猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

以来、50年…東洋大出身プロ野球選手第一号:後藤武晴選手

2010-03-01 23:31:00 | インポート
朝からの“大津波警報”に揺れた昨日の日本列島。
地球の裏側、南米チリからの大津波で50年前には100人以上の死者を出したそうだが、同じく50年前の昭和35年(1960)に東洋大出身者としては初めてのプロ野球選手となったのが後藤武晴選手だ。

後藤選手について、『プロ野球人名事典』(日外アソシエーツ)の記述は
後藤 武晴 ごとう・たけはる
1937.9.1~ 出身:徳島県/脇町高→東洋大 球団:’60東映 ポジション:一塁手 
打撃成績:実働1年、2試合、1打数0安打、0本塁打、0打点、0盗塁、打率.000

と素っ気ない。

図書館で当時の新聞を縮刷版で調べてみたところ、登録は捕手で背番号56、身長175cm体重75k。
出場した二試合は、昭和35年7月3日の対西鉄14回戦と9月27日の対西鉄26回戦。

7月3日は代打で登場して1打数0安打0打点、9月27日は二番・一塁手としてスタメンに名を連ねてはいるが打数0で交代。代わりに入った高木選手が“打”ではなく“一”となっているので、この試合は偵察メンバーとしての起用だった可能性が高い。実質的には一打席に終わったプロ生活のようだ。

後藤選手が在籍した頃の東洋大は

31春二部六位入替戦対一橋大2勝0敗
31秋二部六位入替戦対教育大2勝1敗
32春二部三位
32秋二部六位入替戦対教育大2勝1敗
33春二部五位
33秋二部六位入替戦対青学大1勝2敗
34春三部一位入替戦対武蔵工大2勝0敗
34秋二部三位

と、二部の下位と三部を行き来していた時代だ。

試合の詳細は良く分からないが、新聞に載っているバッテリーの名前には31年春から捕手に“後藤”の名が有るので、一年からレギュラー捕手として活躍していたようだ。
もっとも、『東都大学野球連盟七十年史』の卒業生名簿を見ても、31~33年までの卒業部員は年一、二名。後藤選手の代の34年で七名なので、部員数は多くても二十名足らずだろうか。
試合もまだ神宮第二ではなく、青学や成蹊・明学のグラウンドで行われている。

プロ入団の経緯についても良くわからない。いずれ機会があれば当時の野球雑誌なども調べてみたい…。


後藤選手のプロ入りから50年。OBのプロ選手も二桁を数え、東映の後身である日ハムには同じく捕手として昨年入団した大野奨太選手が、一年目から一軍でマスクを被って活躍している。

大地震や大津波は御免蒙りたいが、プロ野球界ではOB選手たちに“ビッグウェーブ”を巻き起こして欲しいものだ。




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