タイでゴルフ友達になりましょ。

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杉原輝雄プロ、一度 タイに来てほしかった!

2011年12月30日 | タイの番外編
  
 三回連続で ゴルフ以外の話、LCC について書き込もうと していましたが、急遽 「ゴルフ界のドン」 こと
杉原輝雄プロの死亡が伝えられました。 今日は杉原プロを 偲んで、杉原プロの話しに変更しますネ。
LCC の続きは 明日に延期しますので、悪しからず です。 お許し下さいませ ・・・

個人的に杉原輝雄プロのファンでしたので、同プロの書籍や記事は 読んでいるほうでした。 友人によると
最近は夕刊紙に 「まだ死ねん!」 と 題したコラムを 掲載していたそうで、結構 人気があったようです。

 
<ジャンボが 唯一 頭が上がらなかったプロ…>

が、11月9日付の59回目の連載に、 「しんどくて、もう いっそ 死んだ方がましや、という状態です」 と
本音で体調を 明かして、「さようなら」 と 結んで連載を 終えていたようです。 その友人から この事を
聞いていましたので、気にはなっていましたが、この訃報を 聞いた時、やはり という心境でしたネ。

 1937年に関西地方の農家の三男として生まれ、小学生の頃から大阪・茨木CCでキャディーとして働き、
中学卒業後に同CCに就職。 定時制高校に通いながらゴルフ場の研修生となり 「客がラウンドする

 
 <つるやオープンで 68歳予選通過…>

前から 終わるまで練習グリーンで、ずっと パットを していた」 と 言われるほど、努力を 続けて20歳の
1957年 プロテストに合格。 160センチと 小柄で飛距離のハンディは、正確なショットやパットで補う …

 1962年の日本オープンで初優勝を果たすと、その後もトッププロとして 毎年勝利を 積み重ねながら、
長年 活躍し、プロ通算63勝 (海外1勝、シニア6勝を 含む) を 挙げました。 関西の若手を も
引っ張るリーダーと して慕われ、1984年からの5年間は 男子ツアーの初代選手会長も務めています。

   
<同一大会連続出場の世界新記録…>

高校定時制の学生だった彼は、同CCの洗濯係として働き ようやく コースに出られるようになった時、
名門コースの会員とのラウンドで、小遣いを 貰うことが “プロゴルファー” と しての原点でした。

ゴルフ界を 引っぱって来た、まさに “ゴルフ界のドン” と、呼ばれましたが、唯一 杉原プロに刺激を
与えたのは、プロ野球から転身して 1970年にプロ入りした尾崎将司だったようです。 180センチの

恵まれた体から圧倒的な飛距離を 武器にしたジャンボ尾崎プロに対し、杉原プロは ショットの精度と
小技、しぶとい精神力で立ち向かい、“ドン”と しての存在感は 絶大だったと聞いています。

  
<遼クンの素質を 見抜いていた…>

 試合に出るたびに ツアーの最年長出場記録を 塗り替え、際立ったのが 2006年のつるやオープン、
68歳10カ月で予選を 通過し、米ツアーでサム・スニード (米国) が 持つ67歳2カ月の記録を

上回りました。 また 昨年4月には 中日クラウンズで51年連続出場を 果たし、アーノルド・パーマー
(米国) のマスターズ・トーナメント50年連続出場を 抜いて、同一大会連続出場の世界記録を 更新!
この二つの記録は、いかにも杉原プロらしいですネ。 今後 破られることは無いでしょう ・・・

 今年はセベ・バレステロス選手といい、杉原輝雄プロといい 素晴らしい偉大なゴルファーが
亡くなり、非常に寂しく 残念に思います!  謹んでご冥福を お祈りします。 



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