先日、お寺とお墓参りに行った。
もう、副住職を観ても胸がぎゅうってあまりならなくなった。
エンディングノートをもらった。ほしかっただけに嬉しかった。
たいがいの人の最期は「ありがとう」と言って逝く。恨み憎しみながら逝かないらしいが、家族として1つになれない私たちは、どんな言葉を残して逝くのだろう・・・息子は「ごめんなさい」だったなぁ・・・
お墓は、誰かがきてくれたのか、ファンタがお供えされていて嬉しく思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ee/1510c34b2cf660d444b904092128e8ab.jpg)
引接和讃(いんじょうわか) 作詞 藤堂 恭俊
迎えるぞ 迎えるぞ
一人漏れなく たがいなく
待ちわびたもう 阿弥陀ほとけは
待ちわびたもう 阿弥陀ほとけは
南無阿弥陀仏のみ名をとなえる衆生は、南無阿弥陀仏によりすべてもれなく
お救いくださるという往生人の
安らかな心を詠みあげられている。
もう、副住職を観ても胸がぎゅうってあまりならなくなった。
エンディングノートをもらった。ほしかっただけに嬉しかった。
たいがいの人の最期は「ありがとう」と言って逝く。恨み憎しみながら逝かないらしいが、家族として1つになれない私たちは、どんな言葉を残して逝くのだろう・・・息子は「ごめんなさい」だったなぁ・・・
お墓は、誰かがきてくれたのか、ファンタがお供えされていて嬉しく思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ee/1510c34b2cf660d444b904092128e8ab.jpg)
引接和讃(いんじょうわか) 作詞 藤堂 恭俊
迎えるぞ 迎えるぞ
一人漏れなく たがいなく
待ちわびたもう 阿弥陀ほとけは
待ちわびたもう 阿弥陀ほとけは
南無阿弥陀仏のみ名をとなえる衆生は、南無阿弥陀仏によりすべてもれなく
お救いくださるという往生人の
安らかな心を詠みあげられている。