子が、連れのいる家にさえ迎えない状況になるだなんて思いもよらなかっただろう
現に私は一年半以上もこっちに居たままで過ごしてる、それがそれほど苦痛でもないから続いてるのだけど、いささか
ここまで長引くと様々なことを思うよ~
今の処、私もここで独居を続けてても元気だし、雪を除いてはそうそう大事でもないけど、歳も確実に重ねてゆく分だし
ということが話題になったディスタンス集いがあった、
皆、子らは都会で親はこっちで、そのうえ、同級生が3年前に亡くなって商売屋だったので閉めてた、子らは都会で仕事
その妻が残ったけど、独りで商売は無理だったので閉店・独居だった、
他市町村との行き来も控えてるような昨今だから、ひとりゐの孤独感はひとそれぞれだろうから一概には言えないけど、
誰もがそれなりに感じやすい日々をおくってることは確かなんだわね~
そうしてるうちに、その妻はだんだん元気がなくなってしまって、終に入院し亡くなった、私は同級生の時もショックで
そのうえ今回のことでも何だかぼーーーっとしてる、片づけなきゃ、
06/05
ナツハゼの花が 👆 可愛く開いてきました、実は漆黒で差ほどどうとも言えないけどジャムでいい色を、味を発揮する
「どの木にも花にも、そしてひとにも盛りという時があるんだぞ」とパパは私に教えてさっさとあの世にいっちゃった!
オトコとして家庭的ではなかったし、ママにしたらいい夫ではなかったかもしれない、一部はね~今となっちゃあちらで
どんな会話してるんだか(笑)
06/05
このシーンを撮るのが夢だったのよ 👆 フランス菊の群生、雨風にも倒れないで立咲き揃いはこれが一番かなあ、
CS 2 227 最高の人生のつくり方 『And So It Goes』
息子の出所を出迎えに行った親の言葉がいいね~「息子だから」出所の手立ても陰でして孫の処へパパを取り戻してくれ
パパを迎えた孫娘は喜び勇んで駆け寄った!
この歌を聴くのは初めてじゃなくて、あの御本家の映画の海辺のシーンも捨てがたいけど、今回はこっち!
頑固者で変わり者の不動産屋(マイケル・ダグラス)が独り身になり家を売りに出したけど売れずに、洒落たコテージ風な
アパートに住んでる、隣にはクラブ歌手(ダイアン・キートン)が住んでる、
これで若い二人なら興味もわかなかったかもしれないけど、ちょっといい年頃の爺婆(失敬~!!!)だったので、何か?
そのマイケル・役の息子がならず者らしくこれから刑務所の入らなきゃならないから孫を預かってくれと忘れた頃に来る
家族ってそこが血縁なんでしょうね?戸惑いながらも息子の頼みを聞き入れて、その母親探しをする、
爺婆役を喜んで楽しんでる二人は、その孫娘を実母の処へ連れてゆくけど、その母親はものにならないようで、家に戻る
方を選び「また私のママと会わなきゃイケないの?」と爺に訊ねると上のセリフ、
遊園地で遊んで行こうと3人で乗り物に挑戦する処が冒険で、孫娘は爺婆を誘うけれども、そこはほらぉ年頃だから、
転ばぬ先の杖のような返事になっちゃうのが👆のシーン、
そこには血脈の拘りも何もなく、役割りをきちんと愛をこめて熟せば家族ということよ、
日本未公開とのことだけど、このようにほんわかムードの映画をこそ、荒んでるご時世だからこそのひと時としては goo!
