すっきりしない天気が続いています。昨日は秋のお彼岸でしたが、いまいちの天気のために今日にやっとお墓参りに行けました。
お彼岸の供養でお寺に行く日は、台風の影響で大雨、雷でした。おまけに、出かけるときに土砂災害避難メールが入りました。避難しろと言われても、供養にお寺に向かうしかないでしょう。雷にうたれて別に死んでもいいから・・・と出掛けました。受付は副住職でした。何か話がしたくて「いずれ無縁になれば永代供養はしてくれますか?」と聞いた。「やってますよ」という言葉に安堵した。
ご住職は「台風の中、出かけるのはすごい勇気ですね」と言われた。だってこれが供養なんだから仕方ないでしょう。
法話は、「何のために生きているのか?生きる目標は何か?」と問われ、早くあの子のところにいきたいのだけれど、それまで供養するためとしか目標が浮かばなかった。
『天国』はクリスチャンが使う言葉でうちの宗派は『極楽浄土』という。そこはよく間違われるらしい。
うん、1つ勉強になった。
お墓参りでは、すでにお花とジュースがお供えされていました。あの子の友達だってすぐにわかりました。あの子の好きなジュースだったからです。優しい、いい友達だね。
彼岸はあの世とこちらの世界の距離?時間?が同じ?になるとかで、想いにふけろうかと思ったら、二軒お隣さんがお参りに来られて墓地に除草剤をぶっかけているのに、あっけにとられて眺めていた。この墓地の下に眠っている骨に除草剤をふりかけてるものだよね。あの子に薬物は使いたくないなぁ。と思っていてもいつかは、めんどうになって、除草剤を使ってしまうのかなぁ。姑が眠っているなら、やってたかな。
なんだか切ない。
『四月は君の嘘』という映画を観に行った。月9でシェフ役をしていた山崎賢人君がピアニストの役をしていて、全然関係ないけど息子と重ねて見ていた。病気の母のために頑張ってピアノを弾いていたが、ちっともよくならない母に苛立ち“死んでしまえ”と言ったその夜に旅立ったことに自分が殺したと自責の念からピアノが弾けなくなる。そんな内容に私も絵が描けない、音楽も聴けないと重ねた。でもね、いつかは前を向かなきゃダメだよって背中を押してくれる映画だったんだけど、まだ私は同じところをグルグルと回ってる。
その映画を観る前に、親戚の葬儀があった。葬儀にはもう出席したくないんだ。勘弁してくれよ。そうぼやいていてもしかたないのだが、病気で余命3か月と言われながら1年半生きたとかで・・・それがわかっていても家族の泣き崩れる涙をみればフラッシュバックしてしまう。
苦しいね、苦しいよ。そんな想いを抱えながら今日も今日という日を生きてます。