pretty woman story again

本と花と映画と音楽、
ドラマに私自身の物語、
華の 80 歳にあと1年🌹
(´∀`*)ウフフ

(d) ペンディングtrain @ナデシコ2題 @ビオラ2題 @イブキ・@クレマティス@バラ(m) 華の @梅(織田)@ミカン📚@神木君@ボンザ・(s) Elvis

2023-04-21 | #日記

 

 

 

本編冒頭部分の一部映像10分!! 金曜ドラマ『ペンディングトレイン―8時23分、明日 君と』【TBS】

 

通勤電車の中の様子がよく分かって今更ながら興味深く、そこで思いがけない出来事に遭遇するとひとはこうななるのね

TBS ペンディングトレイン  金 10  金子ありさ・脚本

TBS

この朝の電車の中には”当たり前の日常がつまらない”(申し訳ないけど、どこか分かるような感じだったのでドキッ)と

思ってるであろう人たちがたくさん乗ってる、

 

中年のサラリーマンは通勤用のネクタイを外し、結婚指輪をぶん投げて、歯が痛くて、病院に行きたかったのに、カード

をどこかに置いたのか探してなかった!などと妙なことを考える、そんなに家庭に不満があったのか、職場に不満があっ

たのか、杉本哲太さんはなりきりで上手いよ(いつも思うけどメイコさんちの次女さんとのめぐり逢いがよかったのね~

 

キャリアウーマンの社長は仕事のことを考えてなんとか時間には現場に行きたいのにカッカして、電車の乗務員に「なん

とかしてよ!」と詰め寄る、のどが渇いて水が飲みたいのにないと気づき、水を持ってるひとに1万円でもいいから、

ペットボトルを買うと言う、松雪泰子さんも美しく達者な役者さんで好もしい、

『白鳥麗子でございます』から観てますので~ぉ―――ほっほっほほ でしたかしら?高ビーオナゴの最高峰でした、

オナゴは”タカビー” ぐらいがいいでしょ?若さを感じられて、『フラガール』も、

 

高校生の2人は皆が水さえないという時に弁当をひろげて食べようとする、空気を読めない、仕方がありませんけど若い

から、でも言い分もあって大人に抗ってるようです、現実にもね、それを見てまたまた人たちはイラつく、

とまあ人間が極限状態に置かれると、ぉ他人の言動や日常の鬱積した思いにやっと気づくかなぁ?というところ、

 

TBS

スタイリスト役の山田君は動かない電車に、今抱えてる自分の問題について考えてる、弟を気遣い面倒をみながら送る

日々、親代わりのような兄の役、とても見ごたえのあるセリフや表情を見せる、

さすがオシャレです、サングラスの色もいい、いつもの山田君とはまた違った雰囲気で、多才なぉ方だなあと、

 

TBS

教師役の萌歌ちゃんと消防士役の赤楚君は、どうしたら皆を助けられるんだろうと考えてる、非常事態にひとは何を一番

に考えるんだろうか、日頃のうっ憤がついつい出ちゃう処の描き方がユニーク、新ドラマが多い中で気が惹かれた、観た

い!と思わせたシーンだった、

 

高校生、おそらく学生や院生、キャリアウーマンにサラリーマン、多職種のひとたちが、その時にどう行動するのか、

電波も届かない、食料も水も少ない、荒涼とした広いばかりの土地に放り出されたら「自分が一番大事!」となるのかな

 

そしてしばらく観ると、その荒廃したなかに樹海のような場所も、時が未来だと(気づく私が遅いだけで 2026 だった)

え?東京の未来は、もしやそうならないとも言えないような説得力のあるドラマで、

難事に向かってる内容だというのに、時にへ?と苦笑しまうように、間合いを差し込み描いてる手法にまいりました!

