ねこのにくきゅう「泣き虫おかん日記ー星が笑えばー」

あかいねこの
       ひとりごと 

化けの皮

2012-04-29 14:59:43 | 日記
誕生日のチョコケーキが意外においしくなかったので、プリンアラモードでお口なおし。私が、いっぱいいっぱいの時に娘が話しかけてきてて、ボーとしてたので返事しなかったら「もう しゃべらへん」と機嫌 悪。私だって、しんどい時はあるのを、娘にわかってほしい。良いおかんを演じ、そう、あかいねこは、猫をかぶっています。ある時は飲んべぇ、ある時は泣き虫おかん、一応繊細な女やし、義理姉と旦那が仲良く話してるだけで、ヤキモチやくし、ある時はあかいねこは、うそつきです。化けの皮をベリベリとはがしましょう。
前向きなふりをして、いつか いつか 死にたいと本当は思っています。それが、寿命なのか、後追いなのか、自死なのか・・・今を生きている中で考えています。
まぁ 死にたい と言う私みたいなヤツにかぎって、ずぶとく長生きするかもしれません。
自分が落ち込んで後戻りした時には、人の幸せを、ねたみます。なので、自死するヤツを助けるだのと美しい事は、言えません。こんな人間なので、社会のためにとか、自殺防止対策とかゲートキーパーなどの美談をほざくのは、もっともっと自死遺族としての自覚や教訓を得なければならないと思っている事は事実です。
今は まだ だめな人間です。

なんか また文がおかしいような気がしないでもないが、これは 何?
後戻り? 落ち込んでるの? 今になって、記念日反応?
自分で 自分が わかりません。
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2012-04-27 13:38:41 | 日記
自分の誕生日(今日4月27日)を シ ニ ナ と、ごろあわせして(今日がお誕生日の人たち、すみません)
息子は逝った。生きていたなら、23歳の誕生日。社会人1年生。よくフレッシュマンをみかける。あいかわらず、胸をぞうきんしぼりされたようにつねられる痛さだけど、しっかりみることにした。
消防士になるのが夢だったね。もう、朝刊配達はしてないよね。自分の好きな事をやればプー太郎でも、いいよ。ただ、生きてさえいてくれたのなら・・・
そして、らっち 7歳になりました。

チョコパイが好きだから、チョコケーキをお供え。お花を持ってお墓へー
帰ると、幼稚園の時にお世話になった先生が、誕生日にあわせて、猫、猫ちゃんをおくってきてくれた。嬉しい(*^_^*)
猫好きには、たまらない『まるごと猫フェスティバル』が、阪神梅田本店8階にて4月25日~5月1日まで開催されています。お近くで猫キチの方は、ぜひ癒されてね~。私はすでに行ってきました。『猫天使』という作品が、手をつけられないほどの値だったんだけど、なんとなく息子というイメージで、買えなくても息子と同じく心にやきつけておこうと思った。
 さてさて、京都では祇園に続きまたも亀岡で痛々しい事故がありました。息子が呼んでるんじゃないだろうなって思うほど、痛い。
25日JR宝塚線脱線事故から、7年が経った。「慰霊のことば」が「悲しみの再体験はつらい」と言う事で行われなかった。

私の 心に ざわざわと 風が 吹き抜ける
記念日反応の後戻りは今のところ、大丈夫みたい
今を・・・息子の分と共に一生懸命に生きなければならない
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あさになったのでまどをあけますよ

2012-04-24 16:23:21 | 日記
この絵本の色と塗り方が好きなのでー
なにげない日々のくりかえし
そのなかにこそある たしかな希望
  生きることのよろこび
きみの まちは はれてるかな
大気にみなぎる光と気配、風景の力が描かれた荒井良二の絵本。

