「ラーゲリでの食事の様子」との説明書きがあった。ラーゲルとはロシア語で収容所を意味するとのこと。
左に「DDT」とある。ノミやシラミ駆除のために頭や身体に振りかけた粉末の薬品だ。
引揚当時の様子がジオラマとして展示されていた。
引揚船が並んでいます。 そのほとんどが貨物船、夏は蒸し風呂、冬は凍るほどの寒さだったと説明されています。
引揚船 記念館のホームページからいただきました。これは客船だ。
私たちの年代のものにとっては、忘れられないお話であり歌だ。「いせさん」のお住まいは東京。息子が生きて帰ると信じて舞鶴へ幾度となく足を運ぶ。と説明されています。その隣には、昭和51年(1976)映画「岸壁の母」のポスター、「いせ」さんを演じたのは中村玉緒さん。
まだまだ時間が足りませんが、閉館の時間になってしまった。展示を見ていると「関東軍」「満州国」「満鉄」「満蒙開拓」などなど忌まわしい過去が思い浮かぶとともに、国策に翻弄された国民の無念さを知るのでした。この館には、全国から1万6千点もの貴重な資料の寄贈があったといいます。常設展示は1000点余。平成27年(2015)に収蔵資料のうち570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されたそうです。
東舞鶴駅まで幸いにも帰りのバスがあった。市役所はこの駅の近くにあるという。この地の中心地だろうに、なぜ「舞鶴駅」といわないの。西舞鶴との間に何かいさかいでもあって、東と西ということになっちゃったのだろうか。どうでもいいことに頭が傾くのでした。そしてあの手形を使って西舞鶴駅へバス約30分。
西舞鶴駅では、シャトルバスまでだいぶ時間があった。近くにいた高校生にラーメン屋さんを教えてもらった。親切親切、学校帰りの彼が自転車を押しながら連れてってくれた。若い兄ちゃん、こんなのうれしいよね。そしてそのラーメンのうまかったこと。ロマンチカで食したラーメンが貧しくなる。港に着いたら、偶然にも天橋立コースの観光を終えた横浜組と一緒になった。