不況で職を失う人が絶えません。
ホームレス支援には賛否両論あります。
日比谷公園に年末、ホームレスの村ができたそうで、そのニュースが気になっていました。
そしたら、NHKのプロフェッショナルという番組で福岡のホームレス支援者の回があって、見ました。
「好きでホームレスになる人はいない」
「人はいつか変わる」
こんな言葉がありました。
腫瘍を持ちながら、ホームレス生活を続けていたおじいさんにアパートに入らないかと言い続けて7年。
毎日のように声をかけていて、ふとあるとき、「はい、入ります」と言ったそうです。
そして、そのおじいちゃんは亡くなるとき、「ありがとう」という言葉を書いて旅立ったそうです。
人と係わりたくないと、貝のようにこころを閉ざした人が、最期には「ありがとう」と言えるんだと知ったと・・・。
薄い氷が張って、それが少しづつ重なって行ってあるところに達したとき、人は変わるんだ、と。
だから、裏切られる出来事があっても、ずっと一緒に生きて行くんだと。
なかなかできないことです。
普通、何遍言っても聞かないひとを、「この人はダメだ」と思うものです。
こころの弱さからなかなか変わらない人も、本当はこころのどこかで感じているのかもしれません。
姪っ子が卒園式でみんなの前で発言しなくちゃいけなくて、それができなくて親も先生も困っていました。
しかし、本番目前に急に「やる」と言い出したそうです。
そのきっかけが親も先生も知りたいと思いましたが、わからないようでした。
うちのいっちゃん、このごろ、イヤイヤが激しくて、手を焼いています。
激しく言い合うこともあります。
こちらが怒ると、さらに反抗は増して、キーキー声を発したりします。
でも、怒ってもしないんだろうと思ってしばらく放っておくと、
「やる」と言い出すことが最近多いです。
ホームレスのおっちゃんも、5才児も3才児も、同じなのかもしれません。
みんな、目に見えないところで、少しづつ変化していて、ある到達点に達したとき、口に出して自主的に前向きにやり始めるのかもしれません。
これまで、何遍言ってもダメなことは、「何遍言ったらわかるの」とか、「何遍言ってもわからないんだね」とか、そういうもんなんだと思っていました。
でも、誰かが信じて待っていれば、人は変わるのかもしれない、とこの番組を見て思いました。
連れて行くとできるおしっこも、自分からは言ってくれず、「赤ちゃんじゃないんだから、ちゃんと言おうね。」と、こんなセリフはよくないと思いつつも言ってしまうことがありました。
でも、これは侮辱だと思い、言うのをやめました。
「お母さん、いっちゃんが言えるようになるの、待ってるからね。」
そうやって未来に期待することにしました。
夫も「こうやってくれると、お父さん、うれしいな」と言ってます。
そんな言葉で子どもは自分はできるんだ、できる子なんだと思えるようになるのかもしれません。
仕事もしてると、いろいろ小言も言いたくなります。
でも、気長に待つ、待ってると伝えることが大事なのかもしれません。
まだ理性で行動できない3才にはできなくて当然、と言われるけれど、じゃあ、悪いことをして、どうやって終わらせればいいのか、悪いけどいいとも言えないし、何かキリをつけてその場を終わらせなければならないし・・・。
だから、「今度からはできるようになってほしい。お母さんはそうなってほしいな。」とか、言えばいいんですかね?
そんなことを考えさせられたホームレス支援の番組でした。
信じてもわかってもらえないのに信じ続けるって、本当に忍耐力の要ることですよね。
ここは砂漠、カラカラに乾いて、一滴も水なんてないよ。
そんな場所に、実は地下深く清い地下水が流れていたんだ・・・。
そんな人間の深さを知らされました。
人間っていいものだね・・・。
一般的に考えている限界を超えられる人。
素晴らしいですね
あとになって、よく考えて、そのとおりにしているのを見ることが出来ますね。
言葉の持つ力を信じたいですね。
でも、大人になったら言われていたようにやっています。
他にも、子どものころは嫌がっていたことを大人になって大事に思ってやってる人をよく見ます。
不思議なものですね。
子どもが返事をしないことって、本当は返事してることよりよく聴いているのかもしれません。
そんな時間を小言ばかりで塗るのと、信じてるよというメッセージとでは明日への未来図が変わってくるのでしょうね。
気をつけなければ、と改めて思いました。