子どもとうさぎとねこと音楽のある風景

息子いっちゃん(2006年3月生)と3匹のうさぎと3匹のねこのいる歌と琴が好きな主婦の記録

見つけた!・・・子育て主婦の十年後の夢

2008年05月25日 | 音楽

子育てを始めるのがもう十年ほど早かったら、そんなこと考えなかったかもしれない・・・。
祖父やおじ、かわいいうさぎ、大事な存在を亡くさなかったら、人生の限られた時間について考えなかったかもしれない・・・。
最近本で読んで考えてみた、十年後の夢。

今から十年後は40代の終わり。
いっちゃんも小学校を卒業して親離れし始めるころ。
そんな時期が40代の始まりだったら、そこから何か子育て以外の自分の生き甲斐を見つければいい、なんて考えたかもしれない。
でも、私の場合、そこからは50代が待っているんだ・・・。
一般の定年が体力気力ともに一区切りだとするなら、そこまで残り十年の地点・・・。

きっと仕事もしながらの子育てで忙しいだろう・・・。
子どもの成長にいい経験をさせるために休日も忙しいだろう・・・。
自分のライフワークにかける時間なんてほとんどないだろう・・・。
だから、考えもしなかった十年後の夢。
でも、一度しかない人生だから、がんばって考えてみたのです

若かりしころはそのときそのときが精一杯で、長い目で人生の流れを考えることなどできませんでした。
でも、40年近い人生の流れを振り返って考えてみたら、ポツリポツリと小さな切れ端がつながって、大きなパッチワークの作品ができそうな気がしてきました

十代の終わりはボロボロで、最後に残った大切な布地、これが私の場合は琴でした。
「もう、この布地しかないから、これで素晴らしい作品を作らなきゃ・・・」という切迫感が気持ちの余裕を失ってしまい、結局、自分自身で挫折したと感じて作品は失敗に終わり、音楽からも遠ざかりました。

音楽より言葉が自分の世界を拡げてくれるんだと考えて、日本語教師の道に進みました。
そこで外国人歌手に教える仕事と出会い、音楽の素晴らしさを再び思い出させてもらい
、音楽と仲直りしました

歌を歌うのが好きだった子ども時代に帰って、最近声楽教室に通い始めました。

琴もそろそろ弾いてみたいけど、子どもが小さい今はなかなか弾けません。

私の歩き始めた夢への細道・・・。
それは、「童謡を作曲すること」です!!!
できれば、琴の弾き語り形式でやってみたいのです!

学生のころは、何か演奏家のエリートに憧れというのか、トップを走ってる人がプロとしてやって行く資格があるんだとばかり思っていて、作曲なども一介の素人が手をつけてはいけない、ご法度という変な制約を自分で持っていて、その第一線に乗れない(乗らない)と決めたときから、もう琴の道は自分で途絶えさせてしまいました。
今思えば単純なことなのですが、自分が演奏家になりたいということは口にしてはいけない、誰か上の人に言われて初めて目指す資格があるんだと思っていました。
自分なりに全力投球してきたつもりでいて、先生からこの道で食べて行くかという選択肢を提案されなかったことに落ち込むという非常に受け身な了見を持っていました。
・・・腕の問題はもちろんあるのですが、それ以上に、この世界でやっていくときは難しい先生方とのおつき合いや多くのお金が必要なのだと思い(知らないのですが)、自力でも無理、家族でも無理、と判断してあきらめ、なぜか大きなショックを受けていました。
要するに勝手な自滅です・・・。
この世界について行く自信が全くなく、その障害を乗り越えてでもやって行こうというだけの意志がなかったのも本当のところです。

何か簡単な童謡のアレンジを主婦の方がしていたのを見て、「こういうことは先生に指名されないとしてはいけないんだ・・・。」と思い込んでいました。
若いというのは勝手な思い込みも持ってしまいますね。
無謀なほどに突き進むならいいのですが、消極的な青さがあったわけです・・・。

30代後半、子どもも産んであつかましくなった主婦の今にして思えば、何をしみったれたこと言ってるんだ、「作曲、やってみたので先生、見てください!」なんて言えば、先生は喜んでアドバイスしてくれたはずです。
何しろ、習っていた先生のお兄さんは尺八演奏家であり作曲家でもあったのですから。

形にとらわれ、いろいろなことが恥ずかしく、どこかで大胆、どこかで内気な時代でした。

でも、今は形など気にしていません。
ただ自分で作ってみるだけでいいのです。
子どもの世界がすきで、歌を作ったり歌ったりするのが好きで、日本の音楽も愛していて、多少琴も弾ける・・・。
だから、何か曲を作ってまたどこかの老人ホームなどでちょこっと披露させてもらったり、そんなんで十分なのです
そのために毎日、少しづつ歌詞を考えたり、節を考えたり、それに合う琴のアレンジを考えたりするなかで、いろんなことを学んで自分の中に吸収していけると思うのです。
その過程が楽しく、意味があると思うのです。

そして、人生の幕を閉じるときには、少しばかりの子どもたちへの歌を作ったよ、
孫やひ孫でも、学校で音符を習ったら、自分のばあちゃんがこんなことしてたんだなと、ちらっとばあちゃんの人生を垣間見てもらえたら幸いだと思うんです。

だから、初めの一歩、歌を習いました
次の一歩、来月の誕生日に中古の安い電子ピアノかなんかを買ってもらう約束を夫としました
ピアノも習ってた子どものころより、今の方が簡単な音の組合せが新鮮で楽しいのです(実家でただ適当に鳴らしてたんだけど)。

なんでも習い始め、やり始めのつたない歩みを重ねる時期が一番楽しいような気がします。
楽器の練習は時間を取らないと上手になりませんが、その気になれば何をしてても音楽に触れられるのがいいとこです。
頭の中でも口ででも

音楽のジャンルにも二十代まではこだわりがあって好き嫌いがありましたが、今は広~く興味があります。
なんでもただ流すのと、自分なりに噛み砕いてみるのとでは違いますよね。
曲を作ろうと思えば巷で流れるメロディーにも敏感になるし、歌詞もよく聴くようになります。
走ってるのを見るのは簡単だけど、実際に走るのは大変であり、かつ気持ちがよいのと同じだと思うのです。
目的意識を持つと違うというか・・・。

そうやって暮らしていると目についてくるものが増えて、NHKのピアノ講座なんかも見ています。
すると、大学の哲学の先生でジャズが好きでピアノなど弾いたことも触ったこともなかったのに、四十代で始め、好きなジャズのアドリブを書きとめてものにして、幾通りものアドリブをマスターして、自分なりのアドリブができるようになったという方が出ていました。
素晴らしい!と、胸がワクワクしました。
そんな小さな積み重ねを地道に続けて行きたいのです。

考えたこともなかった子持ち主婦の十年後・・・。
考えてみたら、大きくて日々小さな目標が見つかりました
千里の道も一歩から。
そんな私のささやかでかつ、大きな夢の細道始まりました。
のんびり人生の旅を楽しみたいと思います

月日は百代(はくだい)の過客(くわかく)にして行きかふ年もまた旅人なり・・・芭蕉


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2 コメント

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Unknown (ウッシー)
2008-06-13 23:41:47
すてきです!
1歩1歩を歩んでくださいね。
こころで応援いたします。
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Unknown (3うさの母)
2008-06-15 19:48:06
そうですね。ありがとうございます。
山の頂上へ急ぐ旅でなく、いろんな心の景色を楽しみながら、歩くことが楽しい旅にしたいです。
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