まさしく今、この 78 婆(私ですよ、私)が、目的を見失ってるような日々にため息をついたりする時があるものだから

イタいところを突かれましたよ、

 

フジVSTBS というところでしょうか?それに NHK と、呑気で甚だ言いにくいけど今はこれが楽しいから”まあいっか~”

 




04/21

ナデシコ (ダイアンサス) スープラピンク という名を持ち華々しいですよね~

 

3月にはこのくらいの花一輪から始まったのでした、

 

同級生のオトコが電話で言った「うちのかあちゃん(妻よ、愛妻家だっのに)何も喋らなくなって部屋に籠ってて、息子

が帰ってくると、夕飯を一緒に食うぐらいの間、居間にいるくらいかな~?何か不満でもあるんだべか?」(笑)

「そりゃあるでしょうよ、二人の息子の子育ての時には家にも居なかったのに、付き合いゴルフだとか、飲み会だとか、

あるいはぉ遊びだとかね」同級生なんだし、なんでもお見通しの私だもの、言えないことはない、同様に相手も手厳しい

 

「オナゴは家にいて子供らと遊んで、幼稚園や学校に出せば、近所のオナゴ達と寄り合い(食事会や茶飲みのことよ)

しっぱなしだったべ~その頃、俺らは汗水たらして仕事して¥を稼いでたんだからお互い様だべ」(笑)

 

言いたいことは分かるけど、産んだ責任と産ませた責任を比較検討するわけじゃないけど、生んだ責任の方が大きいと

私は思ってるから、子らに関しては自分の責任と心得てる、だからちょっとの間も目を離さず育ててきたから何事もなく

育ったんだべや~」そりゃオナゴだって負けてはいられません、産んだ私の勝手な言い草かもしれないけど(^^ゞ

 

でもこの親となった子らをみてても、私ら夫婦の狭間で気を使ってる子を思えば、子を産んでよかった!と私は今、

心から思えるので、それはそれで感謝の域ではあるけれど、

 

「そう言うけど、外で働くということは容易じゃないぞ~人間関係から考えてみたら、オナゴ達の狭い世界とは違うぞ!

そこにはぉ弁チャラも今言う忖度も、そして何より酒に付き合わなきゃならないんだから、どっちが大変だか分かるべ?

オトコの方が大変だった!」と言って譲らない、

 

「オナゴ達の世界の方が広いんじゃない?母同士だけじゃなくて、相手は子供を預けてる先生だよ~お世辞の一つも言っ

たり、今どきなんて、歳は母親たちが上だけど、謙ってモノを言わないとご機嫌を損じることになり兼ねない、そうなる

と、子供にも影響があるから、面倒でも、そこは、ホラ~持ち上げの術よ、

 

そうして立派な大人にして世の中に送り出すまでが難儀極まりない大人仕事なんだよ~だから、今、老夫婦二人になった

からって急に、今まで家に寄り付かなかったオトコの世話をしろと言われてもね~オトコが楽しませてくれなきゃ、

今までご奉仕申しあげたんだし、接待してもらいたいのはオナゴだべ~」同級生っていいね~なんでも喋れる(笑)

 




04/21

家の地べたに植えたのは去年の秋口だったと思う、小さなポットから植かえたのだった、それが増えて、寒くなったので

鉢上げをした、それほど勢いがあったわけじゃなかった、

外へ出してからのナデシコはアメリカ・ナデシコという名を持つゆえか勢いがいいですよ~鉢を大きくしたら more よ

この姿は私の萎びた、ないんだか有るんだか分からないような感性に少し檄を飛ばしてくれたようよ、大袈裟だけど、

 

04/21

ビジョナデシコ(美女撫子)ともいうらしいからいいんじゃね(´∀`*)ウフフ

 

砂漠のような 50 代に突入した同級生のオトコ達やオナゴ達は様々なぉ家の事情を抱えることにはなる、誰だって何処に

住んでいたって家族が増えれば、その分だけややこしくなるのは当然で、そういう時には相談する相手がどうしても必要

近隣じゃまずいし、親しくなったばかりのママ友たちにはネットワークがあって、そんなに安易に心の内はさらけ出せな

いんだよね~色々後が面倒になるから、

そうなってくると矢張り、こういう言い方は拙いけれども気心が知れてて、その背景になる人間関係も長いことみてて、

なお口が堅くなくちゃ話にはならない、

同級生だって高校時代は”悪口”の一つや二つは言い合ってたけど、それを大仰に言いふらすようなシステムにはなってな

いので、やはり呼び捨ての同級生に限るわね、

 

それならこういう処にに書き込みはルール違反になるじゃない?そうなってくると苦渋の決断だから「あの頃のこと書い

ていいかぁ~」と直球を投げる、書いてもらいたくないと言われればもちろん書かないし、嫁姑やそれ関係の嫁の立場に

ある同級生なんかは「書いて書いて!みんな苦労してるんだから、誰が誰だか分からなきゃいいんだべ」と、

 




 

