本日取り上げるのは歴史シミュレーションゲーム『三国志』の1作目だ。
発売は1985年。1983年発表の『信長の野望』の成功に、
2匹目のどじょうを狙った光栄が世に送り出した、
歴史シミュレーションゲームである。
舞台となっているのは後漢から三国時代までの、
西暦189年から215年頃までの時代で、
プレーヤーはシナリオごとに選択可能な複数の君主から1人を選んで、
中国統一に乗り出すことになる。
現在は2020年に発売された『三国志14』が最新版らしいが、
シリーズを重ねるごとにシステムが複雑になっており、
俺様は1992年の『三国志III』までしかプレイしていない。
今から新たにこのシリーズを遊ぶのは中々ハードルが高い気がするが、
当時はなんせ1作目であり、ゲームにハマりまくった挙句、
吉川英治氏の『三国志』にも没頭してしまうにわかファンが大量発生した。
俺様もその口であり、『曹操』や『孫権』はもちろんのこと、
『劉備』の『劉』の字でさえ、今でもスラスラ書いてしまえる。
有名なタイトルなので、知っている方は多いゲームと思うが、
1作目の『三国志』は最大8名でプレイすることが可能だった。
対戦といいつつ、当時はネット対戦なんてないので、
1台のパソコンを使って、交代で遊ぶのである。
俺様、後にも先にも1回だけ、この多人数プレイというのをやったことがあって、
当時高校1年生か2年生ぐらいだったと思うのだが。
とにかく俺様を含めて5人の友達が我が家に集まって遊ぼうかということになった。
プレイするのはシナリオ1「打倒董卓」と決まった。
「三国志」は時代が下るにつれて、勢力バランスが偏ってくるので、
皆で遊ぶならシナリオ1がいいよね、ということである。
問題は、誰がどの君主を選ぶのか、ということだ。
公平さを期して、ジャンケンにより、順番に選ぶことになった。
これはもう真剣に勝負せざるを得ない。
『三国志』は文字通り、3つの国による天下統一の争いの歴史である。
即ち、曹操の『魏』、孫権の『呉』、劉備の『蜀』が主人公であり、
その他の有象無象の皆さんは引き立て役に過ぎない。
我々としてもそれは百も承知であるので、
少なくとも3番手までに滑り込まなければ、非常に不利な展開が予想されるのである。
特に、劉備と趙雲が大好きな矢野君は、今日という日を並々ならぬ思いで迎えており、
なんとしても劉備を手に入れたい気持ちでいっぱいだ。
ちなみに、シナリオ1で選択でいる君主は8名おり、下のような面々である。
短時間ではあるが、非常に気合の入った勝負により、
勝ち上がった3人が順当に『曹操』『劉備』『孫権』を選択した。
残る君主は『袁紹』『袁術』『劉表』『董卓』『劉焉』の5人である。
劉備好きな矢野君は、痛恨のジャンケンマッチ敗退で、泣く泣く袁紹を選んだ。
消去法の結果だ。董卓軍は強いが、心情的にはやはり選びたくはない。
とはいえ袁紹も納得いかない。なんで俺が袁紹なんだというやり切れない気持ちである。
最後に残った上居君は劉表を選択した。
三国志界における「THE地味」を代表する君主であるが、
上居くんは元々三国志にそれほど強い思い入れはないので、
特に不満もなくプレイは開始された。
このゲームは、毎月1回順番が回ってきて、
プレーヤーは開発やら戦争やら人材登用やら訓練やら、
沢山のメニューがある中で、1つだけ命令を与えることが出来る。
他のプレーヤーが考えている間は、基本的にすることがないので、
周りでしゃべっていたり、漫画を読んだり、犬と遊んだりしていた。
順番が来ると名前が呼ばれるので、いそいそとパソコンの前に移動するのだが、
そのうち本人の名前ではなく、君主の名前で呼び始めた。
「おい、曹操、曹操の番やで」
「次、孫権」
といったかんじである。
件の矢野君も、「袁紹、袁紹」と呼ばれるのだが、
なんだか名前を呼ばれるたびに機嫌が悪くなっていく。
袁紹は名家の出身で、配下の人材も豊富だが、
「三国志演義」では曹操の噛ませ犬であり、その他大勢の1人に過ぎない。
劉備として生きることを望んでいた彼は、
目の前で関羽や張飛が他の人間に使われることに我慢がならなかったようだ。
「えーと、つぎ袁紹やで、えん」
「袁紹じゃないわ!!」
彼はそう言い捨てると、我々を置き捨てて帰っていった。
以後、「対戦は揉める」という教訓を得て、三国志の対戦プレイは行われなくなった。
この件については、40年経った今になっても、
「袁紹事件」として取り上げられることがある。