どうせ老いるなら淡々とそして四季を眺めながらゆったり過ごしたいもんだわ、
今、とりたてて「片づけ」以外は誰も何も望んでるわけじゃなさそうだから、あ!そうそう、👆の二人はお互いに独り者
同士だしオトコとオナゴだから、それなりの成り行きもありましたけど、そりゃまあ茶の時の添え菓子のようなかんじで
ライトに取り扱ってるところは洒落てたね、枯れ木じゃないんだし(*´▽`*)
最高の…という邦題が多くあるけど、原題の方が醸し出すムードが勝利だわね~ それにしても素敵にお歳を重ねておられ
私は反省したね~若作りを、まあ、このようにビューティ―ならそれも宜しいとは思うけど、
06/05
やはり若い株は花も小ぶりで、でも色っぽいわね~これが 👆 ニッコウキスゲの小群生~
06/05
この花々を見て美しい、瑞々しい、逞しい、可愛らしい、集い咲くを見る楽しさ、来季への構想など、人の心に溢れる
であろう感情が、すべて当然のことなのに、今は当然のことが「当然」という二文字で記せないし語れない、
ことさら都会では自粛を強いられてしまってる昨今、直に当たり前の感情を共有できない異空間に生かされてるような
奇妙な感じの中で藻掻くしかできないようなことになってる、思い通りにならないことなんて世の中には多くあることを
知らないはずはないのだというに、個人の努力や精進ではどうにもならない、したい事が出来なかったとしたら、
創作はここで仕舞いとなっても致し方ない現状よね、
今朝の『ボクらの時代』で、歌舞伎の獅童さんが仰られてた「江戸の昔から歌舞くということは現実の出来事を即座に、
具現化して民衆の心を揺さぶり感動として得て貰い、
演じる僕らは決して上出来だったと満足するのではなく、自問自答して、次世代へつなげるから継続出来るものであり、
伝統文化と言ってもらえるようになった、観客の反応なくしては時代とともに変化し得ないエンターテイメントだ」
というようなことを力説してたけど、非常に正論だと思う、
ここからが腹立ち日記になるけれど、文◎庁などという大看板を背負い、またそのトップが頭を集めても、いささかの
高論も賢論も出ず、ましてや現場の人たちと討論もしないで手を拱いて、数字がこうだからシャット!数字がこうだから
オープン、数字がこうなったから一部緩和だなんて、児童会の会長でさえ思いつくような、
しかも語彙でも優れてるならまだしも、拙い言葉で利いた風なことを言ってチャラにしちゃうなんて不届き千万、
しかも一つの問題も解決できないというに、もう一つの大問題もそこまで近づいてて、二進も三進もいかないんじゃない
もっとも半ば NG に近い状況だと諦めてるのかな?
縦しんば今、盛んに結論に向かって右往左往した結果が好転したとしましょう、世の中、何が起こるか分かりませんから
「やっぱ、実践した甲斐があったでしょう!!!」と声を大にしてマスクを取り払い口紅をつけて勝利の雄たけびを上げるの
オナゴ3人くらいのものでしょう、ここまでダダ下がりの企画なんて消滅したような気分で私は、今はいるのだけれど、
そもそももっと素早くその役人や議員や関係者各位が、己が肩書をきっちり認識し、責任をもって事に当たってたら、
ここまでは泥沼化しなかったんじゃないのかしら?
そうだよね~文学だってそこに材が沢山転がってるからこそ取捨選択して言葉に、出来るということなんだから、
危機にさらされたマンネリの時代の中に材はない!と思うようなことじゃあ、
こっちも考え改むるとか逆手に取るとか、知恵を絞らなきゃならない時なんだわね、〆切りに追われて趣味だというのに
追い込まれて(*´▽`*)
どうしてこうもだらだらと長書きをするかと言いますと 57577 のネタ帳のようなものかしら?忘れやすい年頃なので、
印象に残ったことを書いておくと、追い込まれた時に花や出来事や心の変遷や景色や音や色が残りますでしょ?
それを駆使し、このようにあからさまにではなくて含みを持たせて揺らしたり咲かせたりしながら、窓から頬杖をついて
埋めるわけです(笑)料理屋じゃないから秘策なんてありませんからね、諸出しです、それでも時は過ぎるからいいの、
06/05
枝がしなるようにたくさん咲いたらまた載せますね 👆 バイカウツギ、蕾も可愛いのよ~ふっくらとして好きだわ、
06/07
咲き始めましたよ~真っ白なところがいいわね~👆バイカウツギ 👇
06/08
寝る間を惜しんでここ何年も過ごしてきたということだろうか?転寝をして、ドンドンやる気が起きてきて助かります
「片づけには、ひと寝してから挑戦しろ」みたいな感じの日々が続いてる、
自分のことだけを思えばいいわけだから、初めての 24 時間が自前!こんなことあった事がないから戸惑ってもいるけれど
長い人生(先は高が知れてるけどー笑ー)だったから、最後の褒美とでもいおうかな?