そして、こちらは猫ちゃんで癒されるマンガ。 こなみ かなた先生。


後戻りしながらも、少しでも前に進めますよーに 
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無題

2012-04-21 02:17:47 | 日記
昨日はお絵かき教室で、三条まで出た。教室の後は、生徒さん達と楽しくは、たてまえのランチ。にぎやかなのは、やっぱりまだダメだ。教室の皆さん ごめんね。
その後、私はせっかく三条まで出たので、四条の事故現場に合掌してきた。現場には、まだポリが三名立っていた。吉本祇園花月のビラ配りをしているぺーぺー芸人がいた。「ビラ欲しいからください」と貰ったり、合掌したりと挙動不審な私の行動にポリからジーっとみつめられた。事務的なポリに遺族の気持ちがわかるものか。私は私だ。とにらみ返してやった。うん 後戻りも大丈夫。いつか、吉本祇園花月でもみて笑えたらいいな。 さぁ さっさと帰って、愛猫らっちが縄張り争いでケンカして、足をひきずって歩いているので、病院に連れて行かなければなりません。医者に、らっちは、ちゃんと「そこが痛いのよ、さわらんといて」と言ってくれたので、ケガの場所がわかった。レントゲンとられたら、いくらいるんやろーとヒヤヒヤもんでした。
そんな、お嬢様猫なんだけど、私はらっちにも癒され支えられてる。長生きしてほしいな。らっちも4月がお誕生日(捨て猫だったので推定)なので、息子の誕生日(4月27日)と一緒に祝おうね♡
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悲しみの克服

2012-04-19 07:55:06 | 日記
「私、ウツですよね」と半ベソをかきながら、カウンセリングで質問するのは2回目。
答えは同じだった。
「あのねぇ、あなたの状況でウツ症状になるのは、当たり前なんですよ。それをあなたは自分から卒業式にいったり無謀で過酷な事をして後戻りしてるから、自然な現象なんですよ。」
カウンセリングとたくさんのあたたかいコメントを読んで、またまた思ったことを書きます。
 1、自分から強い意志で悲しみと対応しなければならない。悲しみを克服するのは「自分」であるという決意である。でもその意志が弱くて、たくさんの人のコメントに支えながら、前に進もうとしています。お酒で悲しみをまぎらす私ですが、これは一時しのぎであって決して喪失の悲しみを克服することにはならないことは、わかってはいるつもりでも、ここが頭と心が、ともなわないところ。自分の人生の中でこの悲しみをどのように受け止めるかという覚悟を持って日々を過ごさなければならない。
 2、悲しみを自らの中にかかえこむ以上、この癒しは短期間には終わらない。人によってその時間はさまざまであろうが、私自身、息子の死を思うたびに今も涙がとまらなくなるときがある。この場合の悲しみは、私の心の中に生きている息子の姿を自覚しての悲しみであると同時に、息子の中にも「私」は生きているはずであった。その「私」も息子と共に亡くなったのである。私はそのように考える事にしたが、それは「息子の中の私」への愛惜や惜別の涙なのである。
私達は「愛する人」を持たないで生きていくことはできないと思う。その愛する人は私達の心の中にー喪失をどのように埋め合わせていくかの闘いでもある。自分が生きるということは、その闘いを自覚することではないかと私は思う。
 3、この社会は「愛する人を喪って悲しんでいる人たち」に冷たいと感じる。冷たいというより、その慰めの言葉の中にどこか傍観者的な響きがある。そのために二重、三重に傷つくこともあるということが言いたい。社会全体に悲しみと向き合っている人にどう対応すべきかのルールが確定していない。そのことは自分が「愛する人」を喪って悲しみの中にいるときに、初めてわかってくる。ということは、私も悲しみに向き合ったことがないときは、ずいぶん傍観者的な響きの言葉を口にしていたとの自省がなければならないとの教訓も含んでいる。

さて さて、後戻りを何度も何度も繰り返し、こんな事を思い、感じながら、私のこれからは どうなって行くのか 皆様と一緒に ハラハラドキドキ 感じ考えましょう!
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