当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

宇和島の町

2010年10月03日 | 日記
宇和島城見た後は自転車で町探索

まずは伊達博物館へ。

やけに入場券がかっこいい
新しいので、中も綺麗。照明の関係かな?やけにおごそかな雰囲気がありました。
展示は伊達家にまつわる、書物から道具から…と多種多様で、のんびりじっくり見てしまいましたよ。

そして天赦園。
伊達藩の庭園です。

池も大きく、立派なお庭でしたよ
奥に見える建物は春雨亭。
七代藩主であった伊達宗紀が隠居生活送っていた場所です。

ここからはお庭が一望できて、いかにものんびりした時が過ごせそうでした
虹の掛橋と名がついた藤棚があったんですが、時期が違ったのでただの緑に茂った橋になってしまっていましたが、藤の時期はめちゃめちゃ綺麗だと思います。ぜひ見てみたい

その後は伊達藩のお墓参りに。
金剛山大隆寺。

お寺の一番奥に伊達藩のお墓が並んでます。
一番手前に初代藩主の夫人のお墓が。そしてその奥に五・七・九代藩主と夫人のお墓、脇に家来のお墓があります。
 
奥にあるお墓だからか、とても澄んだ空気の場所でしたね。
お墓はスペースがかなりしっかり取られていて、苔感が綺麗でしたよ。

あと、大隆寺の入口の横には山家清兵衛の位牌がある和霊院があります。
この山家とは和霊騒動の原因の方。
和霊騒動は、初代藩主秀宗について宇和島へ行った山家清兵衛が襲われ、一族皆殺しにされたんですが、それを秀宗が父親である伊達政宗と幕府へ連絡をせず、政宗が怒って宇和島を幕府に返上しようとしちゃった事件です。
清兵衛が政宗の腹心だったので、怒り爆発だったとのこと。
まぁこの事件が発端で、逆にその後、政宗と秀宗の蟠りが解けたんですけどね

その後は次の菩提寺、竜華山等覚寺。

階段をあがったところからは、宇和島城が見えます
ここには初~四代藩主、六・八代藩主と夫人のお墓があります。
入口近くから、奥まで、こちらはお墓の場所がバラバラしてましたね

スタイルは皆同じです。木に囲まれて静かでしたよ、ここも。

その後は船で島巡り遊覧。
宇和島城でボランティアさんに勧められたので乗ってみた

島には段々畑があります。
宇和島は食物を育てにくい、山の急斜面である場所が多いので、昔は、そういう土地に住んでる人たちからは、食物は年貢として納めさせなかったそうです。
自給自足生活させたってことですね。
水はけ問題もあるので、芋とかしか作れないそうですが(これは今でも)

日本一狭い?運河。
端が迫ってきます。確かに狭い

個人的に電線どうやってつなげたのか、とっても不思議でした…
写真見えるかな?島から島へ、でれ~んとした電線伸びてるんですけど、距離半端じゃないんだよねどういう作業でできるんだろう、あれ…

高速船なので降りることはできませんでしたが、リアス式の海岸を眺めながらのんびりできて良かったです
堪能堪能