昨日のタイ 23日は「チュラロンコン大王記念日」で祭日でした。タイの現王朝の5代目、
ラマ5世であられたチュラロンコン大王が亡くなった日であり、記念日になっています。
プミポン前国王も亡くなられたのが10月13日と、10月に偉大な国王の死が重なりました。
<ラマ5世のチュラロンコン大王…>
釈迦に説法でしょうが、タイは1238年 (779年前) 以来、小タイ族による最初の国家とされる
スコータイ王朝・アユタヤ王朝・トンブリ王朝、そして 1782年 (235年前) にバンコクに首都を
移して 現在の王朝であるチャクリー王朝 (バンコク王朝) という、時代の流れがありました。
このタイの歴史上で「偉大な三大国王」と呼ばれているのが、スコータイ王朝で全盛期を築き
タイ文字を造ったと言われる「ラームカムヘン大王」(スコータイ王朝)、そしてその生涯が
<映画化されたナレースワン大王>
映画化もされ、またムエタイの創設者でもある「ナレースワン大王」(アユタヤ王朝)、そして
あらゆる改革・制度の近代化を実現させたチュラロンコン王(チャクリー王朝)の三人です。
これからはプミポン前国王も加わり「偉大な四大国王」と呼ばれるのかも知れませんネ。
今でも、国民から慕われ愛されるチュラロンコン大王は、タイで最も由緒あるタイの最高学府とされる
大学名にもなり、また アメリカタイム誌では「20世紀で、最も影響力のあったアジアの20人の一人」
にも タイ人から唯一、選ばれているそうです… 同時代だった明治天皇とよく並び称されますよネ。
<当時 このような交流はありませんでしたけど>
会社や家庭で飾られるチュラロンコン王肖像画や写真は、プミポン前国王に次いで多いでしょうネ。
そして プミポン前国王のお爺様と聞きますので、益々 身近に感じますネ、タイ国民も同様でしょう。
そう、そう日本人・外国人にも お馴染みである映画「王様と私」の物語の中で、息子だったのが
チュラロンコン王でしたネ・・・ いろいろな意味で有名です! ご覧になった人も多いでしょう。
<映画で有名になった王様と私…>
でも本当に慕われ愛される理由は、偉大な功績を多く残したことです。チュラロンコン王は即位すると、
すぐに欧米へ視察旅行に出かけましたが、タイの近代化の立ち後れを知り、数々の改革を行ないました。
公然と行なわれていた奴隷売買の廃止、 各地の王を廃止し中央集権国家の創設、官僚制度の導入、
学校教育の開始、議会制度の改革、主要道路の整備、電話業務の開始・・・ ホント どれを 見ても
現在に繋がる近代化政策ばかりです! チャクリー改革と呼ばれる所以ですネ。
<今やバンコクの観光名物となった王宮…>
10月23日の「チュラロンコン大王記念日」では毎年、元国会議事堂前広場にある騎馬姿の
銅像前で偉大な功績を称え、献花などの特別な式典が行なわれます。が、今年はプミポン
前国王の国葬が控えていますからネ。どうなったか? ・・・
こんな記念日になる日々が続いており、今月はタイの歴史を垣間見ることができます。
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