岡田君が観たくて、先日やっと映画『エベレスト』を観に行けた。
なんだか気晴らしにはならず、また生と死について考えさせられた。
岡田准一演じる、フリーカメラマンの深町誠は知り合いの編集者からエヴェレストの写真集を
出さないかと誘われ、エヴェレスト登山隊の中にカメラマンとして同行していまいした。
しかし、2人の隊員が滑落死をしてしまったため、計画も深町の写真集も中止となりました。
深町は、諦められず ネパールのカドマンドゥを歩きつづけます。
たまたま一軒の古道具屋のウィンドウに飾ってある、一台のカメラを見つけます。
プロのカメラマンであり、また登山家でもある深町はそのカメラに興味をひかれるのです。
カメラの製造された年代は、1924年6月8日にエヴェレスト山頂付近で、
行方不明になったイギリスの登山家ジョージ・マロニーのものかもしれなかったのです。
そんな時、 日本人は死亡したと思われていた伝説の登山家 羽生丈二にばったり会うのです。
そこからこの映画の中味が作られてきます。
羽生丈二は、身を隠しながらエヴェレスト南西璧、無酸素、単独、厳冬期という、今だにだれもが
達成をしたことがない無謀な挑戦をすることでした。
深町は、羽生に同行をして写真を撮りたいと頼みます。
後半は、実際の登山の迫力あるシーンが迫力が映し出されるのですが、
「どうして危険を感じてまでも登るのか?」私にはわかりませんでした。
映画の中で「危険をさらしてまでも、そこに行くのはなぜか?」
の質問に羽生丈二は「そこに山がある、私がいる」と言葉を残したのです。
またカメラマンとして有名になりたかった深町が最後は、名誉なんかどうでもよくなった
ただこうして「生きている」という時間が持てたということ。
人間の温かみがあればこそ生きていけることがわかったのではという映画だったと思います。
自分では到底行くことが出来ない非日常感と、それを身近に感じることが出来るリアリティが表現されてい
ました。
これからも私たちはいのちのある限り
生きます。(・・・たぶん・・・)
なぜなら、この私が居るからでしょう。
辛い人生であっても、今 私がここに居る
このことに大きな意味があるのです。
近くの山を見ながら、ふとそんなことを考えて
やっていきましょう。
いくら仕事とはいえエベレスト~たかだか軽い風邪で参ってる私には岡田君や阿部さんの気持ちが理解できない
今日の私には生も死も考えられずにただ目の前の事をするだけ
風邪、大丈夫ですか?お大事にしてください。
いっぱいいっぱいの時は、目の前の事だけで精一杯だと思います。そこへ、岡田君や阿部さんの気持ちに寄り添おうとしてくれたやさしい気持ちに、ありがとう。
この映画の中の岡田君はえらい、おっさんに見えました。
気晴らしには、ならない映画でした。
私はこんな事があったから
わかることがいっぱいあります…
あかいねこさんのブログやらがあるから…
ここまでやってきました
まだまだ、これから先は修行だと思っています。
共に歩んで行きましょうね。