乳幼児向けのおはなし会をしている仲間たちで、親としてのあれこれも語り合うことが多い。
うちは幼稚園、他の仲間は小・中学生の子どもがいて。
そんな親としての会話にも、どこか女学生めいた部分があり、楽しい。
いつでも思春期、いつまでも思春期・・・それが私です。
そして、私の人生終わったとき、周りの人たちに言ってもらいたい言葉は
「なんだかゆかいな一生やったね・・・」です。
もしかすると一風変わったお母さんかもしれないし、孫ができたら一風変わったおばあちゃんになるかもしれない。
でも、その方がおもしろい。
お母さん、どんなこと考えて生きてたんだろう・・・
おばあちゃん、どんなこと考えて生きてたんだろう・・・
ちょっと振り返ってもらえるとうれしい。
おはなし会に色をつけたような小さな会でお琴と読み聞かせの会をすることになりそうです。
自分の手で、素敵なミュージシャンたちのコンサートを企画したい。
とにかくこれからやり直すんだと思い立った十年前、私は子どもたちにお琴のよさを伝えたいと思った。
子どものころの夢は歌手・・・
ちょっとでも、ちらっとでも夢見たことはいつか実現する。
夢見ることすらないようなことは実現もしない。
不思議です。
二十代の後半は全く音楽から遮断してしまっていた私も結局、音楽に戻ってきました。
本当に好きなこと、本当にやりたいことには必ず還って行くのだと思います。
人によっては、とにかく全速力で走っているときに生きていると実感するとか、パンを焼いているときに生き生きするとか、さまざまだと思います。
私はなぜ、音楽に生きてる実感が湧くのでしょう?
こころの風景にすすきが揺れた・・・
桜が散った・・・
水面に波が移って行った・・・
こんな情景を音で作ることができたなら、それが生きてる実感なんです。
ふと、中学生か高校生のときお琴を弾いていて、「今、この私の手元ではらはらと錦の葉が散っていった・・・」そう感じたときがあります。
その瞬間に私は言葉にできないワクワク感を感じました。
でも、まだ世の中がわかっていない私には、音楽はあまりに頼りないというか、つかみどころのない不安定なものというおそれもありました。
今は、人生経験も経て、足取りが確かになっている部分があります。
答えのない音楽の世界にも歩いて入って行けそうな・・・
きっと絵描きは、自然のつくりしそのものを自分の手で再現できることにこの上ない喜びを見出すでしょう。
私もそれに近いのかなと思います。
お琴を弾きながら願うのは、桜が散るように自然に弾けているか?
波が打ち寄せるようにぎこちなさがないか?
そんなことです。
太鼓奏者が、ボールのバウンドするのをよく観察していると聞いたことがあります。
まだまだいろんな人たちの胸に飛び込んでこころを汲み取るほどには器量のない私ですが、
自分を表現するだけでなく、他のひとが聞いていて心地よいと感じられる演奏ができるようにしたいです。
よろこび・かなしみ・たのしみ・いかり・・・そのどれもを汲み取れるこころの器を持ちたいです。
何に・・・とはわからないけれど、この世界に、この世界の素晴らしいものに恋する気持ちを忘れないで一歩づつ自分の歩みを進めたいです。
それを思い出させてくれた玉置さんの歌と演奏を載せておきます。
このページのみなさんの書き込みでは絶賛のライブです。
安全地帯の「好きさ」
http://www.youtube.com/watch?v=qeHxCamJMVI&list=PL3998DD53471C3A34
みなさんも自分の好きなものを大事にあたためてください。
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