04/23

この寄せ植えは気に入ったビオラを集わせたので”ぉ気に入り”です、長い事楽しませてくれるので手入れは優しく👩

ぅーーーーーーっ!きれい~

 

きれい~の後に私の 40 代の頃もないもんだけど、お他人様のことばかり云々しても片手落ちということもありましょう

から、私事ですけど、

子も育ち、結婚も十有余年経てば色褪せて、オナゴにも時間が出来て、よく同学年会をしてた、そりゃ馴染みのメンバー

関東編だもの、話もツーカーだし、詳細もその度ごとに喋ってるわけだし、

まあ仲間内では知らないことはないという感じで集ってた、大体オトコとオナゴとはいっても、呼び捨てを高校の時から

してるんだから、ずっと呼び捨てよ(笑)

どこの家庭でも「オトコは元気で留守でもいい」「オナゴは元気で、家事万端整ってりゃ多少はOK!」という頃合いだ

それぞれの夫婦の阿吽だったのでしょうね、そうなったら夫婦で楽しくなんて言う時間は私の場合はなかったわよ、

 

04/23

関東に住んでるメンバー(関東組)で集いやすいということもあって、なかなか活発なスケジュールだったのよ、

地元は地元で(地元組)も、もちろん本ものの組じゃあありませんので念のため (;^_^A

それこそ近いから飲み会はしょっちゅうだったようだよ、今となっては皆が言う、

「あの頃の楽しさを経験してるから、今のこの老いの現状も宜なるかな!だよ~」と、

一通り家庭を持ち、子育てをして、仕事もして、親の介護の一歩手前の自由時間とでも表現したらいいのかも、

 

私も多分に漏れず、まるで孤軍奮闘のような3人の育児、家事、渉外を熟したうえでのことだから【D】も文句はなかった

どっちみち「仕事で、突貫工事で(空調屋でした)忙しいから帰れない」と一々告げるでもなく自宅にご無沙汰(笑)

 

そういうことに、今どきのドラマの様にケータイで連絡するようなマメなオトコでもないし、私がポケベル持ってるわけ

じゃなし、帰れる時だけ「迎えに来て」と連絡をよこすくらいでね「私は送迎屋でもない!」とも言わないでおいた、

オナゴは中々しぶといんですよ~顔は可愛い顔をしてても、あれ?(その時に言うんじゃない、後でだぞ!と思ってた)

最寄りの横浜線の駅まで深夜でも運転したりしてた、今、もし私がデカい顔してると言うなら「あの時のツケよ!」です

 

そうこうしてるうちに親の介護がどこにもあるようになって、だんだん足が遠のいていった、そりゃそうですよ、関東で

介護だけじゃなくて地元でも私のように介護は始まるわけですから、

そしてオトコ達もオナゴ達も、華の 40 代に別れを告げて、砂漠のような 50 代に突入していった(´∀`*)ウフフ

 




H ちゃんの人生

04/21

孤高のビオラの白です、こちらも長いですよ、あとで~

 

同級生の H ちゃんとはホンとに仲良しだった、幼馴染だし、私は転校を繰り返してたけど Hちゃんは地元でずっと過ごし

高校の時には同じ高校だったから、登下校も一緒で、私の家にいく道の途中に H ちゃんの家があったから私はよくよく

寄り道したし、H ちゃんも私の家によく遊びに来てた、 

 

Hちゃんには家を継いだ兄と教師 になった次兄と、姉がいてとても可愛がられてた、その父御は長く臥していたのでその

看護を姉共々手伝っていた、母御は他村のお寺からお嫁にきて初めて商売を(教科書と指定の制服とを売る店)病床の

ぉ連れ(H ちゃんの父)から受け継ぎ、慣れないながらも長男と共に一生懸命精を出してた、

 

「家では手伝いがあって、自分の時間があまりないので遊べない」と言って「家に来てよ~そしたら喋られるから」と私

を誘ってくれた、

「東京で国語の勉強がしたいのよ、だから KG を受験する]と言って希望通りに合格して、その次兄の東京の家に下宿して

通学してた、

私は仙台だからなかなか会えない日が続いたけれども、休みの度に地元に帰ってたから、高校時代のように行き来できた

その時の印象的な話を思い出した、

「私、学校で出会いがあってね、同じ学科だからよく一緒になるの、初めてのデートは秋だったのよこれが、枯葉よ~♫

”黒いタートルのセーターに濃い目のオレンジ色のスカート”をはいて行ったと嬉し気に話してくれたのを、

センスのいい H ちゃんだった「なるほどね!」と久々に思いましたよ、

 

