このなな色メールが発刊される頃は”啓蟄(けいちつ)”の頃でしょうか。旧暦ではまだ2月になったばかりなのですがこの啓蟄とは、冬の間、土の中で春を待っていた虫や小動物が活動を始めるころを示します。冬眠から目覚め、思いっきり伸びをしたいですね。
少し前、小寒、大寒という一年の中で一番の寒い時期があります。この3月で小学校を卒業する長男ですが、剣道スポ少をさせていました。剣道では土用の直前に鍛錬のための早朝の稽古があり、夏はそのまま”土用稽古”冬は”寒稽古”といいます。毎回その頃になると嫌で嫌で「もうやめる!」と言い出していました。特に冬は温かい寝床から出て冷え冷えとした稽古場へ早朝に行くというのがどんなにつらいか。連れて行く親も容易ではありませんでしたが、冷たい床を裸足で稽古して本当によく頑張ったと褒めてやりたいと思います。
そして2月に入り初午の行事があり、大寒の時期が終わります。この5年間の慣習でした。これも今年度で終わりです。子どもが成長していくと暮らしもまた様変わりしていきますね。
初午という行事は、立春を過ぎた初めての午の日のお祭りで、稲荷神社で豊作、商売繁盛、開運、家内安全を祈願するもので、京都伏見のお稲荷さんが発祥の地とのこと。本来は旧暦の2月の行事なので、今の3月のちょうど稲作を始める時期に農耕の神様を祭るようになったものなのです。新暦の2月では、秋田では大雪の中の行事となっています。一ヶ月ずらしてもいいようなのに。今年だと3月12日が立春後の初午となっています。
我が家の甘えん坊の息子も剣道スポ少も終わり初午の最後の務めも終え、中学校での新生活のスタートをきるために、大きく伸びをする時期に来ているのでしょうか。最近はもっぱらゲームに興じていますが、これがタチ悪く、オンラインで友達と一緒にチームに参加し、敵チームと戦う。戦争ものです。こういうゲーム最近多い気がして世の中も改憲だ、集団的自衛権の行使だと言っているので心配です。
原爆の被害のことを描いた絵本『ひろしまのピカ』が六年間、読み聞かせボランティアの方から聞かせてもらった本の中で「 一番覚えている。」「戦争は嫌だと思った。」とつい最近立派な感想をボランティアのスタッフにお礼と共に述べたと聞いたはずなのに。(実は昨年より、私も朗読ボランティアのメンバーに入ったのでした。)
群青色のモノトーンで幼児を主人公にした『かあさんはどこ』と、満州での実話から作られた『金のひしゃく』という戦争孤児を描いた絵本を図書館で見つけたのでそっと部屋に置いています。『はらぺこあおむし』の作者エリック・カール氏も子供時代に戦争を体験したと以前テレビで話されていました。戦後、街に色が戻ってきて嬉しかったと言っていたのが印象的でした。
日野原先生の『十歳のきみへ』もこの春休みに聞かせたいと思います。特にこの部分!
なぜ人と人が殺し合うの?
戦争はよくない。人を殺してはいけない。なのに、なぜ世界から争いが亡くならないのでしょうか。なぜ人がにくみ合い、戦争でいのちをうばい合うことをいまだに続けているのでしょうか。
平和が、ここにあって、あそこにないとしたら、それは「平和」ではないのです。世界中のすべての人がおたがいに平和でありたいと手をつなぎ、助け合うときに、みんなの見つめる視線の先にあるのが「平和」です。
世界のどこか一か所でも、人々のいのちが おびやかされているような国や地域があるのならば、世界はまだ平和ではないのです。
戦争で失うまでは「そこにあることがあたりまえ」だと思っていたもの、家族や、だんらんや、しあわせや、のんびりとした時間や、あたたかい食事や、けんかのできる兄弟姉妹や人の情けや思いやりや、そのほか数えあげればいくらでもあるごくありふれたものが、じつはどれもかけがえのないものであったことに気づくことができた。
いのちに しがみつくようにして 生きていく日々のなかで、人からなにかをいただくたびに、人の厚意にふれるたびに、わたしたちはそのありがたさを実感しました。人々のうえにお日さまが照ることも、雨が大地をうるおすことも、夜が来て また朝がめぐってくることも、みなありがたく感じていました。
戦後 日を追うごとに、生活にゆとりが生まれてきました。自分の子や孫たちのために望んだ生活でもありました。食べ物や着るものに不自由しないゆたかさを手に入れさえすれば、戦争以前のおだやかな生活にもどれると、わたしたちは思っていたのです。
つつましい生活の中にある小さなしあわせをも実感できていたのに、ゆたかさを追い求めるようになってから、そのセンサーをにぶらせてしまいました。
ありがたいと感じていたものたちから ありがたみが消えた。ほかの人のことをおもんばかる想像力もおとろえてしまいました。 「ほかの人の痛みは、その人の痛みであって わたしには まるで関係ない」と思うことになれてしまえば、たとえば戦争も「ここ」にないかぎり 自分が解決に乗り出すべき問題として自覚されることさえなくなってしまいます。
寿命――からっぽのうつわのなかに いのちを注ぐこと。それが、生きるということです。わたしがこれから先生きている時間はきみに比べるとずっと短い一瞬一瞬の時間をもと意識してもっとだいじにしてせいいっぱい生きたい。
ほかの人のために時間をつかうと、ほかのことで味わえない特別な喜びで心がいっぱいに満たされます。わたしは大きな喜びをもらうことに欲ばりです。ほかの人のためにつかった時間を入れた皿がからっぽ、なんていうことだけはならないように努力していきたいものですね。
日野原重明
