本日、終戦記念日の街頭宣伝を大島都議、浅子区議と一緒に北千住駅でおこないました。
その時の私の訴えを紹介します
今年の終戦記念日は、東日本大震災と東京電力福島第一原発の爆発事故という戦後かつてない苦難と辛苦のなかで迎えることとなりました。
日本共産党はこの災害で犠牲になられた方々に心から哀悼の意を表明するとともに避難生活を余儀なくされている方々、放射能による重大な被害を受けている方々に心からお見舞い申し上げます。
先日地域で世界大会の報告会、戦争体験を語るつどいを開きました。
「学童疎開で親と離されて寂しく、つばめの巣を見て親鳥が子どもに餌を運んでいる姿がうらやましかった。」
「弟は広島の原爆による復旧救援作業にかりだされ、死体収容作業など阿鼻叫喚の現状を目の当たりにしたが、その体験を56年後に語った」
「学童疎開から帰ってきて北千住駅に降り立ったら4本煙突が良く見えて、そこまでは焼け野原で何もなかった」
「学校の先生が『お父さんやお兄さんが出征なさっている人、早く帰って来られるといいですね』と言っていたと家の人に言ったら『そんな非国民のいる学校へは明日から行かなくていい』と怒られた」などなど戦争のつらい思い出が次々と語られました。
私は、これらの話を聞く中で、二度と戦争は起こしてはいけないと強く思いました。
また、私は8月7~9日長崎での原水爆禁止世界大会に参加してきました。そして全国の人たち、世界の人たちの草の根の力が核兵器廃絶を実現する、世界を動かしていると確信しました。
原子爆弾によって広島で14万人、長崎で7万人が一瞬のうちに命を失い、生き残った人たちも未だに放射能によって苦しんでいます。二度と被爆者を作らないようにと運動してきた私たちですが、今回原発事故で三度目の被爆者をうんでしまいました。原発事故は地震や津波と同じではなく、戦争と同様人間の手によるものです。だからこそ、人間の手で止める事ができます。
戦後営々と築きあげられてきた生活が二度と失われる事が無いよう原発からの撤退を今こそ決断すべき時だと思います。これ以上の放射線による被害者を出さないために原発ゼロの日本をめざす、そして核兵器のない世界を実現することは急務です。
日本共産党は一貫して侵略戦争に反対し、国民の命とくらしを守ってきた政党です。これからも「核兵器のない世界」「原発ゼロの日本」をめざし、命とくらしを守る政治へと変えていくためにみなさんと一緒にがんばります。