そして希望通りに国語の力を活かし、塾を経営してる家の長男に嫁にいって仕事を続けた、なにせ家族経営だったから、

姑や舅、小姑(様方、あらごめん)そしてぉ連れさんと朝から晩まで一緒に居なきゃならない厳しさよ(^^ゞ

辛抱強いHちゃんなればこそ出来た日々だった、

 

家の近くに建てた塾と家の往復だけの日々は長く続いた「同学年会には何としてでも出席するから、ハガキは必ず頂戴」

と笑いながらHちゃんは言ってた、そして必ず他県から出席して楽しそうに過ごしてた 40 代の頃、元気溌剌だった!

 

04/23

 

 




04/21

やっとスマホ接写が成功して(私にしたら上出来よ)イブキジャコウソウはこのような花の姿だったと、そしてだんだん

引いていくと 👇

 

04/21

このような花の塊になって程よく葉っぱを見せながら咲いて 👇

 

04/21

このような広がりになって、 👇

 

04/21

このように枝垂れて無骨なブロックを少し飾ってるというわけです、これは植えっ放しで手間要らずです、時に水やりのみ

 




04/21

家の前にクレマティスが、これまた剪定もせず枯れた枝のみ、芽がついてないかに注意してへし折る(あらごめん)だけ、

それでも時が来れば枯れ枝に見えた節々が活動を始めるから大したもんですわ、咲いたら載せますね、

 

”四月物語” といえば誰でもアルバムに写真があって(古)新しい場所、新しい暮らし、新しい学校、新しい部屋と、色々

なシーンが思い浮かべられる、

私の”四月”はたくさんあって、誕生月から始まって、転居、入学、転校(同級生との別れと出会い)通学、学生アパート、

就職、結婚、出産、地元への往復、元職へ復帰、介護初め、

嬉々として向かい、期待と不安に、寂しさに喜びに、若さがそうさせる大胆さに毎日が変化、変化で目まぐるしかった、

あ!だから今に変化がなさ過ぎてちょっと物足りないのかしら?欲張りだけど、

 

1998     四月物語  岩井俊二・脚本&監督 you tube

 なんたって松たか子さんの初々しさがとても可愛らしい、

ご家族勢揃いの最初のシーンがとても印象的、染五郎さん、幸四郎さん、紀子さん、紀保さんと駅での別れのシーン、

 

大学生として家を離れ東京のアパートの一室に入り、窓を開け部屋を見渡して畳の上に思わず横になってしまう、分かるわ

ここが期待と不安の綯交ぜになる処よ、

 

とても静かでいい時間でした、物語は淡々とすすみ小さなエピソードを、街の様子や、人々や学生が通り過ぎてゆく様に

きっと「そうだったよね」と頷きながら観てて、気づいたら終わってたというような、

 

高校で好きだった先輩がいるからという理由で武蔵野音大(かしら?)に入学しヴァイオリンを習い、先輩のバイト先の

本屋に通って田辺さん役と交流し、驟雨の中での傘の貸し借りに加藤和彦さんが画商の紳士役でさり気なくお出ましだった

笑顔もステキでぉ声も優しくてお若かった、

 

劇中劇の「信長は生きていた」には笑もあってうまいなあ、信長に江口洋介さん、明智光秀に石井竜也さん、斎藤利三に

伊武雅刀さんが真面目に時代劇に取り組んでるのに、モノクロ―ルな笑いとでも、上質な短編でしたよ、

 

1998 といえば私は 53 歳で、子らは3人とも成人して御用済みの母親のようなもんだった(笑)

なんだか今思うと、食事の支度と(3人共家に住んでて社会人、学生だった)洗濯、掃除と相も変わらず平々凡々で、丁度

今と同じような気分だったのよ、

でも過ぎてみればそれはそれで大事な役割だったと思うしかないね、その時には友人の立ち上げた某関係の教室で仕事を、

バイトとでもいえばちょうどいい、でも楽しかったね~やはり自分を活かしてこそ生きてるという実感を得られるんだわね

今ですか~花の(自分で自分を花にたとえる可笑しさよ)休眠時間とでも(´∀`*)ウフフ

 




04/21

バラの蕾もあちらこちらについてたから楽しみよ、蕾は毎年たくさん見てきたはずなのに、胸を抱くように細い葉っぱが

クロスしてるなんて初めて気づいたわ、

 

