★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「新暦正月は正月にあらず」

2024-01-08 15:13:41 | ベトナム・ハノイ

 2024年が始まった、日本は「最悪のスタート」になってしまったようだが?

ベトナムではご存じかもしれないが「正月は旧暦」である。アジアの国で「新暦」で正月を祝うのは

少数派である。「中国、韓国、ベトナム」などは「旧暦の正月である」

 従ってベトナムでも「この新暦の正月」は特別な「感情」は無い。

1日のみ「祝日」であるが、年末の31日まで働き、2日からまた働く。学校も同じようなものである。

日本人にとっては年末31日から3日までは「正月気分」が習慣的にあるのだが?

 自分ももう12年ベトナムに住んでいると「この新暦正月」への「思い入れ」は年々薄れて行っている。

何しろ「街が全く特別な感じがしない」ので、普段の週末と変わらないのだ。

飛行機の価格や、ホテル値段もこの時期だからと言って「他の時期とは異ならない」

「商店もレストランも全く普段と変わらない」・・・

しかしおよそ1か月後の「ベトナムテト」には「全く雰囲気が変わるのである」

近年は「イオンなど大手のショッピングセンター」は元旦から開いてはいるが?

元日の朝には「普段あれだけ入りバイクや車は、ほとんど皆無になるほど豹変する」

自分がベトナムに住み始めたころには「正月が終わるまで何も買えず、なにも食べれず」本当に困った思い出がある。

そんな中、弊社だけは「日本の仕事をしなくてはならず、最小限の人員だけハノイに残り、弁当を持ち寄って

この時期を凌いだものだ。」・・・そんな状況も「経済の発展と共に事情が変わってきた」

既に「日本の正月などと同等な状況」になりつつある。しかし未だ、「ベトナム人にとっての正月(テト)」とは

「特別な物のようだ」・・・人口も1億人を超え、経済もGDPが5000ドルを超えるようなったが、

「この特別な感覚、文化は変わらないでいてほしい」などど、本日から本格的に始まった「日本相手の仕事」を

しながら考えた。

 

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ベトナムハノイの「薬事情」

2024-01-05 11:05:50 | ベトナム・ハノイ

 元旦から「発熱したことはブログに記した」が

ベトナムの「薬事情」について少し触れたい。

 一言で言えば薬については「コンビニエント」な国である。どんな点がそうかと言うと?

① 薬を「使用分だけ」ばら売りしてくれる。

② 医師の処方箋が必要な薬でも「だいたい購入可能」である。(例えば、抗生剤などでも可能)

③ ほとんどの日本で売っている薬も「入手可能」

(睡眠薬系は入手は難しいが不可能ではない)

④ ヨーロッパ(特にフランス系)の薬が多く、使用量がヨーロッパ基準そのままなので

小柄なベトナム人や日本人には「良く効く」と言われている???

⑤ ①に関連して「値段が安い」(特に日本でいう権利が切れた薬は驚くほど安い)

などである。こんな状から「薬に関しても自己管理」が必須である。(しかし、自分のような状況にある者にとっては

コンビニエントな国である。)

 今回も「1回分だけあった解熱鎮痛剤を使った後は【日本ではロキソニン名1箱】を購入し、安価な最もポピュラーな

パナドールを3シート(12錠が3シートのばら売り)購入して対処した。ついでに無くなりかけてた【テノーミン】(通常日本では処方箋が無いと買えない薬)のジェネリックである(アテノロール)も1箱買って、合計12万ドン(800円)ほどだった。

観光や仕事でベトナムに来て「体調を崩し一時薬が必要になったら、日本名でも構わないので「英語表記」で薬局に行けば

たいがいの薬は購入可能であることを覚えておくのも良いかもしれない」しかし完全な「自己責任」であることは

忘れずに。

 

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ベトナムハノイの「恒例年末入浴」

2024-01-05 10:27:18 | ベトナム・ハノイ

 ハノイ在住12年目、そのうち日本の正月に帰国できたのは2回だろうか?

