鳩山首相は「友愛の精神」を政治の理念に揚げました。抽象的な理想主義と批判もされますが、私は面白いと思いました。今までの日本の政治家が口にしないことで、肌の違いを感じています。
聖書にも「友のために命を捧げる以上の愛はない」とキリストは言われています。私たちの究極の幸せは、お互いに友愛で結ばれることではないかと最近強く思うようになりました。先回書いた虫たちとの共生、あるいは食物連鎖も互いがいのちを与え合って生きるワンネス(ONENESS)の姿・友愛の連鎖の姿ではないでしょうか。
昨年、庭を通して二人の人と出会いました。FおばさんとN博士呼びましょうか。あるいは野菜おばさんと植物博士と呼びましょうか。
(1) 野菜おばさん
日本の食料自給率は40%とか。こと国際紛争にまきこまれ食料の輸入が途絶えたら、日本は飢餓地獄に陥るのではないかと言われています。私は両親の影響を受けて危機管理対策をよくしている方です。庭に手押しポンプを設置したのも地震等で水が止まった時のことも考えてのことでした。(レトロ趣味もありますが)
万が一の食糧危機を考えて手を打った方法は農家と親しくなるということ。広い庭があるのですから、そこを畑にして自給できれば一番いいのですが、体力や経験の不足から、ムリです。近くの農家と親戚関係をつくればいいと思いました。「切に願うことはかなえられる」と言いますが、庭師の紹介でFさんがやってきてくれました。我が家から車で15分位の集落に住んでおられる。自家用に色んな種類の野菜を植えているという。田んぼは20枚も持っているとか。(私のやり方は一見自分本位のわがまま、エゴイスティックに思えるかも知れません。消費者と農家が友愛的につながる方向に展開していくことを願います)
年齢はまもなく70歳になられるFさんが、ご主人の軽トラで週に一回野菜を届けて下さることになりました。午前中採って一人暮らしの私の一週間分相当をきれいに小分けし箱に詰め合わせて運んで下さる。例えば7月10日配達記録では
レタス、サニーレタス、インゲン、きゅうり、青じそ、ズッキーニ、ナス、
玉ネギ、紫玉ネギ、ピーマン、プチトマト、じゃがいも、わらび
新鮮そのものです。
「Fさん、代金を請求して下さい」
と申し上げると
「私は今まで野菜を売ったことがないので、値段をつけられない。おくさまが食べておいしいと思ったら、見積もって下さい」
という返事。このやりとりでFさんと私はすっかり意気投合する仲になりました。私は最初から店で買うようなお金で清算して「ハイ、オシマイ」にはしたくなかったのです。結果的には店頭価格より2割位高い「おいしかった代」を差し上げました。Fさんはいつも「多い多い!」とおっしゃいます。でも喜んで下さいました。農家の主婦として、現金収入は嬉しく助かり、何より野菜を作る励みが出てきたと言われます。
野菜の宅配箱を見ながら、15分もおしゃべりの花が咲きます。きゅうりの辛子漬け、チンゲンサイの即席漬けなどノウハウも学びました。一度にたくさん配達される野菜の保存方法も身につけ、買い物に心配することもありません。又、畑のまわり、国道の脇にも花を植えるほど「花っこ」大好きと伺って、途中から花ひと束も運んでもらうことになり、私の玄関はゴージャスな雰囲気に様変わりしたのも予想外の副産物でした。
昨年は長雨で一時レタスなども腐った由。天候に左右される農家の現場も伝わってきます。薬は苗の消毒時のみ使い、あとは手で虫退治するという。Fさんのキャベツには穴だらけと青虫も同伴してきます。それを喜ぶ私をFさんは笑われる。野菜から人とのつながり、今までの人生のこしかたを分かち合うお付き合いになりました。お金以上の物や心のやりとり、友愛のよろこびを味わっております。
(2)N博士の登場
『ちゃぶ台だより』で干し柿づくりを伝授して下さったNさんとは市場の近くの小さい店で時々顔を合わせていました。ところが昨年ひょんなことからNさんの家がわが家から歩いて10分位のところにあることが判明。それからぐっと距離が近くなりました。店での買い物も配達してもらう。
「朝、何時に起きているんだ?」
「ナニ?7時、随分遅いんだな。オレは3時に起きて山菜を採りにいくか、畑仕事をしている。」
いかにも元気で山男のような敏凄さがあります。物の言い方もストレートで歯に衣を着せないかんじ。一見粗野な言動のうちにデリケートな思いやりと優しさがひそんでいて、私の好きな男性タイプの一人です。あの『風と共に去りぬ』のバトラーの日本版(?)と思って下さい。
Nさんが私の所に朝7時きっかりやって来た最初の日。Nさんは肝心の届け物を車に置いて、私の庭にスタスタ(ズカズカがいいかな)侵入して庭を一巡したのです。まるで庭の主(あるじ)のよう!そしてご自分のライフワークである山野草との出会いをとうとうと話し出したのでした。その博識、うん蓄の深さには圧倒されてしまうほどです。
