ねこのにくきゅう「泣き虫おかん日記ー星が笑えばー」

あかいねこの
       ひとりごと 

4年目と進む

2013-12-31 06:48:41 | 日記
自分からは 開けられない
誰かが 開けてくれた ときに
迷わず飛び込んで いけるかどうか
そこで力を出せるか どうか

進んできた 先の今日 笑っている

安らかだった・・・
あの日の夜は 深い深い海の底に いるような 静けさだった・・・

ありがとう ごめんなさい
まるで星空の彼方から 降り注いできたかのように そう聞こえた・・・
ありがとう ごめんなさい さようなら

まだ悲しくて 寂しくて たまらないけど
何より感謝の気持ちで いっぱい・・・
喪っても まだ心が 温かい 温かくて幸せを 感じる(喪って幸せを感じるっておかしい表現だけど、今は心が温かいことに幸せを感じているってことです)

さようなら ごめんなさい ありがとう
ありがとう ごめんなさい 三年目さようなら
こんにちは!四年目へ・・・

意味不明なブログにお付き合い頂きありがとうございます。何度も何度も3年目を期に自死遺族ブログから卒業しようと考えていましたが、できませんでした。なぜなら題名の『泣き虫おかん日記ー星が笑えばー』がなくなってしまうからです。息子の星はまだ流星にしたくない。なんらかの形で私の中に残すことができたときまで、来年もよろしくお願い致します。
まだまだ、お正月を迎えるのはとてもとても辛いことですが、頑張って賀状を出しました。少しずつ前に進むために・・・まだ真っ暗なトンネルをさまよっていらっしゃる方にも灯りがみえますように・・・
よいお年をお迎えください。私にとっても良い年がおとずれますように・・・ 
来年こそは、馬くいく年で ありますようにー オヤジギャグにて。。。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

焦る心だけが空回り

2013-12-28 00:06:34 | 日記
照らさないで 月。隠れろ 全部雲で 隠しちゃえ。
月も この想いも・・・

息子と一緒にいた時間は長いから、思い出も量も多い。
声も身体も、ちゃんと頭の中で聞こえてるし動いてるけど・・・
あの時はどうだったとか 何を言っていたとか 想い出せないことってどうしてもあって 
少しずつ砂のように 手から思い出が こぼれて落ちているのが わかるんだ 
一分一秒ひとつぶも 逃したくなくても どうしても 人は忘れる生き物って言うけれど 
息子の想いは何一つ 変わってないのに
全部忘れないって誓ったのに おかんは これからも誓いを やぶり続けるんだ・・・

律儀に仏壇に 花や食べ物を供えたり 息子がそこにいるように みえるのは 
おかん自身が 息子を忘れるのが怖いから? 
手に残った砂を これ以上 落とさないように
落ちた砂も かき集めるように・・・ 自分を責めながら・・・

後を追うつもりだったあの日を越え 明日からも 生きると決めた 
また息子に運命を 変えられた
もがき続けて いまだ人生は 泥の中  それでも 前へ
息子がいなくても 生きていけるように でも私たちは たしかにつながっていた
ぜいたくな空想も 慎ましい現実も 思い出も 全て私のもの

まだまだ これから生き方に迷う 私は何を願って生きているのか?
「いのち」は 日々の喜びと 悲しみによって 育てられている  
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大切な人を亡くした人にかける言葉についての考察

2013-12-25 09:48:47 | 日記
【悲しみに暮れる人にかけてしまいがちだけど実はNGな言葉】
●「がんばろう」

●「泣かないで」「泣いてはダメ」

●「早く元気になってね」

●「あなただけじゃない」

●「時がすべてを癒す」

●「もう立ち直れた?」

●「私はあなたの苦しみがよくわかる」

・・・・

言ってしまいがちな言葉ばかりだ。

発している方は悪気がない。いや、それよりも、元気になってほしい、励ましたい、自分にできることはないかを探って、上記のような言葉を口にしてしまう。

でも、言われた側は、それによってさらに深く傷ついたりする。

“変えられないことは そのまま受け入れる平静さと、変えられることは すぐにそれを行う勇気を与えてください”

