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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

見方を変えてみませんか

2024-12-16 21:18:55 | 日記

 1914年の第一次世界大戦の始まりは、セルビア人の放った拳銃により、オーストリア皇太子が暗殺されたことでした。

 

 見方は異なるというのはこういう事ですよね。

 

 セルビアからすれば、青年は救国の英雄

 オーストリアからすれば、れっきとしたテロリスト

 

 モーガン・フリーマンがネルソン・マンデラを演じた「インビクタス」でも、支配者階級の白人たちは

 

 「テロリスト」

 「南アフリカもお先真っ暗だ」

 

 と嘆きますが、黒人からすればマンデラはその存在だけでまぶしいわけです。

 

 サッカーにおけるダービーも同じですよね。

 

 レオ・メッシはFCバルセロナにとって、皆がその存在に敬意を払う大切な存在

 しかし、レアル・マドリードからすれば不倶戴天である

 FCバルセロナの名手たち、ヨハン・クライフ、リバウド、ロナウジーニョも同様

 レアル・マドリードの名手たち、エミリオ・ブトラゲーニョ、ウーゴ・サンチェス、ラウル・ゴンザレスも同様

 

 という形でしょうか。

 

 ただ、政治、宗教の世界とは異なり、競技では別の見解もあります。

 

 引退した中村憲剛は川朝喜フロンターレの象徴であり、FC東京からすれば最悪の存在でした。

 

 しかし、彼がいたからこそFC東京の競技力が向上したという面もありますし、案外「敵ながらあっぱれ」と思う関係者は多いはずです。

 

 ラグビーでも「ノーサイド」の精神が根本にあるように。

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