「可憐な山野草を社会的弱者に届ける」という生き方をしているという話にNさんの優しさの謎が解けました。年寄りと女性と病人に対する目線がとても暖かいのです。
庭の草花に関して私の質問に間髪をおかず明快な答えが返ってきます。小学生にもわかる具体的な説明にも脱帽。
「ナメクジを退治するには?」→「夜、寝る前にバナナの皮を皿にのっけて数ヶ所に置いとけ」
「ネジ花ふやしたいけどふえないのは?」→「草かげ、日当りの場所」
コンピューターのような頭脳です。それから私はNさんを「ハカセ」と呼んで、庭の専任教授になっていただきました。
知的著作権は大切にしなければなりませんね。私はハカセの学識の恩恵にそれ相当の見返りをさせてもらおうと思い、店での買い上げに出来る限りのことをしました。配達して下さる時はガソリン代ですとチップを上乗せします。
「ガソリン代として取って下さい」
「そうか、せっかくだから貰おう」と堂々と(?)受け取っていくのが心憎いほど、さわやかです。
そして次の日、又朝7時に
「これ、あなたの好きそうな花だからとってきた」
といいながら、実のついたヤマボウシの枝をポンと置いていかれる。
ハカセがつくっているという畑と育てている山野草のハウスに案内され、私は度肝をぬきました。軽トラで藪の中を押し入り、
「あそこから あそこまで オレの畑だ」
聞くと2000坪あるという。まったく原野と表現した方がよかった。草ぼうぼうの中に野菜が植えられている。
「小さい苗の時は勿論雑草を取るさ。あと自力で育つ力が出たら放任だ!その方がたくましく育つ。虫もまわりの雑草を食って野菜まで手を出さないだろ!草一本ないあなたの庭とは正反対だな。ハハハ」
店のガラス戸にハカセの自筆の貼紙がありました。
わが店の野菜は減農薬有機栽培のものです。
肥料は次のとおり、牛フン、もみがら、木炭、カキ殻、こぬか、魚粕、
コーヒーがら、かんきつの皮、昆布くず、スッポンの骨、有機化合物
それを証明するように、私をアチコチ案内して公開なさる。
ある朝の7時
「お宅の秋海棠(ショウカイドウ)を2,3本もらっていくよ、茶花の花材を頼まれてな」
ハカセは金持ちではなさそう。
「オレの財産は友人だから」
友人たちの使い走りを買って出ているため、ものすごい人脈を有しておられる様子。ハカセの中にも経済の友愛が生きているようです。
聖書にも「友のために命を捧げる以上の愛はない」とキリストは言われています。私たちの究極の幸せは、お互いに友愛で結ばれることではないかと最近強く思うようになりました。先回書いた虫たちとの共生、あるいは食物連鎖も互いがいのちを与え合って生きるワンネス(ONENESS)の姿・友愛の連鎖の姿ではないでしょうか。
昨年、庭を通して二人の人と出会いました。FおばさんとN博士呼びましょうか。あるいは野菜おばさんと植物博士と呼びましょうか。
(1) 野菜おばさん
日本の食料自給率は40%とか。こと国際紛争にまきこまれ食料の輸入が途絶えたら、日本は飢餓地獄に陥るのではないかと言われています。私は両親の影響を受けて危機管理対策をよくしている方です。庭に手押しポンプを設置したのも地震等で水が止まった時のことも考えてのことでした。(レトロ趣味もありますが)
万が一の食糧危機を考えて手を打った方法は農家と親しくなるということ。広い庭があるのですから、そこを畑にして自給できれば一番いいのですが、体力や経験の不足から、ムリです。近くの農家と親戚関係をつくればいいと思いました。「切に願うことはかなえられる」と言いますが、庭師の紹介でFさんがやってきてくれました。我が家から車で15分位の集落に住んでおられる。自家用に色んな種類の野菜を植えているという。田んぼは20枚も持っているとか。(私のやり方は一見自分本位のわがまま、エゴイスティックに思えるかも知れません。消費者と農家が友愛的につながる方向に展開していくことを願います)
年齢はまもなく70歳になられるFさんが、ご主人の軽トラで週に一回野菜を届けて下さることになりました。午前中採って一人暮らしの私の一週間分相当をきれいに小分けし箱に詰め合わせて運んで下さる。例えば7月10日配達記録では
レタス、サニーレタス、インゲン、きゅうり、青じそ、ズッキーニ、ナス、
玉ネギ、紫玉ネギ、ピーマン、プチトマト、じゃがいも、わらび
新鮮そのものです。
「Fさん、代金を請求して下さい」
と申し上げると
「私は今まで野菜を売ったことがないので、値段をつけられない。おくさまが食べておいしいと思ったら、見積もって下さい」