皆さんは この言葉どのように捉えるだろうか。

田中淳子さんの『大人の学び支援隊オルタナティブ』ブログより
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

望年会

2013-12-19 15:19:22 | 日記
冷たい雨は氷となって、私の心に突き刺さってくる。昨日は雨の日の外出となった。行くのがものすごく億劫だ。そこに行けば嫌な事がおこるとまた感情が先走ってしまうのだ。
こんな情けない母の感情が娘にうつるのだろうか。仕事を休みたいとダダをこねる子供のように泣いて訴えている。休みたいなら休んでもいいけど私は行きたくないってブツブツ言ってるけど出かけるよ。
席描き教室の望年会(忘年会)です。この望年会という文字に魅かれて行くのです。
嫌なことを忘れるための忘年会でもあるけど、後ろを振り返らずに希望を持って前を向くための望みの望年会。この望年会の縁の下の力持ちをしてくれていたSさんに感謝します。また私に会いたいと言われて、Sさんの気配り目配りに魅力を感じていた。
 豪華ゲストは、USJで席描きをしていらっしゃる大先生。この大先生と絵に会いたくて行ったんだけど、ぜんぜん話ができませんでした。そのかわりに、おもしろい話を聞きました。
絵が仕上がって「間違いはありませんか?」と言って似顔絵をみせると、ほとんどの人が入れてもらった名前に間違いがないか見入っている。その間違いちゃうやろ、似顔絵が間違ってる(似てない)やろ~と突っ込みたくなるそうです。
 帰り際に集合写真を撮りました。「幸せいっぱいの笑顔で撮りますよ~」「来年も幸せでありますよ~に」
“パチリ” みんな楽しそうな笑顔。ツクリワライうまくなりました。ほんとにほんまに私は嘘つきです。

私の悲しみの大波が高くなってきています。
何をしても楽しくありません。
人とも会いたくありません。
3年目の区切りで複雑な心境のまま賀状を書きました。
何かを描いたり、文章を書く事は出来ました。

明日はまた実家に両親の様子をみに行かなければなりません。

今は 一日が

そっと 静かに

過ぎ去れば

それだけで 充分 です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一ヶ月後は祥月命日

2013-12-06 13:16:04 | 日記
空気が乾燥しているらしい。確かに、スッピンの私のお肌はボロボロだ。
乾燥と関係があるのかないのか、命日が近いのか、最近やたらとバキバキというラップ音がうるさい。
夜、寝ている時に特に気なる。
「息子なら2回ならしてね」すぐに返事はない。
うつらうつらしかけていると、 バキッ バキッ と2回返事を忘れかけた頃にしてくれる。
ふっふ、あの子らしいわ。そんで、勝手に会話した。
仏壇前に供えてある、ポテチとコーラーの賞味期限が切れてるから、おかんがさっさと食べろ という伝言らしい。
次の日、見てみると9月に賞味期限切れになっていたので、おかんが息子の分まで食しましたとさ。
はい、この話は私が創ったものでしょうか?本当でしょうか?信じる信じないは、あなた次第。

「強くなりなさい」と言われなくても、強くならざるおえません。
だからこそ、強がらなくてもいい場所を、そのままの自分を受け入れて・・・
なかなか超えられないハードルを、軽々と越えるヤツが憎い。頑張ってる人の芽を摘んでしまいたい。
頑張ってる人には、影の努力がある事を知っていて、どうしようもなくひがむのだ。あきれるほどに情けない。命日前は、そんな醜い心になってしまう。紅葉 妬けるような赤。

「誰かのための誰か」なんてどこにもいないのに。まして「息子のかわりの息子」なんてのもどこにもいない。それは、私を突き放すようでもあり、慰めるようでもある。

     さみしい

ただ この言葉は ほんの少し

      私を 救った
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする