猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

東都大学野球:各校ユニフォームの変遷

2018-09-02 10:19:00 | インポート
H30年9月2日更新:東洋大のストッキングの変化を追記

①東洋大
戦前
画像












胸のロゴは“YODAI”。

戦後(時期は不明)
画像














撮影時期は分かりませんか、手作り感のある筆記体の“TOYO”のロゴは昭和20年代から30年代前半と思われます。


昭和40年代前半(ホーム用)
画像



















昭和40年代前半(ビジター用)
画像



















白黒写真なのでわかりにくいのですが、かつて東都大学野球ではホームとビジターの二種類のユニフォームを使い分けておりました。

・・・・昭和51年を迎えた。真夏が過ぎてカレンダーは9月。
この年から東都大学野球連盟は、それまでのホームとビジターのユニフォームの使い分けを廃止。それを機に東洋大は、ホームゲームの際に使用していた白地のユニフォームを着用することに決めた。グレーだったビジター用は勝運がないと思ったからだ。その上、濃紺一色のストッキングに白いラインを入れた。監督高橋は、縁起を担いだのだ。
「タカハシ主義―“戦国東都”を愛してしまった男」(『野球小僧』’04年10月号所収)より


現在のユニフォームになったのは初優勝した昭和51年からのようです。
(中央大学は昭和の終わりごろまで白のホーム用と上着が紺のビジター用を使っていたように記憶しています。当時はその理由が分かりませんでしたが、以前からの伝統を守っていたようですね。)

昭和51年(山村力人投手と畠山和彦一塁手)
画像















昭和51年(松沼雅之投手)
画像





















この頃は帽子の空気孔?に白い縁取りがあります。



昭和57年(仁村徹投手)
画像



















左袖のマークは“校章”
画像





校章の縁取りは“八咫の鏡”をデザインしたもの。
校章の由来ははっきりとは分かりませんが、明治期の哲学館時代の制帽にも“八咫の鏡”が取り入れられており、その理由を
「蓋し三種ノ神器ハ古來之ヲ仁智勇ノ三徳ニ配シ來リ。鏡ノ明瞭ニシテヨク萬象ヲ照スノ徳アルハ之ヲ智ニ配セリ。今本館ハ哲學即智學ヲ研究スル處ナレバ此制帽ヲ用フルノ道理アルヲ知ルベシ。」
(『東洋大学百年史図録』所収「館外員制帽」の記事より)
としており、校章に用いられたのも同じ理由と思われるます。


平成20年(上野大樹投手)
画像



















左袖のマークが1994年に制定された“コミニケーションマーク”に変わっています。
画像









平成27年(原樹理投手)
画像




















左袖のマークは平成24年に一旦校章に戻されました。これは、創立125周年を機にコミュニケーションマークを改めることになったからで、翌年には新たに定められた“ブランドマーク”が付けられました。
画像












東洋大学は、2012年11月に創立125周年を迎えました。これを機に、創立以来の「東洋大学のDNA」を守りながら、次の150周年に向け、地球社会の未来に貢献する大学の確立を求め、新たな歴史を創出することを誓い、その思いを込めた新たなブランドマークを制定しました。

東洋大学の新しいブランドマークは、「人」と「地球」をモチーフとして、学生がダイナミックに、そしてグローバルに世界に向かって羽ばたく姿を象徴しています。また、「哲学」を基盤として「国際化」「キャリア教育」による「グローバル人財」の育成や、高い志を持って上昇し、飛躍していく喜びと未来への期待感を表現しています。
東洋大学HPより

…なんだか良く解りませんが、とにかくそういう事だそうです…。

平成30年秋(上茶谷大河投手)
画像

















ストッキングがローカットになり、上着もゆったりしてベルトが見えなくなっています。
杉本新監督の方針なのでしょうか…。



~他校のユニフォーム~

①亜細亜大
①昭和50年代
画像
























②平成28年
画像



















基本は変わらず、変わったのは袖にマークが入った点くらい。昭和62年に制定されたシンボルマークだそうです。

③平成29年(創部60周年記念ユニフォーム)
画像














2017年だけの“期間限定”だそうですが、対戦相手からすれば従来の亜大のイメージを払拭できて、かえって戦いやすいのではないでしょうか…。


亜細亜大のストッキング
昭和60年代
画像










平成20年代
画像











②中央大
①昭和50年代=1
画像























②昭和50年代=2
画像





















東洋大の項でも触れましたが、中央大はかつては紺のユニフォームも着用していました。

②平成20年代
画像

















基本は変わっていませんが、袖と横のラインが細くなっています。また、左袖には校章が付きました。

中央大ストッキング
昭和60年代
画像


平成20年代
画像












③駒澤大
昭和50年代
画像





















平成5年
画像





















平成27年
画像























こちらも基本は昭和50年代から変わっていませんが、左袖にマークが描かれるようになりました。大学の校章やシンボルマークなどではなく“法輪”ですね。
仏旗・法輪・三帰依文について(公益財団法人 全日本仏教会HP)

駒澤大ストッキング
昭和60年代
画像











平成20年
画像













④青学大
昭和50年代
画像
















昭和50年代のロゴ
画像





帽子のマークはミッションスクールでよく使われる白百合の花でした。

平成初期~
画像




















青学大は近藤監督から河原井監督に変わった頃にユニフォームも大分変わったように記憶しております。

平成28年(二部用)
画像





















青学大は二部落ちた時は、別仕様のユニフォームを着用しています。正規のユニフォームを着たければ早く昇格しろ、とハッパをかける意味もあるようです。


青学大ストッキング
昭和50年代
画像










平成20年
画像












⑤専修大
昭和50年代
画像




















昭和末期
画像























ごく短い期間でしたが緑から紺になっていた時期がありました。

平成29年①ホーム用
画像


















平成29年②ビジター用
画像



















専修大は一部に復帰した平成27年から“オークランド・アスレチックス風”にガラッと変え、ホーム・ビジターの二色を使い分けております。
ユニフォームを変えて、即優勝したのは記憶に新しいところです。

専修大ストッキング
昭和50年代
画像










平成29年
画像














⑥日本大
平成初期
画像




















画像







胸のロゴは黒でした。



平成10年ごろ
画像



















ロゴがピンクになり、帽子の前面が白に。


平成28年
画像





















帽子が再び黒一色になり、袖のマークが桜をあしらった校章からロゴマークに変わっています。
(ストッキングは見ての通りなので省略致します。ちょっと疲れてきました…。)


⑦立正大
平成6年
画像




















平成7年
画像




















立正大は平成6年の一部初昇格の時は縦じまは入っておらず、ロゴも筆記体ではありませんでした。
平成7年に再度昇格したときは縦じまでロゴは初昇格時のまま。

平成28年
画像























以上、手元にある資料を基にわかる範囲でまとめてみましたが、他にもいろいろ変化はあるかと思われます…。


拍手を送る