それに物を捨てるにも、今までは躊躇して戻してそのまま~ということが多かったけど、勢いに任せて大袋に入れれば
燃える物だし出せば済むし、
ぜひぜひ、人手があるうちに(私の場合は子の滞在中に燃えない物)実践しておいた方が、気分がとても楽になるし、
「急に何かあったらどうしよう」の肩の重荷も消えてゆくのは事実だから、
そりゃあ業者に頼むという手がないわけじゃないけど、モノを残してあちらへは行きたくないしね、これ性分だから、
それぞれの気に入った手立てでいいとは思うけどさ、
家の中の押し入れ毎の分別、これもポイントね、スケルトン・ケースに分けておけば前日にも処分できるという気楽さ、
私には思い出でも子らにはガラクタだし、そんなに高値のものもないので(笑)ヒカリ物✨、バッグ、ステンドの類は
娘、嫁、孫に「要らない~」というようじゃないものを、
とまあ、この精神で毎日毎日、草引きしながら考えて、その合間に材のないところから 57577 を引っ張り出して〆切まで
これで余生なら、これもなかなか悪くないなぁ、
途中で思いがけない事が起こらないとも限らないご時世だから、さっさと今のうちに整然としときたいというのが私の心
それにはね、するべき時にするべき事を手抜かりなくしといて、徐々に自分を自由にしてゆくオナゴの甲斐性による産物
パパは私にいいこと教えていったもんだわ(* ̄▽ ̄)フフフッ
06/05
今の処は大したことない(失敬!)けれども 👆 カシワバアジサイ、咲きゃあ品格よ、載せますね、
06/08
柏葉アジサイの咲き始めた小花 👆 が可愛いところ、
南側の部屋には古着や入れ替えの洋服が吊られたり畳まれたりしたまま、外気を当ててるの、山のようなペーパー類・
領収書や契約書や保険証書やあれやこれやと段ボールに突っ込んでから早一年半を過ぎ、そりゃあその箱のまま燃える
ゴミの建屋に運べばいいんだけど、そのエナジーは皆目おきなかったので、肩に一物、いやお荷物で、
眺め眺めはしてたけど、手をつける気分にはなれなかった、面倒くさい、日付を確認して破棄できるものかぐらいは見な
きゃね~ママの分もあるしね、やっと手を付け始めましたよ、
いやいや進度はいいのですけど、ペーパーの間に写真が一枚でも二枚でも紛れ込んでようものなら(子や孫の写真は分別
してスケルトン済み!だし、子や孫の手紙は別箱に入れてあるけど)時がとまる~♪
そうだ!あの日あの時よね~と思いにふけってたら、050&%$##`*+からのTEL、常なら見知らぬ番号だから出ないのよ
写真見ながら受話器を取っちゃった「今、不要のものはおありになりませんか~?」だって(笑)
あーたに着物も洋服も、何も売る気はありません~などと野暮なことは言いませんよ、電話番号を握られてるしね、
「ごめんなさいね、まだ整理してないので」とやわらか~く、「整理をご覧になってたの?」と思えるくらいの時間帯よ
終わりましたよ、ペーパー記録のあれこれを、少しは種類別にしてあったので、ざっと目を通して袋に戻して破棄、
その袋は4袋になりましたけど、次回の燃えるの時に、朝にGMステーションに運べば済むという段取り、
たったそれだけのことでも両肩がすーーーっと、軽い軽い~
家具は今、使ってるもの以外は、殆ど解体済み、運び済みなので、どんどん事が運び、いつ何時、何があってもOK!!!