見つけましたよ、パンフレットの写真を、画像フォルダを隈なく探して、大正時代って思ってたより激しくも儚くそして

現代よりももしや赤裸々だったのね、

1988の華の乱には大正時代を彩ったたくさんの方々ご出演の映画だった、

 

この時の吉永さんは迫真の演技で深作欣二監督の意気込みが、与謝野晶子に与謝野鉄幹センセ、そして山川登美子さん、

有島武郎、島村抱月と松井須磨子、大杉栄、伊藤野枝、北原白秋、石川啄木各センセがずらりと、

 

与謝野寛センセと与謝野晶子センセがパリへ

花の姿がとても美しくて、蕾の花茎の撓りは絶品で、眺めてしばらく楽しんだ、そして思い出した、与謝野晶子はこの花

を鉄幹とパリで見て”ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟”

と詠んだのだ、先にパリに行ってた鉄幹センセを追いかけてパリに行ったのが 明治45年の5月だったという、

 

晶子センセが華やかに活躍するにつれて鉄幹センセはうらぶれて(とは申し訳ないけど)ゆくご自身に懊悩する、やはり

夫婦で同じ仕事も大変だわ、作品が現実を物語ってしまうのだから致し方ないものね、

それにしても晶子センセはパワフルで、鉄幹センセの妻の座を手中に収め、子育て、家事、鉄幹センセのお世話に渉外も

更には歌を詠み、弟の出征についての詩を書いて、反戦を唱え、となると、だれにも止められない、

 

そして渡辺淳一センセは”君も雛罌粟われも雛罌粟” を書き上げて私は夢中になって読んだのだった、画像を探したけど、

見つからない、その本も未練の本のひとつで北国の本棚にある、ああ読みたいわ、

 

 

 




04/21

梅の実もあちらこちらに実り始めて少し色づいてた、寄り添うように二つの実が、こうならよいのでしょうけど(´∀`*)ウフフ

 

寄り添うでで思い出したのは”織田作之助センセ” の妻にはなれなかった織田昭子さんのことを書いたページを見つけた👈

母を亡くして北国の家に一人で住んで片づけをしながら過ごしてた頃書いてたブログの一部、自分のページですけど、

気に入ったわ、

今よりは元気があって洞察力もある(自分で言うのはおかしいだろうとの思いはあるけど(* ´艸`)クスクス)気がした、

読んで面白きゃそれでいいじゃないの?と思いながら、ちょっと当時の日々に耽った、

”無頼派” なんて出版社の”売らんかな” 寄りの目から見た括りであって、あのセンセ方は野武士じゃない(笑)

 




04/21

ミカンの木にも蕾がついてたけど、今季は大々的に【D】素人庭師が自由に枝払いをしたので実は期待できない、手入れ

したくないなら植えるな~っていう話よ(笑)

 

 

こっち(都下)に来てから手元に📚がないので不自由だけど、現状がこうなんだから致し方なし、”未練本” を手にしたい

そこで”画像一覧”で探して、せめて雰囲気だけでも味わいたいと、未練たらたらとはこういうことを言うんでしょうね、

こんなつもりで来たんじゃないので何も持ってこないと言った方がいい、でもまあそれなりに一年半が過ぎようとしてる、

昔の写真 👇 を探すのも一苦労だけど、花にしても本にしてもブログにしててよかった!つくづく思う、写真だけでもいい

だなんて、なんて健気な P ちゃんよね(笑)

 

北国の家で娘が必要としたので本棚から取り出して並べたのだった、まあね、オナゴを幸せにしたのか不幸にしたのか論を

異にする処だとは思うけど、読者のそれぞれの自由でいいんじゃないの?生き様と作品は別だと私は思ってるから、それに

ひとはないもの強請りともいうしね、子を持ち親となった私には到底、思いもよらないことだけど夫人には敬愛の一言、

そして太田治子さんや津島佑子さんや園子さんの人生を思えば、まちがいなく優秀な文筆家のDNAが今も脈々と、

読者にはたまらない、園子さんは政治家の奥さんとして、また太宰センセのお嬢さんとして記念式典にもお出になられてて

闊達な方だとやはり敬愛でした、

 

