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今だから言えること、今となっては言えないこと。


数年前…、
「他人(ひと)の善意は、お金には換えられない」という言葉を、
当時の上司から、よく聞かされることがあり。
今でも思い出すことがある。
そして…。
「他人(ひと)の善意には、対価は不要なのだろうか?」
「善意は、タダなのか?」と…、
まるで呪いのように、暗い感情を残している。
(関連する過去の記事「かたり、たかり:逸~誤」)

その後、この「善意の強要」を強いた上司との諍いもあって、
社内で干されることにもなり。
かなり悩まされることになった。



学校教育などでは…、
「人の善意は、お金には換えられない」と教えられる。
また、社会通念上、善意を期待される状況下においては、
多少の不都合があっても、文句は言いづらい。
善意への対価は、善意であるべきだが…。
“なんと言っても、金額を明記できないのですから、ねぇ”
“金額に換算すれば、いくらだか分からない”
“つまり、善意への対価は決まってなく“
“決まっていないのなら、タダでもいいことになる”
…と、言葉に惑わされる訳でもないけど。
「対価をともなわない?」
「値段のつけられないものは、無料(ただ)?」
もちろん…。
こんなのは、他人の善意にたかるクズたちの身勝手な思い違い。




それが、“当たり前”となっていることは、
“何故、そうなのか”を説明するのは、難しく。
そして、“当たり前”のようになっていることが、
明らかに間違っているときも…、
“何が”、間違っているのかを説明するのが難しい。
いつもの生活と行動から、
「善意への対価は、何なのか?」を、少し考えてみた。
他人からの好意や善意をあれば、その負担に報いようとする。
だがら「ありがとう」と言う言葉も、自然に出てくる。
それは「善意への感謝」があるから…。
そうか!!
「善意」への対価は、「感謝」だったのだな。
他人からの善意を、当たり前のように考えるようになれば、
感謝など忘れて、ぞんざいな態度となる。

「君の上司は、とくに悪いことをしている訳でもない」
「だから、善人だ」
こんな言葉ではなかったけど…。
似たような意味のことは言われた。
ミソもクソも、まとめてしまった世界は、狂気か平和か?
正直、分からない。




追記:
煩雑な仕事に追われていると…。
「“面倒なこと”などは、
誰か、他(ほか)の人にやってもらえればいい」

そんな都合のいいことを考え、
押しつけてしまっていることが1つや2つある。
年末調整などの書類は、経理部の人間に任せたままで、
職場のスケジュール調整などは、
希望だけ出して、上司に任せきりでもある。
もちろん、大人の世界では、
一方的に、誰かのお世話になってばかりなどは許されない。
そんな気持ちが、“負い目”となっていたのだろうか?
今、考えれば、無能なブラック上司だったと分かるけど。
そう言い切れるほどのものが、当時はなかった。
それだけのことだったのだろう…。
<2022年3月加筆訂正>
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