(あのぉ方のワクチンのような言い方だけどさ)和服はもう分別してしまってるし、本も1/3 程度に処分してるし、
食器も必要な分だし、あ!塗り膳と塗り椀は旅の宿に、コロナ収束の折りには使ってもらうことと心づもりしてる、
吊り下がったまま風を受けてる洋服は、ホントに必要なもの以外は仕舞わずに破棄、
どんなに惜しいものでも、私より小柄な子や孫はいないしね(笑)私がデ◎にならないで着て、仕舞いにすればいいわけ
やっと先が見えてきたわ、
06/06
まだ天辺には登場できない 👆 白バラ 👇とつぼみ、連れ立ちて咲いたらてっぺんよ~
06/09
BS 183 『総理と呼ばないで』
三谷幸喜さんはどのような結論を出すのかしら?(* ̄▽ ̄)フフフッ ただいまラストに向かっています、
総理補佐官が借りてはいけないところから¥を独断で借り入れて、不都合なことを口止めしようとして、画策した
ことがばれて「補佐官は総理の命令に従った!」ということになり、証人喚問をうけることとなった、
今までなら総理に傷はつかず、総理の親の代からの番頭である補佐官なりが責任取って辞すれば済むはずだった、内閣の
総辞職も避けられトカゲの尻尾きりで終わったはずだったのに、
あろうことか総理は現在の内閣をひっくり返そうと思うに至った、それは、総理が何を守るかの問題にやっと気づいて、
爺議員たちは正義だとか真実だとか綺麗ごとを言わないで、ひたすら「知りませんでした!」で押し通せ~と口々に言う
そりゃそうだ、その姿勢や表情からは再選は到底ご無理の体なのだから、ここでとばっちりは御免だぜ!というのが大方
黙ってりゃあ、議員会館から国会議事堂へ行って、寝てようが持論もなきゃ、そっと~このまま~~♪だろうね、
だかたいくら支持率が最低だろうが、¥問題やヤーさん問題があろうとも、見て見ぬ振りすりゃ国民なんて騒がない!
ところがハンサム議員は心までは腐ってはいない、良心というものがぉ顔に漂っておられる(笑)
祭りや葬儀やに小封筒に些少の¥をいれて届けるなんて小細工しなくても、再起は可能だからね~
「証人喚問に行ってくる」と総理が言えば「いってらっしゃ~」と、いとも容易く受け流し、「俺は総理じゃなくなる」
と総理が言えば「じゃあ私は総理夫人じゃなくなるのね~」と動揺さえしない、「で、何時に帰ってくるの~~?」
夜遊びが過ぎようと、料理をしなかろうと、そんなことはどうでもいい、妻はこうあるべきだとか母親はこうすべきだと
何でもオトコの都合のいいように動けば、いい妻なのか?を言葉にしなくても地でいってるんだから上出来な連れだわ、
そして総理としての夫として、茶を入れて貰ったら「ありがとう」何かをして貰ったら、総理でさえも謝意を表す、
そのぉ育ちの良さがしみじみと温かい、そんじょそこらの夫でさえも「ありがとう」なんていう言葉は俺様の辞書にない
と高びーな言動をとっていい気で当然だ!みたいな態度だなんて言語道断だと教えてくれてるようなもんだわ、
たくさんの爺議員を辞めさせて、自分も辞めて、正しい政治にしようとしたからだ、捨てたもんじゃないわね( ゚Д゚)
オトコには男時というのがあるらしいけど、総理のドラマの田村さんは当にそうだったのね、ハンサムとかだけじゃ
なくて声や姿が、言葉じゃ表せない、こういうのなんて言えばいいのかなぁ
しかもこのドラマの時が素敵なのね、ということは若すぎても老いすぎても違うんだなあということでしょう、いやー
ラストの演説は、新しい総理の演説の方に行っちゃって、誰も来ず、カメラ一台、あとは身内の者だけに向かって、
「国民の皆さん!」と始めるわけだけど、これがまた素晴らしい、幸喜さんの台本がいいのだけれど、演説する田村さん
この上なし!そしてつれない妻や娘をも感動させて、張本人の補佐官まで泣かせて、皆涙ぐんでるなんてラストシーンに