そんな10回のベトナムハノイでの年末(大晦日)には必ず「日系ホテルの大浴場」に行っている。

ベトナムでは「バスタブに浸かる習慣」がないため「そこそこのアパートでもバスタブは無い」

自分もハノイで6回引っ越ししているがそのうちバスタブがあったのは1か所、しかしバスタブはあったが

お湯のタンク容量が全く足りず「意味がなかった」 

 暑い時期はそうは思わないが、10℃以下になるハノイの冬、

また「疲れた時などは無性に風呂、バスタブにつかりたくなる」のだ。

そんなわけで、ベトナムに居る間の大晦日には「風呂に浸かり、一年を振り返ること」が恒例になっている。

2023年12月31日、今回は「移転した事務所の隣にあるさくらホテル2」の大浴場に行った。

相棒ミッに許可をもらい17:30ごろから1時間ほどバイクで出かけた。この時期(日本の正月の年末年始)には

駐在や出張者はベトナムにはおらず「みんな一時帰国している」従って今まで、ホテルの大浴場で、誰か人と遭遇したことは

ほとんどない。つまり貸し切り状態なのである。日本から遠く離れたベトナムハノイの「ホテルの大浴場」で

一人思いにふけっていると「不思議な感じなのだ」 。いろんなことを考え、自分の人生を振り返り、これからどうしようか?

などと考え、時間が過ぎて行った。それでもどれだけのんびりしていても1時間もあれば充分だった。

恐らくホテルの「宿泊者」もほとんどいないのだろう? 帰るときにフロントには「誰もいなかった」

さてさて家に帰り「相棒ミッ」と年を越そうと思う。(毎年そうだが、大晦日だと言ってビールでも飲んでしまうと、

睡魔に襲われ、いつも年越し前に寝てしまうのだが?)

案の定10時には相棒ミッとソファーで爆睡、彼杵気が付いたがそのままベッドに直行寝てしまった。

はたして年が明けていたのかどうかは分からないが?

こんな風に「1年が暮れていくのだ」(それでも今年は相棒ミッが出来たので、例年ほどさみしい感じはしなかったのが幸いである)

葉に乗日系ホテルの中でも比較的小さい部類、サウナはあるが人が居なくてスイッチが入っていなかった。

これが唯一のバスタブ、一人には十分(洗い場も2か所しかない)それでも清掃はされており

タオル類も準備されている。この浴槽の隣は「無意味に広い水風呂だった」

大みそか恒例の「物思いにふける入浴」には十分な環境だった。ちなみに料金は100,000VND

同種の「入浴料」の中では「おそらく最安」であろう。

 

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ベトナムハノイの「踏んだり蹴ったり」

2024-01-04 13:47:07 | ベトナム・ハノイ

 前のブログで「日本の難儀、自分の難儀」を伝えたが

ポジティブに今朝出社しようと愛車(プジョーのスクーター)に乗ると「どうも様子がおかしい」

そもそも駐車場から出す時に「バイクが重すぎる???」どうやら後輪の空気が少なくなっている?

経験上「あー絶対パンクだな?」と気づいてしまった。しかし状態を見ると何とか走行可能?と思い

行きつけの「バイク屋に急いだ」ところが「こんな日に限って開いていない」仕方なく、そこから一番近い

バイク屋に飛び込んだ「コーレー ラーモッケチョイカム」(多分パンクだと思う)話すとすぐに後輪に石鹸水を

着けてチェック。

*すぐに後輪に食い込んでいるねじ付きボルトを探し当てる。

*引き抜こうとするが「ねじなので抜けない」ドライベーをもってきてエンジを反対に回し抜き取る。

*接着剤を塗り付けたゴムひもを「その穴に力任せに入れ込んで終了」

*ここまで≒3分。

*いくら? 3万ドン(170円くらい)支払いを済ませ会社へ。  合計5分もかからない。

 この難儀な年明けに「踏んだり蹴ったりのバイクのパンク」だったが、ベトナム特有の見事な「簡易パンク修理」

で少し気が晴れた。 人間の体もこんな風に簡単に治ればいいのに?などとくだらないことを考えた。

日本では考えられない修理方法であり「補償」などなど「固いことで、下手をしたら日本では一日預けなければならないかも?」

これが全て良いとは思わないが?

