写真と文章で楽しむ小さな小さなギャラリー

折々の写真と短い説明文を不定期に更新したいと思います。

プラハに尖塔が多いのは何故?

2019-02-12 16:46:30 | 旅行

このところ毎朝寒い。インフルエンザが大流行から小康状態に。でも気を付けよう。

 文章作成中にビッグニュースが二つ飛び込んできた。大坂なおみさんがサーシャ・バインコーチとの契約解除…全豪オープン前に決まっていた? why。そして水泳のエース池江璃花子さんが白血病公表。shock!

                   ・・・・・・・・・・・・・・

 30歳過ぎのころか❓場所はNHK大ホール。ヴァーツラフ・ノイマン指揮でチェコフィルのスメタナ曲「我が祖国モルダウ」を聞いた思い出がある。ベートーヴェンとかバッハとはどこか違う聞き心地。

階席中央貴賓席には現平成天皇陛下と美智子妃殿下(当時は皇太子ご夫妻)も鑑賞されていた。

 チェコフィルの本拠地はプラハ。ウィーン同様毎夜演奏会があるそうだが今回のツァー企画になし。プラハの町は中央をヴァルタヴァ川が南北に縦断。両側に見どころが点在。プラハ城は西側に位置する。9世紀に建造開始、14世紀に完成。教会、宮殿、庭園等を擁す。 

ところで プラハに何故尖塔が多いのか?2019121日付)

私なりのまとめ

その1 プラハがボヘミアの中心になったのは9世紀の終わり、プジェミスル家の王女リプシェの予言で城が築かれプジェミスル王朝が誕生、14世紀まで続く。1344年ルクセンブルグ朝のカレル1世時に神聖ローマ帝国の帝都となり大繁栄した

その2 中世に金持ちが競ってスポンサーになって教会建築ブームが起こる(他者のブログから

その3 中世からの建造物がそのまま残っている(戦争で破壊がない)日本でいえば京都に寺院が多いことと似ている。

ざっとこんなところだがどなたかご意見をお願いしたい。

聖ヴィート大聖堂を側面から見るとこのように見える

同じく旧王宮からの聖ヴィート大聖堂の尖塔

マリアテレジアの家紋の付いた「戦う巨人たち」の像がある正門

 プラハ城の正門 マチアス門…重厚感あり



最新の画像もっと見る

コメントを投稿