発売は1985年。1983年発表の『信長の野望』の成功に、
2匹目のどじょうを狙った光栄が世に送り出した、
歴史シミュレーションゲームである。
舞台となっているのは後漢から三国時代までの、
西暦189年から215年頃までの時代で、
プレーヤーはシナリオごとに選択可能な複数の君主から1人を選んで、
中国統一に乗り出すことになる。
現在は2020年に発売された『三国志14』が最新版らしいが、
シリーズを重ねるごとにシステムが複雑になっており、
俺様は1992年の『三国志III』までしかプレイしていない。
今から新たにこのシリーズを遊ぶのは中々ハードルが高い気がするが、
当時はなんせ1作目であり、ゲームにハマりまくった挙句、
吉川英治氏の『三国志』にも没頭してしまうにわかファンが大量発生した。
俺様もその口であり、『曹操』や『孫権』はもちろんのこと、
『劉備』の『劉』の字でさえ、今でもスラスラ書いてしまえる。
有名なタイトルなので、知っている方は多いゲームと思うが、
1作目の『三国志』は最大8名でプレイすることが可能だった。
対戦といいつつ、当時はネット対戦なんてないので、
1台のパソコンを使って、交代で遊ぶのである。
俺様、後にも先にも1回だけ、この多人数プレイというのをやったことがあって、
当時高校1年生か2年生ぐらいだったと思うのだが。
とにかく俺様を含めて5人の友達が我が家に集まって遊ぼうかということになった。
プレイするのはシナリオ1「打倒董卓」と決まった。
「三国志」は時代が下るにつれて、勢力バランスが偏ってくるので、
皆で遊ぶならシナリオ1がいいよね、ということである。
問題は、誰がどの君主を選ぶのか、ということだ。
公平さを期して、ジャンケンにより、順番に選ぶことになった。
これはもう真剣に勝負せざるを得ない。
『三国志』は文字通り、3つの国による天下統一の争いの歴史である。
即ち、曹操の『魏』、孫権の『呉』、劉備の『蜀』が主人公であり、
その他の有象無象の皆さんは引き立て役に過ぎない。
我々としてもそれは百も承知であるので、
少なくとも3番手までに滑り込まなければ、非常に不利な展開が予想されるのである。
特に、劉備と趙雲が大好きな矢野君は、今日という日を並々ならぬ思いで迎えており、
なんとしても劉備を手に入れたい気持ちでいっぱいだ。
ちなみに、シナリオ1で選択でいる君主は8名おり、下のような面々である。
短時間ではあるが、非常に気合の入った勝負により、
勝ち上がった3人が順当に『曹操』『劉備』『孫権』を選択した。
残る君主は『袁紹』『袁術』『劉表』『董卓』『劉焉』の5人である。
劉備好きな矢野君は、痛恨のジャンケンマッチ敗退で、泣く泣く袁紹を選んだ。
消去法の結果だ。董卓軍は強いが、心情的にはやはり選びたくはない。
とはいえ袁紹も納得いかない。なんで俺が袁紹なんだというやり切れない気持ちである。
最後に残った上居君は劉表を選択した。
三国志界における「THE地味」を代表する君主であるが、
上居くんは元々三国志にそれほど強い思い入れはないので、
特に不満もなくプレイは開始された。
このゲームは、毎月1回順番が回ってきて、
プレーヤーは開発やら戦争やら人材登用やら訓練やら、
沢山のメニューがある中で、1つだけ命令を与えることが出来る。
他のプレーヤーが考えている間は、基本的にすることがないので、
周りでしゃべっていたり、漫画を読んだり、犬と遊んだりしていた。
順番が来ると名前が呼ばれるので、いそいそとパソコンの前に移動するのだが、
そのうち本人の名前ではなく、君主の名前で呼び始めた。
「おい、曹操、曹操の番やで」
「次、孫権」
といったかんじである。
件の矢野君も、「袁紹、袁紹」と呼ばれるのだが、
なんだか名前を呼ばれるたびに機嫌が悪くなっていく。
袁紹は名家の出身で、配下の人材も豊富だが、
「三国志演義」では曹操の噛ませ犬であり、その他大勢の1人に過ぎない。
劉備として生きることを望んでいた彼は、
目の前で関羽や張飛が他の人間に使われることに我慢がならなかったようだ。
「えーと、つぎ袁紹やで、えん」
「袁紹じゃないわ!!」
彼はそう言い捨てると、我々を置き捨てて帰っていった。
以後、「対戦は揉める」という教訓を得て、三国志の対戦プレイは行われなくなった。
この件については、40年経った今になっても、
「袁紹事件」として取り上げられることがある。
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