navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

遥かなるバルカンの空の下へ-10

2008年04月15日 | 日記
ヴォイヴォディナ地方の穀倉地帯が延々と拡がる風景の中を走り続けていると少しずつ小降りになってきた。*(ウインク)*

最初の料金所をすぎてからまもなく“AERODROM BEOGRAD”の標識がでてきた。
その上に表記されているキリル文字のほうは読めないがこれなら何のことかわかる。
ベオグラード空港のことだ。
この空港をすぎればもうベオグラードの街並みへ入っていく。

今走っているアウトバーン(ここではアウトプットと呼ばれる)はM1=E70でベオグラード市街区域のほとんど真ん中を貫通している。
高架高速道路ではなくて市街道路としてである。
市街区域を通っているのでこの道路に交差や合流する道路もたくさんあるのでそのための信号機が設置された交差点もたくさんある。
この街を迂回するアウトバーンのルートは建設中でまだ開通してない。

ベオグラード,典型的なスラブ語系の呼称で呼ばれるセルビアの首都だ。
やはり同じスラブ系の国ロシアにもスターリングラード(今はヴォルゴグラード)がある。
人口は190万だからちょうど札幌市ぐらいだ。
今回は旅のルート上にあるがその先へ急ぐのでただ通過するだけ。*(ダッシュ)**(車)*

その市街道路アウトバーンは2~3車線道路でそこを走っていると黄色いボディの大型2輌連結定期運行バスによく出会う。
3年前にここを走ったときも遭遇したバスである。
そのボディ側面中央にはセルビア国旗と日の丸をクロスしたマークと英語でDonation from the people of Japanと書かれている。
それらは旧ユーゴ紛争後に日本政府が復興を援助するために寄付したというものだ。*(日本)*

信号待ちでそのバスの横に並んだときには日本人である自分にとっては誇らしいような照れくさいような気持ちになる。
バスの中から自分を見下ろす人たちの視線がやけに気になった。

いずれもつい最近の出来事だが,どういう理由や事情があるにせよその土地の人たちにとっては爆弾をたくさん落とされるより日常生活に必要で役に立つバスをたくさんもらった方がどんなにか嬉しいだろうと思う。*(グッド)**(うるうる)*

国際政治の世界ではどうであれ庶民にとってはこういう日々の生活に直接関わることの方が切実なことなのだ。
このような善意による無償援助はとても価値あるものだろう。
そういう善意をこういう形で受けたとくに次世代を担う子供や若者世代にとって彼らの人生のなかで決して忘れえぬ好ましい感情を醸し出すものだと信じる。*(ハート)*


サヴァ川の西岸は新市街区域で大きなビルが建ちならび某欧州ともちろん日本メーカーの新商品や某有名企業の真新しい超大型宣伝ポスターや看板があちこちに目立つ。
3年前に通ったときには1999年のユーゴ空爆で壊れたビルがこの道路沿いに幾つか残っていたけれど今はもう修復してしまったのか見られなくなった。
*(!?)*

ドナウ川へ合流するサヴァ川をまたぐ橋を渡ると新市街区域から旧市街区域に入る。
旧市街地を抜けやがて郊外にさしかかる頃からは雨が止んでいた。
欧州の風景は日本と違って都市部と郊外の境目が実にはっきりしている。
市街地から郊外に出ればそこはすぐに広い耕作地や丘陵地あるいは雑木林や森林になっていて一目瞭然である。
ここもその例に漏れない。*(学校)**(山)*

丘陵地帯をうねるようになぞって走る片側2車線のアウトバーンがすっかり乾いた白い路面になる頃,再び料金所をくぐった。
交通量はドイツのアウトバーンの1/10以下である。
そのかわり紫外線量はその10倍以上もあるように感じる。*(曇)*

水彩画のように軽やかで薄い絵の具で描かれたような雲空ではあるが,そのような柔な雲の層ではとても隠しきれないくらい真夏の太陽のぎらぎらした光線が漏れ落ちてきているような明るさである。
前を走っている車が米粒ぐらいになり白い路面がはるかかなたで地平線の向こうに吸い込まれていくところで薄曇色の空が拡がっている。
視界の3/4はその大きな空が占めている。

こんな状態でも日本人の黒い瞳はサングラスを必要としない。
以前持っていた幾つかのサングラスはほとんど人にあげてしまった。
それとサングラスをかけず間抜けな面をさらしていたほうが警戒されず怪しまれずに済むというものである。
なぜといえば東洋人顔に真っ黒なサングラスでは世界的に有名なYAKUZAあるいは中国マフィアそのものになってしまうからである。*(ジロ)*

それから戯言のようであるがこんなこともある。
欧州世界の人たちのその潜在意識の奥深くには東洋人=モンゴルの襲来悪夢の記憶(13世紀)が刷り込まれているようだ。
そういう傷を負った潜在意識(トラウマだな)が無意識のうちにコンプレックスの反動として東洋人に対して理不尽な優越意識を形成しているとも言える。
そういうことをこちらに人に言うとほとんどの人は否定するけどね。*(困る)*

そしてついに待ち焦がれた真夏の太陽が顔を見せた。
両側にトウモロコシ畑ばかりが続く平坦地、そして薄い色の青空に積乱雲と刷毛でさっと掃いた様な雲が入り乱れるようなぐあいに変わっていく。
圧倒的な太陽光線の洪水である。
風景全体が強烈な光でこれ以上は無いと思われるような超高解像度で目の前に拡がっている。
バルカンの旅はこういう太陽の光が満ち溢れていなければいけない。
これが来る前に思い描いていたイメージである。*(晴れ)**(晴れ)**(晴れ)*
これからがいよいよこの旅のメインステージに移っていくのだ。