今日は絵本の日です。丸川さんが黄色い花たちを持ってきてくださいました。
サンシュユ・ラッパ水仙・レンギョウなど、綺麗ですね。
さっそく植物クイズが始まりました。
昔の生活など、お話が弾みます!
今日の絵本は「つるにょうぼう」でした。
お話しのあと、鶴を折って遊びました。
午後はお雛様の塗り絵をしました。
今日は絵本の日です。丸川さんが黄色い花たちを持ってきてくださいました。
サンシュユ・ラッパ水仙・レンギョウなど、綺麗ですね。
さっそく植物クイズが始まりました。
昔の生活など、お話が弾みます!
今日の絵本は「つるにょうぼう」でした。
お話しのあと、鶴を折って遊びました。
午後はお雛様の塗り絵をしました。
小泉八雲旧宅に行きました。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、イギリス人軍医の父とギリシャ人の母の間に、ギリシャで生まれました。アメリカで新聞記者を勤め、来日。島根県尋常中学校、熊本第五高等学校の英語教師、「神戸クロニクル」紙記者を経て、東京大学講師、東京専門学校講師として英文学を講じた。その間、松江時代に日本女性の小泉セツと結婚、帰化して小泉八雲と名乗った。日本を愛し、随筆集『知られぬ日本の面影』や小説集『怪談』などの数多くの著書を著し、日本を世界に紹介した。
素敵なおうちでした。静かな時をすごさせていただきました。
お庭も当時のままなんですね。
八雲は明治37年(1904)、東京で亡くなるまでの14年間を日本で過ごし、その間、松江・熊本・神戸・東京と四つの都市に住みました。松江では1年 3ヶ月弱暮らし、その内の約5ヶ月間をこの家で過ごしました。八雲が住んでいた当時のままで保存されているのは、現在では松江の小泉八雲旧居だけです。
小泉八雲宅は、武家屋敷の並びにありました。
小泉八雲旧宅
武家屋敷が並びます。松江は戦争で焼けていないので、落ち着いて感じでいいところですね。
皆さんは松江城のお堀をめぐる「遊覧船」(こたつ船)に乗られました。
国宝に指定された、松江城です!
大根島へ向かいます。
大根島へ向かう道から、伯耆富士といわれる「大山」が見えました。
雪を頂いて冨士山のようでした。
大根島の由志園へ行きました。
波静かな中海に浮かぶ周囲わずか12Kmの小さな島。それが大根島です。その平坦な姿からは想像できませんが、約20万年前の噴火活動によって誕生した火山の島です。
年間180万本もの生産量を誇る大根島は、ぼたんの島として知られています。大根島のボタンは県花にも指定され、国内のみならず、海外にも出荷されます。
由志園は、お庭も広く、綺麗に手入れされていて、素敵でした。
桜の季節、つつじの季節、紅葉の季節それぞれ綺麗でしょうね。
駐車場の隣に、早咲きの桜が咲いていました。
高速を走っていると、雪が見えました。
広島へとバスは走ります!
3月15日(火)佐伯沖組仏教壮年会は、島根県邑南町(おおなんちょう)市木(いちき)の浄泉寺さんにお参りしました。
立派な本堂です!
妙覚寺からは住職と坊守が参加しました。
浄泉寺の現在の本堂は、平成14年3月30日に落慶法要が行われました。昭和46年に火災にあって全焼してしまった本堂の図面を利用して再建築されたものです。前住職の朝枝善照先生は龍谷大学で仏教史学の教授を務められ、平成19年に亡くなられました。
浄土真宗の篤信者を「妙好人」と呼びます。
これは、市木(いちき)・浄泉寺の第11代住職・仰誓(1721~1794)和上が再編集された『妙好人伝』(上下2巻)に数多くの篤信者が紹介されたことによって一躍注目を集め、ひろく布教伝道の場で利用されるようになりました。そして、『妙好人伝』は僧純、象王等の続編を相次いで生み出し、『妙好人伝』(永田文昌堂刊・1958年)には、全国に157人を数えています。
仰誓(ごうせい)和上は23歳の時、伊賀上野・明覚寺(三重県上野市中町)の住職となり、大和の清九郎をはじめ、多くの篤信者に会うことができたことが縁となり、それら篤信の人々の逸話を集めて『親聞妙好人伝』という小さな本を編集しました。
その後、石見地方に流行した「円空の邪偽」という異安心の教諭と、住職不在であった市木・浄泉寺からの要請とが相俟って、法嗣履善(りぜん)を伴って入寺したのが41歳の時であったという。浄泉寺に入寺して、仰誓・履善父子は教化伝道に努めた。浄泉寺は門下に33の寺院を有する大寺院であったが、入寺の年に学寮を開設し、明和年間(1760年代後半)が44人、安永年間(1770年代)には61名の入寮者があったことが知られている。履善と共に「三業惑乱」において活躍した西田・瑞泉寺(大田市温泉津町西田)の学匠・自謙はその高弟の一人であり、他に誓鎧、唯浄らを傑出している。
『妙好人伝』は、仰誓和上の没後二十五回忌に際し、履善、克譲、法梁らが梓行を計画し、天保4(1833)年誓鎧の序と僧順の跋(ばつ)を加えて開板されたという。
お参りさせていただき、坊守さんからお話しをお聞きしました。
また、浄泉寺は、コンクリートでできた杉の木が描かれている橋脚が寺の中に立ってる事で知られてるお寺です。『なにこれ百景』で取り上げられました。
浜田自動車道建設の際、立地上どうしてもお寺の敷地内に橋脚を立てなければならなくなり、「市木」の名前の由来となった「いちぎの一本杉」をモチーフにして担当の技師の方が、杉のデザインを考えられました。縦8メートル、横4.5メートル、高さ50メートルの橋脚に、コンクリートでできた杉の木が描かれています。
浄泉寺の山門は、石見三大山門の一つとして有名です。龍の彫刻がほどこされた立派な楼門です
午後からは、江津 浄光寺さんにお参りしました。妙好人有福の善太郎さんゆかりのお寺です。
能美住職より、善太郎さんのお話しをお聞きしました。
天明2年(1782)に生まれた善太郎は、若いころは乱暴者で村人から「毛虫の悪太郎」とあだなされ、嫌われていました。しかし、3人の子どもが次々に死んでいくという不幸に遭遇してから、命がけの念仏行者になりました。野良仕事の最中でも、近くの光現寺の鐘がなると、裸足のまま法座にかけつけたといわれます。盗人と疑われ、ののしられた相手に、帰り道おなかがすくだろうと草餅を与えたり、どろぼうが逃げ場を失って木に登ると、その木にはしごをかけて逃がしたなどの逸話が伝えられています。
浄光寺境内には野良着姿で手を合わせた善太郎の像があります。
石州人の心のよりどころである善太郎。彼の名は、「妙好人伝」にもあげられています。
「にんげんなら、にんげんらしゅう、してくらせ、おやなら、おやらしゅうに」善太郎さんの言葉です。
宿泊先の玉造に向かいました。
玉造温泉 ホテル玉泉に宿泊しました。
安来節民謡ショーがありました。
ドジョウすくいを楽しみました。
3月14日のデイサービス、「椿」のちぎり絵を完成させました
午後は、お喋りをしながら塗り絵をしました
ティータイムも楽しく会話が弾みます
「今日もあっという間に終わっちゃうねえ」と。
今日の作品。色とりどりのお花ですね
今日も楽しかったですね。また会いましょう