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労働賛美:愚

(以前の記事からの続きとなります⇒)
体裁や権威といったものに左右されず、
自らの価値基準で生きているつもりでも、
たぶらかされてしまうときもある。
「本社の偉い人が見られることになりました」
「本社から、エラい人がやってきます」
“偉い人”と“エラい人”との違い。

所謂(“いわゆる”と読む)、“含み”のある言い方と言うもの。
そんな親会社から、この職場に出向してきたエライ社員が言ったことが…。
「とにかく、まず自分の仕事のことを1番に考えて、学んでいく…!」
それからは…。
「まず自分の仕事のことだけを1番に考えていく…」
「自分の仕事のことを1番に考えていく…」
そして…。
「自分のことだけを1番に考えていく…」
「自分だけを1番に考えていく…」
「自分だけを…」
…と、いつまでも自分のこと。
“そろそろ他人にも意識を向けても良くないんじゃない?”と、
笑い話にもしていたけど。
それも毎日のようにもなれば、笑えない気分にもなる。
ただ対面や体裁を整えただけで、自分本位なことしかしていない。
仕事が好きな訳でもなければ、やる気もなく。
特別な資格や技能を磨くこともせず。
デスク表や名刺についた肩書きを自分の力だと勘違いしたまま老人となり、
社員証や名刺も返した。
それでも給料は欲しい。
そこで子会社にやってきて、大層なことを言っているだけで、
何もしようともしない。
こんなアホウは、社会を一通り見れば、珍しくもなく。
それなりに見慣れてもきた。
「自分のことしか考えない」
「自分ことを考える」
大きな違いだ。
親の不始末を子供が始末をつけるという話も珍しくはないけど。
それでも子供の何倍もある親会社が、
子会社に始末をつけさせようという話は、親子の関係なら、
虐待に等しい話。
子供がグレたとしてもおかしくもないというところ。
(2020年7月一部訂正:続く⇒)
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