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川柳と作者

2004-06-06 14:16:19 | Weblog
 私が雅号にこだわりを持つのは文芸作品は作者を離れて独り歩きしないと言う前提でのことでした。
つまり同じ短句の形でも懸賞標語の作者は覚えている人はいないでしょうしCMのコピーも(ごく一部の流行語大賞をとるようなものを除き)ほとんどが消費されていく、流行とともに忘れ去られる商品のイメージです。でも俳句、短歌そして川柳は作品とともに作者の名が記憶されるていくべきものと思いました。

 江戸時代の前句付け川柳は賞品付きのコンテスト(一種のばくちと言う人も)で作者は仲間内ではわかっていても匿名が基本だったようです。それは言論規制を避ける方策であったのかもしれません。作品が政治批判そのものの場合名前が出ることは危険ですから匿名であることが必要だったのでしょう。(落書狂歌狂句は匿名ですね。)

 言論の自由が保証されている現代において川柳は匿名である必要はないでしょうしむしろ本名で発表することがふさわしいのかもしれません。自分を示すサインでありさえすれば姓雅号と記載すべきと言う必要もないのかもしれないと思い直しています。(野球でイチローというスーパースターやSHINJOという名前で登録されている選手がいますものね。)

 しかし川柳が文芸(文学かどうかは桑原武雄の俳句第二芸術論を蒸し返す必要?)であるためには作品と作者が離れずある必要があると思うのです。

 テキスト論については来月号の川柳総合誌で斎藤大雄先生の現代大衆川柳論をめぐる議論があるはずなのでその議論を見てから発言することにしたいと思います。
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1 コメント

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期待はずれ (引田六郎)
2004-08-04 08:14:30
大衆川柳論はあまり深みを見せず

斎藤大雄先生の発言を是とする人が多いという傾向がわかっただけでした。

文芸と文学、結社のあり方、テキスト論

など深みのある議論へ進んでいくと期待していたのですが・・・
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