昨日からの続きです。 バンコク週報の連載記事 “私流 ゴルフとビジネス” で、インタビューした
内容を 魚谷さんの “人となり” を 通して、バンプラCC とカオキオCC の人気が窺われますので
その連載記事を 二回にわたって 当ブログでも紹介しています ・・・
<クラブハウスから臨むパンプラ インターナショナルGC…>
『電気技師だった魚谷さんが、現在の親会社社長の先代からゴルフ場業務に誘われてから、かれころ
40年になる。日本のいくつかのゴルフ場では、用地を確保するため地主と交渉し、買収する業務から、
造成、そしてオープンと、すべてに携わってきた。またこの間に、バブルの発生から崩壊まで、
ゴルフ業界の様子もつぶさに見てきた。
そんな魚谷さんが、初めて海外勤務となったバンプラGCに着任した時は驚きの連続であったという。
当時、日本と比較すると、芝も少なく土がむき出しになっており、カチンカチン状態。お客も減って
きており、危機的状態だった。まずはタイの気象状況を調べ、それに合わせた植物の育て方を学習し、
<富山県出身の魚谷さん、県人会対抗ゴルフ戦で…>
庭の手入れと同じように丁寧に根気よくコースを育んできたという。この時の救いは、ゴルフ場に夜露が
降りていること、これを上手く活用すれば、より良い芝と植物の管理が可能であると確信したそうだ。
その後、出水とポンプの自動化やカート路の造成、水不足解消のため11番と12番に池を造りながら、
2008年にコースの一部とクラブハウスのリニューアルが行なわれ、現在のバンプラGCを誕生させた。
魚谷さんが着任した数年後に、ビール大手シンハ・コーポレーションからトーナメントの要請があり、
この時ほど、苦労が報われたと実感したことはなかったと述懐している。その後、横浜CCグループが
07年から管理運営することになったカオキオCCに、10年1月から異動している。
<マークセン選手に賞品を 手渡す魚谷さん…>
魚谷さんのゴルフ歴も仕事と一緒で40年と長い。ベスクロは78だが遠い昔の話で、現在では90台が
出れば良い方で、100を切るのがやっとだと照れ笑いしていた。月3回~4回のプレーも、楽しむより
コースのチェックになってしまうと嘆く。やはりコース管理が仕事であると、どうしてもそんな立場で
コースを見てしまい、真剣にプレーしたり、楽しむことができないのかも知れない。
魚谷さんがゴルフ場の仕事に就いた若かりし頃、二つの教えを厳しく叩きこまれたという。一つは
「コースはその街に公園を造った気持ちで事にあたれ」そうすると、草木や植物などに対して優しい
<バンプラGC の名物ホール・12番ショートホール…>
気持ちが生まれ、周辺の人々の気持ちを優先させられるという。そして二つ目は「お客の立場で
ゴルフ場を見ろ」そういう観点で見ると、どこに危険性が潜んでいるか、どこか汚れている所は
ないかなどの点が、自然と視界に入るという。この二つの視点だけはバンプラとカオキオのタイ人
スタッフにも、伝えていきたいと語った。
現在では二つのコースとも、一年を通してお客が多い人気ゴルフ場となっている。だが、それは
魚谷さんはじめスタッフの、決して外観からは見えないコースへの気遣いと愛情の賜物で
あることを実感させられた。』
この他にも いろいろと苦労話を お聞きました。 またの機会に ・・・
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