< 昨日の続き >
なぜ肌の白さを取り上げたのかというと、それは幼児の頃から「肌が白い」というだけで周囲から傷付けられてきたからです。
思い出すのは、母子寮時代や親戚のちょっとした集まりの何気ない一言、私に向かって「〇〇ちゃん、こんなに色が白いのなら、女の子に生まれてくれば良かったのに」。
これは幼心に胸にグサリとくるものがありました。今でも覚えているくらいですから。当時の自分にはどうする事も出来ないので、ただ、黙ってその場をやり過ごすしか無かったのです。
また、小学生の時の学級担からは、「〇〇君は、もっと太陽の日に焼かれて黒くなりなさい」。当時はそうなろうと、夏は日焼けで赤くなるくらいしても、秋風の吹く頃には元の白い肌に。その先生の言動もまた非常に傷付きました。
そういうことがあっても、一人っ子ですし、母親は勤めで疲れて帰ってきて、忙しいし、誰にも打ち明けることはありませんでした。以来ずっと心の中に秘められてきたのです。今回、思いがけずに美容師さんの言葉で蘇ったという訳です。
その母親も、今でいう小学校、当時の尋常高等小学校の頃には、その外見から「外人、外人」と囃されていたと、語っていました。なんせ頭髪が、あの外国漫画のキャラクター、ベティ・ブープそのものですから。
生まれ育った場所から引っ越した後、ある時女性から、「奥さんは何時もセットして綺麗
ですね」と言われ、「これは地毛です」といって驚かない人はいないとも言っていました。
それがどうです、時代が変わり、世の中が変わるとお金を出してまで、ハーフやクォーターになりたがるんです。ヘアカラーリング剤を使ったり、カラーコンタクトを使ったり、パーマネントウェーブをしてみたり、美白化粧品を使ってみたりと。
さて、私の子供たちにも、その遺伝子が受け継がれていて、成人した今でも虹彩は明るいブラウン。例えるなら、モデルの女の子、橋本環奈の虹彩の色で、照明や日の下で見ると一層分かり易い。
頭髪も、学齢期になるまでは自然で緩やかなカール。まつ毛もカーラーをしないで「クルン」となっていたものです。
亡妻は「キャー可愛い」と言って喜んでいましたが。ま、そういう私の背景を知らないからですね。
私自身に話を戻すと、あと周囲と違うのは、音楽の好み。所謂洋楽専門です。洋専。日本とかアジアの旋律には周波数が合わないので、ピンときません。拙ブログのカテゴリを見ていただければそれは一全です。多分、遺伝子レベルで受け入れるものが違うんですね。
時代と共に、情報量の増加と共に、私のコンプレックスは薄れてきたという一末の話でした。