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炭素野郎たちの愚能指数?


1分、1時間、1日・・・、1年や2年といった単位でなく。
10年、20年といった期間で形成されている人間関係は、
何も“含む”ところがないからこそ、言葉に詰まったままとなり。
そのまま、出口の見つけられないものも少なくない。
・・・などと、重々しい始まりとなったけど、

古い友人たちに「ちょっと時間を割いて、街に出られないか?」と、
連絡を入れたいと思ったもの。
このコロナ過では、どうにも気分が乗らない(当たり前!)。
なんとか連絡先を確保できたとは言え、
(“ほ・ん・と・う”にツマらない事情で)連絡のとれなかった友人への、
リカバリーも考え、妙に煮詰まっており。
知能指数は下がり、愚能指数(※)が上がっているのを、
自分でも認識できる始末である。
そんな状況だからなのか?
この“はんぐおーば”へとアップするハズだった文章を、
そっくり消失する失態までしていた。


※愚能指数:「こんなヒドい言葉はありません」と記すつもりでしたが、
検索でチェックすると、ネット上の一部で用いられている造語!


自分の考えを“文章”とすることによって、頭の中が整理されてしまうのか?
1度、文章に記したことを、もう1度、記すことが、
何故か?出来ないときがある。
そこで、ゴチャゴチャと、PC内の文章データーを整理しているだけとなり。
なんと、11月中、なにもアップすることもなく。
数週間が過ぎていたことに、気が付くこととなった。
実のところ、アップする予定だった文章も、“出だし”部分しか書いてなく。
他の文章や画像などの編集、整理もあわせて行っていたときでもあり、
区切りもついていない文章を保存しないまま、
(深夜だったこともあり、)一旦、睡眠をとってから、
片づけようと考えていたものだった。
そして、朝方…。
何故か、スリープ状態にしていたハズのPCが、再起動後の状態となっており。
何を書こうとしていたのかも思い出せないまま、となってしまった。



それにしても…。
「コロナの収束が宣言された訳でもないのに、街にあふれる人たちが多すぎる」
そう思ってしまうのは、ヒネた大人は愚能指数が高めだからかな?
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