『神宮球場ガイドブック』が発行されるようになるのは1986年からだが、それ以前には東都大学野球連盟発行の
『TOTO UNIVERSITY Base Ball League』と云う濃紺の表紙の冊子があって春と秋に球場内で売られていた。今筆者の手元に残っているのは1985年春のVol11しかない。1980年のVol1からの数年分も残してあったのだが、20年ほど前、実家を建て直す際に処分してしまった。今にして思えば悔やんでも悔やみきれないのだが、たまたまその時期になんやらかんやら御座いまして・・・。学生の頃のものは教科書だけ残して後はサークルの機関誌などもあらかた処分してしまった。
今残っている一冊は家内が筆者と結婚する前に住んでいたアパートの部屋にあって“難”を逃れたのである(買ったのは筆者なんですが・・・)。
さらに遡ればこの『TOTO UNIVERSITY Base Ball League』前には、B6かA5サイズの一枚の紙に裏表各三校ずつのメンバーを印刷して三つ折りにしたものが球場内で売られていた。価格は覚えていないが一枚の紙なのに結構いい値段だと思った記憶がある。これも同じく処分してしまった。
今の『神宮球場ガイドブック』や週刊ベースボールの『大学野球』などと比べると、いかにも“チープ”な感じのするものだったが、これでも当時の連盟としては頑張っていた方のようだ。
1982年の報知新聞社発行『神宮の星 大学野球82』の中に「今こそ考える“これでいいのか”大学野球」都云う記者座談会が掲載されているのだが、その中でこんなやり取りが行われている。
この座談会は、当時六大学の観客が年を追って減少してきている状況に対する記者さん達の意見交換が主なのだが、引用部分の発言にもあるように、東都のメンバー表も含めた東都の姿勢は当時の記者さん達にはある程度評価されていたようだ。(当時六大学の試合では電光掲示に切り替わったスコアボードの表示は得点だけだったのだ)
今では『神宮球場ガイドブック』や『大学野球』 『カレッジベースボールリーグ』、それに加えてインターネットでは連盟はおろか殆どの野球部がホームページをもって直接情報を発信しているのだから、ファンにとっては誠に有り難い時代になったものだ。何しろ筆者のような機械音痴の人間でも、当日の夜にはその日の試合の模様を動画で発信しているのだ。その気にさえなればメンバー表だって自分で作れてしまうのである(老眼気味の眼には辛いけど・・・)。
ただし、ネットの普及以前の情報は“どこかの誰か“がウェブ上に発信してくれない限り見ることは出来ない。その“どこかの誰か“の一人に自薦で立候補してひっそりとパソコンに向かっている筆者ではあるが、処分してしまった『TOTO UNIVERSITY Base Ball League』のことを思い出すたびにため息をついてしまうのである・・・。
『TOTO UNIVERSITY Base Ball League Vol11』Spring Series
『神宮球場ガイドブック Vol1』
このメンバーが23年前、初めて“大学日本一”に輝いた。
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『TOTO UNIVERSITY Base Ball League』と云う濃紺の表紙の冊子があって春と秋に球場内で売られていた。今筆者の手元に残っているのは1985年春のVol11しかない。1980年のVol1からの数年分も残してあったのだが、20年ほど前、実家を建て直す際に処分してしまった。今にして思えば悔やんでも悔やみきれないのだが、たまたまその時期になんやらかんやら御座いまして・・・。学生の頃のものは教科書だけ残して後はサークルの機関誌などもあらかた処分してしまった。
今残っている一冊は家内が筆者と結婚する前に住んでいたアパートの部屋にあって“難”を逃れたのである(買ったのは筆者なんですが・・・)。
さらに遡ればこの『TOTO UNIVERSITY Base Ball League』前には、B6かA5サイズの一枚の紙に裏表各三校ずつのメンバーを印刷して三つ折りにしたものが球場内で売られていた。価格は覚えていないが一枚の紙なのに結構いい値段だと思った記憶がある。これも同じく処分してしまった。
今の『神宮球場ガイドブック』や週刊ベースボールの『大学野球』などと比べると、いかにも“チープ”な感じのするものだったが、これでも当時の連盟としては頑張っていた方のようだ。
1982年の報知新聞社発行『神宮の星 大学野球82』の中に「今こそ考える“これでいいのか”大学野球」都云う記者座談会が掲載されているのだが、その中でこんなやり取りが行われている。
永見 「・・・連盟(筆者注:六大学)といえばスコアボードひとつとったって、イニングだけ。
.......... 例えば東都みたいに安打数とか四球の数とか出してあげなさいと思うよ。やれば出来ることですよ」
柿沼 「できることなら選手の出身校だってスコアボードにインプットして出してやるぐらいのことを
......... 考えてもいいと思うんだ」
今村 「東都の方が、そういう面では一所懸命ですよね。
メンバー表ひとつとったって大違いですからね」
山崎 「東都の方は、もっと客が少ないけれど、連盟は必死だ。
それこそ何とかしようという姿勢が感じられる」
この座談会は、当時六大学の観客が年を追って減少してきている状況に対する記者さん達の意見交換が主なのだが、引用部分の発言にもあるように、東都のメンバー表も含めた東都の姿勢は当時の記者さん達にはある程度評価されていたようだ。(当時六大学の試合では電光掲示に切り替わったスコアボードの表示は得点だけだったのだ)
今では『神宮球場ガイドブック』や『大学野球』 『カレッジベースボールリーグ』、それに加えてインターネットでは連盟はおろか殆どの野球部がホームページをもって直接情報を発信しているのだから、ファンにとっては誠に有り難い時代になったものだ。何しろ筆者のような機械音痴の人間でも、当日の夜にはその日の試合の模様を動画で発信しているのだ。その気にさえなればメンバー表だって自分で作れてしまうのである(老眼気味の眼には辛いけど・・・)。
ただし、ネットの普及以前の情報は“どこかの誰か“がウェブ上に発信してくれない限り見ることは出来ない。その“どこかの誰か“の一人に自薦で立候補してひっそりとパソコンに向かっている筆者ではあるが、処分してしまった『TOTO UNIVERSITY Base Ball League』のことを思い出すたびにため息をついてしまうのである・・・。
『TOTO UNIVERSITY Base Ball League Vol11』Spring Series
『神宮球場ガイドブック Vol1』
このメンバーが23年前、初めて“大学日本一”に輝いた。
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