1914年の第一次世界大戦の始まりは、セルビア人の放った拳銃により、オーストリア皇太子が暗殺されたことでした。
見方は異なるというのはこういう事ですよね。
セルビアからすれば、青年は救国の英雄
オーストリアからすれば、れっきとしたテロリスト
モーガン・フリーマンがネルソン・マンデラを演じた「インビクタス」でも、支配者階級の白人たちは
「テロリスト」
「南アフリカもお先真っ暗だ」
と嘆きますが、黒人からすればマンデラはその存在だけでまぶしいわけです。
サッカーにおけるダービーも同じですよね。
レオ・メッシはFCバルセロナにとって、皆がその存在に敬意を払う大切な存在
しかし、レアル・マドリードからすれば不倶戴天である
FCバルセロナの名手たち、ヨハン・クライフ、リバウド、ロナウジーニョも同様
レアル・マドリードの名手たち、エミリオ・ブトラゲーニョ、ウーゴ・サンチェス、ラウル・ゴンザレスも同様
という形でしょうか。
ただ、政治、宗教の世界とは異なり、競技では別の見解もあります。
引退した中村憲剛は川朝喜フロンターレの象徴であり、FC東京からすれば最悪の存在でした。
しかし、彼がいたからこそFC東京の競技力が向上したという面もありますし、案外「敵ながらあっぱれ」と思う関係者は多いはずです。
ラグビーでも「ノーサイド」の精神が根本にあるように。
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