6月30日に行われた東洋大野球部の優勝パレード&優勝報告会。時間の関係でパレードは間に合いませんでしたが、優勝報告会に参加してきました。
選手入場
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理事長や町内会長の祝辞の後、町内会の方から花束の贈呈。
そのあと高橋監督からの“優勝報告”が約10分ほど…。
時折、裏話など交えながらのユーモアあふれるお話は、あっという間の10分でした。
さらに、鹿沼主将から一言があり・・・。
最高殊勲選手・藤岡投手の表彰と続き・・・。
最後は退場する選手を拍手で送り、30分ほどの報告会は無事終了。集まった聴衆は…学生・OBに近隣住民の方々を含め数百名といったところでしょうか・・・。
この後、会場を移動して祝勝会が関係者のみでおこなわれました。
いまでは報告会・祝勝会とも屋内のホールでおこなわれますが、かつては屋外で盛大に行われたものでありました!
昭和五十三年秋の“V2”の時は
筆者はこの“V2”の祝勝会に参加していたのですが、当時の藤田明彦主将が「今日は大いに飲みましょう!」と挨拶したのを今でもはっきりと覚えております。四年生で優勝チームの主将にそう言われては逆らうわけにもいきません。皆、仕方なく?“大いに飲んだ”のであります。どのくらい飲んだかと言うと
参加者三千人としてもちょっと多いんじゃないか?とお思いの方もいらっしゃることでしょう・・・実際、多すぎたのであります。
この時は何事も起こらなかったのですが、昭和五十七年春・三回目のリーグ優勝の祝勝会では急性アルコール中毒に陥る学生が多発。白山の街を救急車が走り回って朝・読・毎の三大紙の社会面を飾ったのでありました・・・。
とは言え、在学中に熱気溢れるあの祝勝会を味わった筆者は、もう一度あの時の自分に戻って、身体の奥底から湧き上がるようなあの歓びをもう一度味わいたいものだと、今では親子ほど年の離れた選手たちの晴れ姿を見ながら思った今回の優勝報告会でありました。
(ちなみに、今回は“振る舞い酒”ではなく、こんなストラップが配られました。
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選手入場
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理事長や町内会長の祝辞の後、町内会の方から花束の贈呈。
そのあと高橋監督からの“優勝報告”が約10分ほど…。
時折、裏話など交えながらのユーモアあふれるお話は、あっという間の10分でした。
さらに、鹿沼主将から一言があり・・・。
最高殊勲選手・藤岡投手の表彰と続き・・・。
最後は退場する選手を拍手で送り、30分ほどの報告会は無事終了。集まった聴衆は…学生・OBに近隣住民の方々を含め数百名といったところでしょうか・・・。
この後、会場を移動して祝勝会が関係者のみでおこなわれました。
いまでは報告会・祝勝会とも屋内のホールでおこなわれますが、かつては屋外で盛大に行われたものでありました!
閉会式後、五台のオープンカーに分乗した選手は、春日町礫川公園へ。ここから、バトン・ガール、ブラスバンドを先頭にオープンカーをはさんでの提灯行列で白山キャンパスへと向かった。沿道では歓声とテープ、紙吹雪の舞う中を行進、本学へ入って祝勝会。
選手は京北高校校庭をうずめていた約三千の学生、校友の万雷の拍手の中の立った。・・・中略・・・ここで学長、理事長、体育後援会長などの祝辞後、佐藤監督から選手が紹介され、場所を大学2号館前に変えて景気よく鏡開き。
あとは“酒”と“歓声”。校歌が合唱され、あちこちで選手に酒がかけられ、胴上げが続く。
初勝利の美酒に酔った選手と学生、教職員、校友。とにかく白山でこれだけの学生を集めての“美しき乱れ”がかつてあっただろうか。
(『校友会報』100号~野球部初優勝に大学わく~より)
昭和五十三年秋の“V2”の時は
野球部優勝による祝勝報告会は10月31日午後5時から京北校庭で行われた。
この日、午後4時、選手などを乗せたオープンカーは、ブラスバンドを先頭に巣鴨を出発。一般学生約三千もその後をを提灯行列して沿道の祝福をあびた。
京北校庭の舞台にのった選手は校友、学生、近隣地域の人々の万雷の拍手を受け、関係各位から祝辞が述べられたが、芸能界で活躍のOB植木等氏も駆け付け“嬉しい”と腹の底から叫ぼうと提案(?)集まった数千人と「嬉しい!」と大合唱する一幕もあった。
(『校友会報』111号~二年ぶりV2を達成‼~より)
筆者はこの“V2”の祝勝会に参加していたのですが、当時の藤田明彦主将が「今日は大いに飲みましょう!」と挨拶したのを今でもはっきりと覚えております。四年生で優勝チームの主将にそう言われては逆らうわけにもいきません。皆、仕方なく?“大いに飲んだ”のであります。どのくらい飲んだかと言うと
なお、この後大学中庭で四斗樽12本の鏡開きが行われ、他に罐ビール五千本、酒五千本(一合)が出され学内は祝勝ムードでわきあがった。
校友、教職員、学生も二年ぶりの美酒に酔いしれ、あちこちで選手を囲んで応援歌、校歌が合唱され、白山は深夜まで賑わっていた。
(同じく『校友会報』111号より)
参加者三千人としてもちょっと多いんじゃないか?とお思いの方もいらっしゃることでしょう・・・実際、多すぎたのであります。
この時は何事も起こらなかったのですが、昭和五十七年春・三回目のリーグ優勝の祝勝会では急性アルコール中毒に陥る学生が多発。白山の街を救急車が走り回って朝・読・毎の三大紙の社会面を飾ったのでありました・・・。
とは言え、在学中に熱気溢れるあの祝勝会を味わった筆者は、もう一度あの時の自分に戻って、身体の奥底から湧き上がるようなあの歓びをもう一度味わいたいものだと、今では親子ほど年の離れた選手たちの晴れ姿を見ながら思った今回の優勝報告会でありました。
(ちなみに、今回は“振る舞い酒”ではなく、こんなストラップが配られました。
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