子どもとうさぎとねこと音楽のある風景

息子いっちゃん(2006年3月生)と3匹のうさぎと3匹のねこのいる歌と琴が好きな主婦の記録

体のツボと心のツボ

2010年03月19日 | 音楽

声楽教室のレッスン中に先生が「フィギュアスケートを見てると、歌と似てると思う」とおっしゃていました。

バンクーバーオリンピックのエキシビションをまだ全部見てなかったので、いっちゃんが早く寝た日などにちょこちょこ見ていました。

何度か見た高橋選手の「ラブレター」というピアノ曲のスケーティング、見ているうちに体中の表面にあるツボが反応しているように、じわーっとあたたかくなって何とも言えない体と心の心地よさを感じて自分ながらびっくりしました。

感動して鳥肌が立つとか、水の中を浮かんでるような開放感とか、いろんな感覚を経験することがありますね・・・。

体の疲れは体に働きかけ、心の元気も人それぞれ、自分の好きなことからもらっていると改めて実感しました。
その二つはもちろん、どちらも深くつながっていて・・・

ああ楽しかった、ああうれしかった、ああ感動した・・・
いろんなシーンが日々ありますが、こんなにリアルに体で感じて自覚したのは初めてでした。

「千と千尋の神隠し」の歌、4回のレッスンでしたが、先生はよくここまで変われましたね、と言ってくださいました。

まだ基本的な発声方法とかできてない部分はあると思いますが、そのテクニックを習得するやり方ではなく、どんなイメージを持って歌うか、言葉の響き、緩急のつけ方、リラックスの度合い、そんな気持ちの持ち方でずいぶん捉え方や歌い方が変わるものだとびっくりしました。

高橋選手のけがやリハビリの経緯を詳しくは知らないのですが、けがを克服してのメダル、あのスケーティング、涙、笑顔・・・
技術だけでないものが表現として表れていると胸を打たれました・・・
やっぱり初めに心ありきです。

エキシビションを見ながら、あれこれ夢想していました。
音楽と心のありよう、歌と心境・・・

「歌は世につれ、世は歌につれ」と言いますが、流行りの歌とそのころの自分の境遇は重なっていて、その当時の心境や状況が鮮明に思い出されることがあります。

それで、つらい時期に聞いていた音楽を聞くと、その当時の自分がよみがえってきて、またつらい心境になったりもします

そんなこともあってか、つらい時期はあまり歌を聞いていませんでした。
私の妹も、自分の感情を押し殺している時期、歌は聞かなかったと言っています。
ひとの感情に敏感になり、自分の感情も外に出したり自覚したりし始めたとき、妹は言葉のある歌をじっくり聞くようになったと言っています。
(私のこんな独り言は他の人が聞いてもよくわからない話だと思いますが、妹とは不思議に言いたいことが通じるようです。)

私自身は、自分の気持ちも自覚しようとしていたり、他の人の気持ちを以前より考える余裕がでてきてるのか、自分の心の中や他の人の心の中、その広がりなどを見渡してるからか、言葉のある歌というものを最近実感しやすくなってるようです。

誰かたったひとりだけにわかる歌というのがあるとしても、それはよい歌にはならないと思います。
ひとり以上、何人もの人の心に響くからよい歌となるのでしょう。
歌が自分に密接に感じられるということは、どこかで他の人を思える幅があるように思います。
歌に限らず音楽はそんな気がしていますが、特に言葉のある歌はそうです。

自分で勝手に歌っていた歌を変えられたという経験は、解釈の幅、その歌の持つ潜在的な力、歌う人による違い、そんなものを知った気がします。
不変不動のものではなく、いかようにでも表現できるもの、それをどう捉えて表現しているのか。
この言葉は似たようなもののなかでなぜこれと決まったのか・・・。
歌のできて行く過程、歌い方を決めて行く過程を自分なりになぞるというか・・・。
そんなことを考えながらひとりで歌っている楽しいひととき・・・。
巷で歌を聞く、テレビで見る、その言葉ひとつひとつの歌い方に敏感になることの楽しさ・・・。
本当に楽しくておもしろくてしょうがない・・・そんな感じです

私は小さいころ、一番精神年齢が高かったと思います。
そして、諦念みたいなものも感じていました。
頼られる時期も年齢が低いほど多かったような気がします。
それがしんどくて、重荷で、自分も誰かに受け止めてほしくてけっこう好き勝手感情を出してみた時期があり、今はまた大人になってきたかなと思います。
自分に余裕がない人には誰も頼ろうとはしません。
成人して以来、あまり頼られることはなく過ごしていましたが、最近、少しひとに頼られることもあるように思います。

でも、今は頼られてもしんどくならないように思います。
自分もひとを頼みとするし、他のひとも頼ってくれたらうれしいしで、そうやっていろんな周囲の人々がその人らしく伸びて行ければ一番いいと思うからです。
互いに生かし合う、その人にしかできない役割を果たしながら協力、共生して行くすばらしさをわかってきた、一応大人として成長してきたかと思います。

だから、ひとりよがり、自分の思い込みだけで考えていた音楽とは今は違うことができる気がしています。
そんな心の成長も含めて、音楽とつき合えるのが、本当に楽しいのです。

周りの大人より精神年齢が高い子ども時代、私は歌をよく歌っていました。
そして、また本当の大人になってきた今、私は歌をよく歌っています。
ひとのことを考えられる、そんなときに歌をよく歌っているというのは偶然ではない気がして、長々とこんなことを書いてみました。
(わかりにくいですよね

人や動物の体の中には、血管や胃腸の面積やら、身の丈の尺度を越えた宇宙的な規模の世界が広がっていると聞きます。

心のひだを知る、人情の機微を知る・・・
ひとのこころに対する感度が高くなると、こころの広がり、その深さ、景色・・・また見えない広大な世界を知るのだと思います。
それはやっぱり素晴らしいことですよね

そんなことをぼんやりと考えながら、高橋選手のスケーティングを眺めていました

きっと、そのとき、私の体はひとつの楽器のようになって最大限に共鳴していたんでしょうね

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