という返事。このやりとりでFさんと私はすっかり意気投合する仲になりました。私は最初から店で買うようなお金で清算して「ハイ、オシマイ」にはしたくなかったのです。結果的には店頭価格より2割位高い「おいしかった代」を差し上げました。Fさんはいつも「多い多い!」とおっしゃいます。でも喜んで下さいました。農家の主婦として、現金収入は嬉しく助かり、何より野菜を作る励みが出てきたと言われます。
野菜の宅配箱を見ながら、15分もおしゃべりの花が咲きます。きゅうりの辛子漬け、チンゲンサイの即席漬けなどノウハウも学びました。一度にたくさん配達される野菜の保存方法も身につけ、買い物に心配することもありません。又、畑のまわり、国道の脇にも花を植えるほど「花っこ」大好きと伺って、途中から花ひと束も運んでもらうことになり、私の玄関はゴージャスな雰囲気に様変わりしたのも予想外の副産物でした。
昨年は長雨で一時レタスなども腐った由。天候に左右される農家の現場も伝わってきます。薬は苗の消毒時のみ使い、あとは手で虫退治するという。Fさんのキャベツには穴だらけと青虫も同伴してきます。それを喜ぶ私をFさんは笑われる。野菜から人とのつながり、今までの人生のこしかたを分かち合うお付き合いになりました。お金以上の物や心のやりとり、友愛のよろこびを味わっております。
(2)N博士の登場
『ちゃぶ台だより』で干し柿づくりを伝授して下さったNさんとは市場の近くの小さい店で時々顔を合わせていました。ところが昨年ひょんなことからNさんの家がわが家から歩いて10分位のところにあることが判明。それからぐっと距離が近くなりました。店での買い物も配達してもらう。
「朝、何時に起きているんだ?」
「ナニ?7時、随分遅いんだな。オレは3時に起きて山菜を採りにいくか、畑仕事をしている。」
いかにも元気で山男のような敏凄さがあります。物の言い方もストレートで歯に衣を着せないかんじ。一見粗野な言動のうちにデリケートな思いやりと優しさがひそんでいて、私の好きな男性タイプの一人です。あの『風と共に去りぬ』のバトラーの日本版(?)と思って下さい。
Nさんが私の所に朝7時きっかりやって来た最初の日。Nさんは肝心の届け物を車に置いて、私の庭にスタスタ(ズカズカがいいかな)侵入して庭を一巡したのです。まるで庭の主(あるじ)のよう!そしてご自分のライフワークである山野草との出会いをとうとうと話し出したのでした。その博識、うん蓄の深さには圧倒されてしまうほどです。
「可憐な山野草を社会的弱者に届ける」という生き方をしているという話にNさんの優しさの謎が解けました。年寄りと女性と病人に対する目線がとても暖かいのです。
庭の草花に関して私の質問に間髪をおかず明快な答えが返ってきます。小学生にもわかる具体的な説明にも脱帽。
「ナメクジを退治するには?」→「夜、寝る前にバナナの皮を皿にのっけて数ヶ所に置いとけ」
「ネジ花ふやしたいけどふえないのは?」→「草かげ、日当りの場所」
コンピューターのような頭脳です。それから私はNさんを「ハカセ」と呼んで、庭の専任教授になっていただきました。
知的著作権は大切にしなければなりませんね。私はハカセの学識の恩恵にそれ相当の見返りをさせてもらおうと思い、店での買い上げに出来る限りのことをしました。配達して下さる時はガソリン代ですとチップを上乗せします。
「ガソリン代として取って下さい」
「そうか、せっかくだから貰おう」と堂々と(?)受け取っていくのが心憎いほど、さわやかです。
そして次の日、又朝7時に
「これ、あなたの好きそうな花だからとってきた」
といいながら、実のついたヤマボウシの枝をポンと置いていかれる。
ハカセがつくっているという畑と育てている山野草のハウスに案内され、私は度肝をぬきました。軽トラで藪の中を押し入り、
「あそこから あそこまで オレの畑だ」
聞くと2000坪あるという。まったく原野と表現した方がよかった。草ぼうぼうの中に野菜が植えられている。
「小さい苗の時は勿論雑草を取るさ。あと自力で育つ力が出たら放任だ!その方がたくましく育つ。虫もまわりの雑草を食って野菜まで手を出さないだろ!草一本ないあなたの庭とは正反対だな。ハハハ」
店のガラス戸にハカセの自筆の貼紙がありました。
わが店の野菜は減農薬有機栽培のものです。
肥料は次のとおり、牛フン、もみがら、木炭、カキ殻、こぬか、魚粕、
コーヒーがら、かんきつの皮、昆布くず、スッポンの骨、有機化合物
それを証明するように、私をアチコチ案内して公開なさる。
ある朝の7時
「お宅の秋海棠(ショウカイドウ)を2,3本もらっていくよ、茶花の花材を頼まれてな」
ハカセは金持ちではなさそう。
「オレの財産は友人だから」
友人たちの使い走りを買って出ているため、ものすごい人脈を有しておられる様子。ハカセの中にも経済の友愛が生きているようです。