母が残した本で、一度はと思ったけれども矢張り母の思いもあるだろうとお取り置きして本棚に戻した、一度も手にした事

はないけれど、今もし読めたなら面白いかも、どんな内容かもわからない(´∀`*)ウフフ

とまあ懐かしい大杉栄さん、白蓮さん、色々あったわね~

 

北国の家で”ほんの虫干し兼作家別に整理” した時の様子、私は今これを眺めてるだけでも嬉しいわ、これを家族に見せた

ら「今は紙の時代じゃない」と言下に否定されるのは間違いないから、片づけの時になってから考えるわ、

 

 




 

NHK らんまん 長田育江・作 

NHK

何に惹かれたかってこのメルヘン&リアルなシーンの色調です、楽しそうじゃありませんか~思ってた以上に美しいシーン

がふんだんに、花もそうですけどキャストもこれから先も楽しみでなりません、

宮崎あおいちゃんのナレーションの心地よさをすっ飛ばすような松坂慶子さんの力強いぉ声は愉快です、セリフともども、

姉ちゃんはしっかり者で、優しいけど頑固な弟の万太郎君(神木君、大人になったわね、幼い頃より皆さん拝見でしょ)を

叱咤激励してる姿は愛にあふれてます、

NHK

ジョウロホトトギスを見つけた時の神木君・役は本当にうれしそうで不思議そうで食い入るように見つめてる表情は、

花好きの方々ならずとも惹かれたでしょう、

 

NHK

きりりとした表情にもたくましさを感じます、どういう出会いがあって”牧野富太郎”センセは歩まれるのでしょう、

そうそう、花を記録するシーンでいつも思います、カメラやケータイをあげたい!と、でも手書きだから詳細だともいえる

 

なんということもないけどこの曲はどうかしら?

 




冬の間を部屋で楽しんだ SUNTORY ボンザⓇマーガレット、しばらくは部屋で咲いてたのに、いつの間にやら花が咲かな

くなって久しかったけど、日差しに向けて鉢を移動したり水やりで何とか生き延びたのよ、

そりゃそうでした”非耐寒性多年草” ということですもん、花の休みの時期だったんですよ、

 

04/21

こんなに蕾がついて液肥と水やりを怠らずにいたら外で咲き始めました!いや~嬉しかったですよ、

 

04/21

冬越し出来たのですよ~コツが分かりましたので夏越しもできるでしょう、鉢で日陰で時に水やりということでしょう、

 

花は美しく咲くために”休み”があったのね、そりゃそうだった、北国なら雪の下で春を待つんですもんね、それが都下じゃ

雪がないから当然花も活動するだろうと思ってた私ってよほどお目出たい(笑)

 

お目出たいといえばお目出たくもあるし、イヤお目出たくなんてないべと言われたらそうだし、ちょっと半端な歳になった

気分的には若いと思ってますよ~そりゃ、自分で思うんだからいいでしょうよ、でも数字で言えばけっこうなもんですよね

なっちゃったんだから仕方がないと開き直って、面白可笑しく日々を過ごすことにした、考えてみたって同じことだもの、

同級生の間で今はどう乗り越えるか”同級生との別れ” が電話で行ったり来たりしたけど、やはり、元気で朗らかに過ごす

そういう決めごととなった、長電話でも”かけ放題” (そう言わないの?)にしてるから皆そういう時には遠慮なく喋る、

そしてらスト――――んと何でだか軽くなった、

 




04/21

 

ということでこの月も 10 の試練の時がきましたよ~口では試練(文字では試練よね)なんて言ってるけど案外お気楽なの

どっちみちドライじゃないとね~こっちも心身もはやドライですもん(´∀`*)ウフフ

 

二句から考えるのも、感じるのもちょっと面白いかもということで、

◎・・・・・透き通る風・・・・・            ◎・・・・・レモンティーカップ・・・・・

◎・・・・・子の車に乗り・・・・・           ◎・・・・・分け持つ夫婦・・・・・

◎・・・・・人参オレンジ・・・・・           ◎・・・・・ひとり遊びに・・・・・

◎・・・・・モノクロームな・・・・・          ◎・・・・・野球ならすごい・・・・・

◎・・・・・悔いのない・・・・・            ◎・・・・・夫婦は他人・・・・・

 

「夫婦はどうせ他人じゃないの?」とオナゴが言ったら「他人だから夫婦になったんだべ」とオトコが返した話を聞いて

笑っちゃいました!老夫婦でもけっこう面白いやりとりしてるじゃなのよ、老夫婦だからかぁ、

 

 




 

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