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在宅療養生活で見たこと、思ったこと、を伝えます。

回顧録 9

2015年11月25日 | 回顧録

母子寮での生活も歳月が流れ、私は小学4年になっていました。

 

すると寮内での噂で、母子寮を解散するらしいという情報が流れました。経営という観点からすれば赤字だった気がします。家賃はほぼタダ同然だし、建っている場所が市街地の、それも好条件の場所ですから固定資産税も安くはないと思います。もしかしたら借地だったのかもしれません。それで、期限が来たのかも。今はもう建物はなくて、舗装した有料駐車場になっています。

 

当時の母はSさんという家族(母親と娘の2人家族)と気が合うのか仲が良かったです。Sさんはある新興宗教の信者でしたので、自然と私の母もほぼ名前だけの形ですが入会しました。その新興宗教の関係で、市会議員と知り合いになり新たに住む場所を紹介してもらったみたい。

 

新しく住む所は同じ市内ではありますが、校区が離れていて転校は必須でした。学年途中でしたので、4年生終了までは引っ越した所から毎日路線バスの切符を買って通学しました。

 

この新しく住む所は一応市営住宅でした。しかし外観は落語に出てくるような平屋建ての長屋で、屋内の廊下は外周していて、その内側に家戸の部屋があり、障子が玄関のようなもので、よく言えば家族的、悪く言えばプライバシーはあまり保護されていない状況。風呂なし(銭湯は徒歩5分くらいのところにありました)・共同トイレ、なので家賃はお察しの通り安いです。

 

こういう状況ですからある程度お金が貯まった家族はさっさと引っ越して、経済的な状況を改善しにくい家族はそのまま残留という事になります。

 

母が母子寮時代に名前だけ加入した新興宗教でしたが、この新しい住処に来たらその新興宗教の事はすっかり関わっていなくなりました。仕事以外は飽きっぽい性格ですね。


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