さすがに在住12年目、この方法に「違和感は無くなっていた」

 

 

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ベトナムハノイの年始早々「大丈夫か日本?、大丈夫か自分?」

2024-01-04 10:57:16 | ベトナム・ハノイ

 年始早々の「能登半島地震」、間髪おかずに「羽田の航空機事故」

年始のYOUTUBEニュースでは「博多の火事」「山手線の無差別殺傷」などなど

地震は大きな余震が続き、寒さ厳しい場所にあって、厳しい状況が続き、復興の見通しも立たない。

年始早々大変な出来事が続いた、現政権が「瀕死状態にあったこともあり」この政権にこのような国の一大事

に果たして「対処できるのか?」などなど、海外在住者から見ると「大丈夫か日本?」という感は否めない。

 自分も他人ごとではない、「会社の未払い金訴訟」「健康問題」「円安による会社立て直し」・・・

良い話など「皆無」である。 それでも「時間は流れる」良くも悪くも時間は「過ぎてゆくのだ」

自分は何もせず「ボーとしてたら」何も変わらない。 年始2日からベトナムは通常通りの状況である。

新暦の正月など「1月1日の祭日のみ」あとは店も会社も学校も何ら変わりないのだ。

「いろんな問題で凹んでいた自分にはそれがかえって良いのかもしれない」

家に一人いたら「いらぬことまで考えてうつ状態になってしまうだろう」と思っていたが?

気づけば元日の夕方

相棒ミッの散歩から帰ると「体がだるい」「今までには無かっためまいもする」・・・熱を測ると

そこそこあった。「大丈夫か日本?」どころではなく「自分よ、大丈夫か?」であった。

唯一1つあった「解熱鎮痛剤」を飲み、いつものように「日本の市販風邪薬、パブロン」も併せて飲み

早々と就寝した。1時間ごとに目を覚ます、熱が高いようだ・・・朝起きて「出勤準備を始めるが?」体がだるい

熱を測ると「高い」、まずは「薬の確保」にために7:30アパートに一番近い薬局に出かけ、「一番効きそうなロキソニン」

、それからベトナムで一番ポピュラーな「解熱鎮痛剤、パナドール」も購入し、帰宅すると、こういう時のために買ってあった

インスタントの「おかゆ」にお湯を注ぎ「ロキソニン」を飲んでベッドに入った。「今日は会社を休もう」

気づけば午後になっていた「少し熱は下がったようだ」相棒ミッはベッドで一緒に寝ていてくれたようだ

食事をねだるでもなく「ご主人の様子がいつもと違うことを察し」一緒にベッドでおとなしく「看病していてくれたようである」

「賢い犬である」少し気分が良いので薬を飲むのを控えていたが「午後3時ごろ、熱が出てくる嫌な感じがしてきた」

熱を測ると「やはり上がってきた」、仕方なく「豆乳を飲み、パナドールとパブロン」を飲んで対処する。

大体薬を飲むと1時間で熱は少し下がる、しかし4-5時間経ち、薬が切れると「又熱が上がってしまう」そんな繰り返しを結局

朝まで繰り返した。朝になり「何とか熱も下がったようだ」(一時的には)

いつも思うことだが「さすがに病気の時は一人は大変である」ベトナム在住12年目、考えれば「こんなことは何度もあった」

「一人きりで入院したことも有る」それでも「慣れる事ではないようだ」やはり年も重ね「年が経つにつれ辛さは増してくる」

それでも「一人で耐えるしかないのだ」(もちろん状況ごとに社員や、友人、全てベトナム人だが助けられていることは

ありがたい事である)これも自分で決めたことなのだから。

「さてさて、今日は出社してみよう」・・・ 「ミッも退屈しているだろうから?」

そんなことを考えながら「新年も普通のように過ぎていく」

 昨夜は「6歳友人母上からお誘いがあり、故郷から持参した【バインチュンザン】(バインチュンを油で揚げ焼きにしたもの、

自分の好物であることを知って誘ってくれた)をみんなで食べた。その後6歳友人の「遊び」に付き合った、「こういう時は

何も考えずそれに集中できる」頭を空にして「良い時間を過ごした」、気分的にすっきりし帰宅した

6歳友人宅で「さんざん騒いだミッ」なのに、そんなミッを「散歩に連れ出す余裕」精神的、肉体的もできた。

さて明日から「頑張ろう」そう思い相棒ミッとベッドに入った。

「日本も、自分もいろんなことがあるが、しっかりしないと!」

 

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