中学生時代までを振り返ってみると、色々な出来事がありました。
それは、私の将来の為にその時点で出来る私への訓練として、あの世のご先祖様達が事を導かれたのではないかと思います。
・母の入院、{小学生時代・中学生時代(実は3回ありました)}、兄弟がいない : 孤独に耐える力を養い、自活できるようにする。
・粗末な住宅環境 : 質素な暮らしで満足する . . . 本文を読む
小学校~中学校の時期が身体的には順調に育ったのとは裏腹に、生活の中身の方はドロドロでした。
母のプライバシーにも関わるのでさらっと言うと、一時的に内縁の関係がありました。相手は当時隣の部屋に1人で住んでいた男で、私は当初気が進まなかったのですが、母がすっかり乗り気なので仕方なくという感じで突入です。
暫く生活して分かったのは今でいう所の、DV男でした。あ、これは . . . 本文を読む
小学生4年にして生まれてから4回目の場所に住む事になったのですが(何か転勤族の家族みたいですね)、住宅環境としてはそれ迄と比較して決して良くありませんでした。日照・通風等条件は以前より悪化していたのです。
が、ここで不思議機なのは住宅の環境は良くないにも拘らず自分の健康状態が向上してきた事です。母子寮時代迄は比較的虚弱、病弱で冴えなかったのですが、引っ越して来てから自分でも何か調 . . . 本文を読む
命の危険があったことについて(II)‥‥
③ 中学時代の事でした。当時の土曜午後・日祭日の時間潰しは自転車に乗って、あてもなく近隣を巡る事が多かったです。ゲーム・インターネットがない時代ですからそんなものでした。家事をしなければならない事も多々あり、部活はあまり時間を取られない部に入っていました。
ある踏切を渡っていた時に起きた事です。南北に線路が通っていて東西に人・自転車が通れるくらいの . . . 本文を読む
半ドン(はんどん)‥‥学校や役所(一部の民間)が土曜日に午前中に終わる事。
私が二十代前半の頃迄は日本中がこんな感じでしたね。週休二日制ではなかった。
なので、母親が働いていた私の家庭の場合、土曜日の昼食は自炊でした。朝食の残りを主に食べていましたが、小学生のある時にインスタントラーメン(袋麺ですよ。カップ麺ではないです。)が発売された時は嬉しかったです。
& . . . 本文を読む
母子寮での生活も歳月が流れ、私は小学4年になっていました。
すると寮内での噂で、母子寮を解散するらしいという情報が流れました。経営という観点からすれば赤字だった気がします。家賃はほぼタダ同然だし、建っている場所が市街地の、それも好条件の場所ですから固定資産税も安くはないと思います。もしかしたら借地だったのかもしれません。それで、期限が来たのかも。今はもう建物はなくて、舗装した有料 . . . 本文を読む
私が小学四年生まで住んでいた母子寮には入所資格があり、金融資産・不動産・多額の預金等があれば資格を満たしません。給料などの収入も一定額以下であることが条件となります。
当時の母親は離婚した際に土地建物を売却してまとまったお金を持っていました。以前住んでいた場所をたたんで無借金で購入したようですから、マイナスという事はないようです。でもそのままでは入所できないのでそのお金はある親戚 . . . 本文を読む
命の危険があった事について(I)‥‥
① 母からの伝聞ですが、私は初産だった所為なのか難産に近かったそうです。当時は時代がら自宅にてお産婆さんが取り上げてくれたのですが、なかなか産声を上げない私に手を尽くしてやっとの事で「オギャー」となったそうで、まあ、仮死状態に近い感じでしょう。
② 私はその出生した家に数年いたのですが、当時、滞在期間は不明ですが伯母が同居し . . . 本文を読む
親1人子1人で生活していて一番困ったのは母親が入院した時です。
母子寮時代だけでも覚えているのは5回あります。
その時の気持ちといったら、「もし母親が死んでしまったら、養護施設行きだ。嫌だなぁ」ということが頭の中に浮かんでは消え浮かんでは消えの繰り返しでした。
*養護施設については回顧録 2の最後の方を参照
※リンクは今はできません。すみません。
とにかく心細い . . . 本文を読む
今のご時世では母子家庭はごく普通に見受けられ、「シングルマザー」とも称され、かなり一般的に受け入れられるようになってきていてその世帯数も増加してるようです。
母子家庭になる理由は様々ですが、
・DV等身体的・精神的な被害が明らかな場合
・父親が収入を全くと言っていい程家庭に入れず、愛人を囲ったりギャンブル等に消費してしまうケース。
・父親が仕事中心すぎて家庭内を全く考慮しない . . . 本文を読む