ある旅行社のページからいただきました。いろいろ探した中でこれがNO1。この12か所の遺産をまとめて「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録されたのでした。登録理由はいろいろ書いてありますが、ざっと言えば「江戸幕府がキリスト教を禁じた17~19世紀に、社会と共生しながら、仏教や神道の信者を装い、ひそかに信仰を守り続け、250年にもわたって「潜伏キリシタン」として育んだ独特の文化的伝統を示す遺産群」ということのようだ。
世界遺産の村が見えてきた「頭ヶ島の集落」名前のとおり島なのだ。昔は小船でしか来られなかったような隔絶された孤島で役人の目も届かなかったため、この島には多くのキリシタンが潜んでいたという。世界遺産は、その建物だけでなく村全体が遺産としての位置づけのようだ。数多くある教会の中で、この町唯一の世界遺産なのです。あまりにも遠いのでズームしてとらえたのが次の写真。
山を一回りして天主堂に向かっています。
2006年に閉鎖したという上五島空港からシャトルバスに乗り換えてやってきました。頭ケ島天主堂。
どこの教会へ行っても、こうした説明書があります。英語のほか韓国・中国さんの言語でも記しています。いっぱい書かれていて転写しきれませんが、抜き書きしてみれば 『この島は江戸時代末期までは無人島だった。安政6年(1859)迫害を受けたキリシタンがやってきた。そして慶應3年(1867)教会らしきものができた。現天主堂は、明治43年(1910)から9年の歳月をかけ完成した。設計施工は鉄川与助であり、教徒が石積み工事に参加した』
病人を助けるため荒海に漕ぎだした宣教師他12名が遭難して波間を漂っていた。救助に来たと思われた船が、宣教師が多額の金品を所持していることを知ると、全員を舵棒で撲殺したという。そのとき皆は異口同音に「おお唯一の希望なる十字架よ」の歌を口にしていたという・・・なんてことが書いてあります。
石垣の上、左が「フレール師同伴信徒殉教者記念の塔」神父他12名のお名前と年齢が刻まれています。真ん中に「キリシタン拷問五六石之塔」右に「五島キリシタン信仰復活の碑」がありました。
なんとも優しいお顔をしていた。そんなマリア様を大きく写してみました。
撮影はここまで、教会堂内の撮影は禁止。
信者が島にある砂岩を切り出して積み上げたといいます。重厚感のある外観、左の壁にも二か所、ステンドグラスの窓を作ろうとしたのでしょうか。こうした石造りの教会は、全国でも珍しいそうです。
添乗員とガイドさんが入って集合写真。いつものとおり私は写すひと。
スタンプラリー台紙。29コマあっても立ち寄る教会は数か所しかありません。