先の絵本のあとがきに、戦争は子供たちから子供時代を奪うものだとありました。命を脅かすものからは子供は守られていなくてはと思います。
…自由に伸びて欲しいから…。
少し前、小寒、大寒という一年の中で一番の寒い時期があります。この3月で小学校を卒業する長男ですが、剣道スポ少をさせていました。剣道では土用の直前に鍛錬のための早朝の稽古があり、夏はそのまま”土用稽古”冬は”寒稽古”といいます。毎回その頃になると嫌で嫌で「もうやめる!」と言い出していました。特に冬は温かい寝床から出て冷え冷えとした稽古場へ早朝に行くというのがどんなにつらいか。連れて行く親も容易ではありませんでしたが、冷たい床を裸足で稽古して本当によく頑張ったと褒めてやりたいと思います。
そして2月に入り初午の行事があり、大寒の時期が終わります。この5年間の慣習でした。これも今年度で終わりです。子どもが成長していくと暮らしもまた様変わりしていきますね。
初午という行事は、立春を過ぎた初めての午の日のお祭りで、稲荷神社で豊作、商売繁盛、開運、家内安全を祈願するもので、京都伏見のお稲荷さんが発祥の地とのこと。本来は旧暦の2月の行事なので、今の3月のちょうど稲作を始める時期に農耕の神様を祭るようになったものなのです。新暦の2月では、秋田では大雪の中の行事となっています。一ヶ月ずらしてもいいようなのに。今年だと3月12日が立春後の初午となっています。
我が家の甘えん坊の息子も剣道スポ少も終わり初午の最後の務めも終え、中学校での新生活のスタートをきるために、大きく伸びをする時期に来ているのでしょうか。最近はもっぱらゲームに興じていますが、これがタチ悪く、オンラインで友達と一緒にチームに参加し、敵チームと戦う。戦争ものです。こういうゲーム最近多い気がして世の中も改憲だ、集団的自衛権の行使だと言っているので心配です。
原爆の被害のことを描いた絵本『ひろしまのピカ』が六年間、読み聞かせボランティアの方から聞かせてもらった本の中で「 一番覚えている。」「戦争は嫌だと思った。」とつい最近立派な感想をボランティアのスタッフにお礼と共に述べたと聞いたはずなのに。(実は昨年より、私も朗読ボランティアのメンバーに入ったのでした。)
群青色のモノトーンで幼児を主人公にした『かあさんはどこ』と、満州での実話から作られた『金のひしゃく』という戦争孤児を描いた絵本を図書館で見つけたのでそっと部屋に置いています。『はらぺこあおむし』の作者エリック・カール氏も子供時代に戦争を体験したと以前テレビで話されていました。戦後、街に色が戻ってきて嬉しかったと言っていたのが印象的でした。
日野原先生の『十歳のきみへ』もこの春休みに聞かせたいと思います。特にこの部分!
なぜ人と人が殺し合うの?
戦争はよくない。人を殺してはいけない。なのに、なぜ世界から争いが亡くならないのでしょうか。なぜ人がにくみ合い、戦争でいのちをうばい合うことをいまだに続けているのでしょうか。
平和が、ここにあって、あそこにないとしたら、それは「平和」ではないのです。世界中のすべての人がおたがいに平和でありたいと手をつなぎ、助け合うときに、みんなの見つめる視線の先にあるのが「平和」です。
世界のどこか一か所でも、人々のいのちが おびやかされているような国や地域があるのならば、世界はまだ平和ではないのです。
戦争で失うまでは「そこにあることがあたりまえ」だと思っていたもの、家族や、だんらんや、しあわせや、のんびりとした時間や、あたたかい食事や、けんかのできる兄弟姉妹や人の情けや思いやりや、そのほか数えあげればいくらでもあるごくありふれたものが、じつはどれもかけがえのないものであったことに気づくことができた。
いのちに しがみつくようにして 生きていく日々のなかで、人からなにかをいただくたびに、人の厚意にふれるたびに、わたしたちはそのありがたさを実感しました。人々のうえにお日さまが照ることも、雨が大地をうるおすことも、夜が来て また朝がめぐってくることも、みなありがたく感じていました。
戦後 日を追うごとに、生活にゆとりが生まれてきました。自分の子や孫たちのために望んだ生活でもありました。食べ物や着るものに不自由しないゆたかさを手に入れさえすれば、戦争以前のおだやかな生活にもどれると、わたしたちは思っていたのです。
つつましい生活の中にある小さなしあわせをも実感できていたのに、ゆたかさを追い求めるようになってから、そのセンサーをにぶらせてしまいました。
ありがたいと感じていたものたちから ありがたみが消えた。ほかの人のことをおもんばかる想像力もおとろえてしまいました。 「ほかの人の痛みは、その人の痛みであって わたしには まるで関係ない」と思うことになれてしまえば、たとえば戦争も「ここ」にないかぎり 自分が解決に乗り出すべき問題として自覚されることさえなくなってしまいます。
寿命――からっぽのうつわのなかに いのちを注ぐこと。それが、生きるということです。わたしがこれから先生きている時間はきみに比べるとずっと短い一瞬一瞬の時間をもと意識してもっとだいじにしてせいいっぱい生きたい。
ほかの人のために時間をつかうと、ほかのことで味わえない特別な喜びで心がいっぱいに満たされます。わたしは大きな喜びをもらうことに欲ばりです。ほかの人のためにつかった時間を入れた皿がからっぽ、なんていうことだけはならないように努力していきたいものですね。
日野原重明
先の絵本のあとがきに、戦争は子供たちから子供時代を奪うものだとありました。命を脅かすものからは子供は守られていなくてはと思います。
…自由に伸びて欲しいから…。