血液透析が始まっていつの間にか1年が過ぎました。
週3回、午前7時過ぎに透析病院に着き、パジャマに着替えた後、体重測定して透析のベッドへ。血圧測定、穿刺(せんし)があり、正午前まで4時間の透析がスタートします。これまで、途中で血圧が急に下がり、汗をかいたり、足がつったりしたことが何度もありましたが、この何か月はそんなこともなく順調に推移しています。食事や水分摂取、体重コントロールに注意しながらこのまま過ごせればいいかな、と思っています。
透析後は病院で用意してくれているお弁当を食べ、着替えて帰ります。食事中、ふと外を見ると、珍しいジャカランダの紫の花が咲いていました。緊張感が取れてやっと余裕が出てきた証しなのかも。それにしても看護師さんらスタッフの名前がなかなか覚えられません。まして患者の方たちも。このほど全腎会に入らせてもらったので、おいおい交流をはかっていきたいと思っています。
桜の開花に合わせたように、ごく狭い宮崎の我が家のスペースも急に花盛りの様相を呈しています。ツツジや、プランター・鉢にガザニア、ベコニア、ボンザマーガレットなどのほか、良い匂いのする花々が咲いていて心が和みます。
我が家の匂い花はニホンスイセン、沈丁花すでに終わりましたが、フリージアがまだ健在で、今はジャスミンが満開寸前。とても良い匂いを辺りにまき散らしています。やがてバンマツリやキンモクセイも芳香を漂わせてくれることを楽しみにしています。
薄ピンクのジャスミンの花
冬の終わりに仲良しだった横浜の親類のMさんが内臓疾患のため亡くなりました。あんなに吉野桜が咲くのを待ちわびていたのに。白やピンクの蘭たちが主を待っているというのに。
手元に1枚の写真があります。戦争中の昭和18年か19年、ふたりの赤ちゃんが並んで座っています。Mさんの実家の東京で撮ったものと思われます。大人になってからは東京、横浜と、宮崎と離れて住んだ関係で一時は交流も途絶えていましたが、この2、30年は何回か会ったりラインで交信したりしていました。四か月違いの兄妹のようでした。ふたりとも植物が好きで、Mさんは殊に桜が好きでした。ラインでは文章のほか、いろいろな花の写真を送ってくれました。
透析などの都合で葬儀に参列できませんでした。あと少しで花の季節です。今年はしっかり花を見て仏壇に報告します。
もう1年以上も行っていない高鍋町美術館に足を運びました。今回は実妹と一緒にバスと電車で行き、帰りには高鍋温泉めいりんの湯で食事とお湯につかり小旅行の風情。沿道にはコブシの花が咲いていたり、もう春の雰囲気でした。
「河野扶(たすく) 向うからやってくるもの-作意を捨てて」(3月3日まで)。河野氏(1913-2002年)は宮崎県の出身ながら東京を拠点にしていたため、九州に作品は多くは残っていない、と言われていて、今回九州初の回顧展開催となりました。現在の東京大学理学部を卒業後、民間企業や高校教諭を務めたのち渡欧、画業に専念しました。遺族や、作品が多く残っている長野県東御市の梅野記念絵画館の協力を得て今回の展覧会が実現しました。
具象から出発し、のちに抽象絵画を描き、70歳のころからは独特な画風を深めていきました。絵の具を厚く塗り、削ってはまた塗る技法。そこには作意を捨て、自然に湧き出てくる美しさを定着させる河野独自の世界を形成されてゆきます。彩色古墳の渋い赤に似た色彩など日本的な体質も感じさせ、しっとりと深い。それでいてどこか洗練されていて大変興味深いものがあります。56点を展示。会期中2月23日には東御市梅野記念絵画館館長の大竹永明氏による講演会(午後2時から)も開かれます。
。
河野扶展のポスター
いよいよ寒さも本格的という感じですが、我が家の小さなプランター庭園に急に黄色の春の花が咲きました。また、近くの通路にあるツバキの1本に花が咲いて、春らしい彩りになりました。
黄色の花は菜の花。毎年花を咲かせ種を取ってプランターに蒔いています。他のプランターに植えているカブ、小松菜、ニラ、センモト、三つ葉とこの菜の花が我が家の菜園。菜の花は3つのプランターに植えているので、これから咲く花は半分は鑑賞用、残りは料理に利用しようと思っています。まず咲き始めた菜の花はお味噌汁に浮かせて春を楽しみました。もう次の花芽が大きくなりつつあり、しっかり花を咲かせようと思っています。
ツバキは木の高さが1メートル30センチ程度なのに、およそ20もの美しい花をつけ、まだ彩りの少ない辺りを華やかにしています。明るい色彩は冬の重さを払ってくれるようです。
咲いた菜の花、ツバキ