相応しかったです、そして片手をあげて去っていった後姿は、きっと田村さんがあちらへお行きの時の姿だったのね、
またね~と声をかけたいくらいだったわ、
06/06
黄バラ 👆 も負けじと蕾が増えてきました、
⁂
娘を3人嫁に出したのは正解だと私は思っていた、パパの決断はその親やその親の婿取り・継農を具に見て実感したからだ
誰が一番苦労するって、その婿さんじゃあない、家付き親付き娘が苦労の極みだったのだ、二代も続いてね、
お嬢育ちで苦労を知らずに、後継者だからと大事にされて育てば、そりゃその娘としてはそれが当たり前と思ってしまう
けれどぉ婿様がお出でになれば、どうしたって周りはすべて血脈で、ただでさえ減らしちゃならないものもあり、
そうなると頑張らにゃ!と思うから、世間からも大したもんだと言われるように多角経営にも身を乗り出さなきゃならず
才覚を求められる、それも無言のうちにね、
人はだれしも脆いものだから、いつ何時どのようなことで心折れたりしないとも限らない、そこで思いがけない事がある
となると、ややこしいことに、その親夫婦と娘夫婦の異論に振り回されたりもする、
夫婦二人でさえ異論でこじれるところなのに(うちですよ、うちの場合)4つ巴となったら、そうそう簡単に糸は解れない
そういうことを踏まえて、仕切りに自信のなかったパパや、意外に根性のあるママに、更に娘夫婦を増やすなんてできん
パパはそう考えたんでしょうね、それでいいわ、今思ったら、うちの場合ね、もしや四つ巴になったら?ゾッとします、
やっぱ今の状態での親をおくるの図が相応しかったかな?
06/05
👆 イチリンソウの群生も見ごろは今だと思うわ、これも夢だった!周りに延びて咲いてますので来季が楽しみです~
06/05
むらさきつゆくさも 👆 咲く時が来れば密やかに咲いて、
することがあってよかったわ!自粛に逆らわず家で過ごすにはテレビはもちろんだけど、それにも飽きてくるから贅沢
そして掃除して片づけて捨てて(十数年来のこの家の¥の流れを記してたママの手帳やレシートを)スッキリ!!!
ざるな(笑)私に文句があるらしい◎たち(ママから聞いたしママも思ってただろうし、人の口に戸は立てられぬ)
に、もし一言でも言ったら、
「介護にも大した手を貸さず、この家で、実家だからといって家族中が寝食を繰り返したあの日々を忘れましたの?」
と言って映画のようにばらまく小道具にするつもりで楽しみにしてたのよ(* ̄▽ ̄)フフフッ
でもきっと◎たちも、心も含めて±は収支がついたらしく(だって◎の連れの暴言によってママはキレて『法律に則って
決めてもらいます!」と啖呵を切ったので)直接は私に言わなかったので、もーいいでしょうーと、
することをすれば、自ずと、文語で言えば「増ゆ」は世の道理だしね、それよりなによりやることやって気分良く、
過ごした方がいいじゃない?目先に捉われて憂気をみないとも限らないしね~
それにしても重かった、あっという間に燃えるようなもんですけど、年数の重みって相当でしたわ、
私も相当ワルなのよ、〇後屋じゃないけどさ、これがパパの望んでた甲斐性ということで、パパも満足でしょう、
時をかける(費やすの意味)婆の結末でした! いくらネタ帳でも読んで面白くなきゃね~
06/05
ムラサキツユクサの白も可愛いわね、
可愛いといえば手前みそで申し訳ないけど、26 歳の時の免許の写真は可愛かった👩 ところが今回 76 歳の後期高齢者の
写真はと言えば、5年前の時より更に退化!予想だにしなかったほどよ、
まあ子らが言う「誰もあなたの顔を見てるわけじゃないし今はほぼ(*´Д`)一面マスクじゃん!」だと、
潔悪かろうがなんだろうが私は若作りして過ごすんだ~と、改めて思った、そして穴の開いた前の免許証を暫くは持って
諦めないで、せめて5年前の(*'▽')を取り戻すんだ!