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奈留島と久賀島(2018九州no7)

2018-11-23 | 九州

  

 世界遺産「奈留島(なるしま)の江上集落」にやってきた。この島からが五島市だ。私たちを降ろしたタクシーは、なぜか岸壁を離れたところに錨を下したようだ。すぐ左防波堤の奥に江上天主堂が見えている。
 

 この景色が私は気に入った。手前の多分防風林として植えられただろう「タブの木」がかっこいい。もちろんタブの木なんて知らなかった。翌日のガイドさんに聞いて知るのでした。教会をホームページで検索したら予約が必要と出てきた。私たちの訪問に合わせて扉を開いてくれたらしい。管理している方は韓国の方。牧師さんかどうか知りませんが、いやびっくり。 

 ここからはネットで検索した記事。・・・1873年(明治6)に禁教の高札が撤去されても、奈留島では潜伏時代の信仰を維持する「かくれキリシタン」が多かった。しかし、江上地区の4家族は1881年(明治14年)に全員がカトリックに復帰し、1906年(明治39)頃には簡素な教会を建てた。・・・4家族だけで教会を建てちゃったんだろうか。信仰の力を見るおもいだ。ここで初めて「隠れキリシタン」という文言が出てきた。「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」この両者が何としても気になるのです。そもそも私は潜伏キリシタンという言葉を知らなかった。

 水色の窓枠を開いてくれれば、手書きのステンドグラスが見えたのに残念。

 堂内は撮影禁止。案内パンフを貼り付けました。 これも曲線美だ。これからの記述はネット調べ。・・・現在の江上教会が建設されたのは1918年(大正7)である。当時の信者は40~50戸だったが、漁業で建設資金を貯め、教会用地は自分達で山を切り崩して造成した。設計施工は鉄川与助で、クリーム色の板張り壁に水色の窓枠がはめられ、柱には木目模様を手描きし、ステンドグラスの代わりに透明ガラスに花を描くなど、信者の献身的な作業がしのばれる。大正時代には鉄筋コンクリートが主流になっていく中、小規模ながら日本の代表的な木造教会として、2008年に国の重要文化財に指定された。・・・と書いてありました。

 教会の隣に立派な建物があった。江上小学校。平成10年廃校ですって。1980年(昭和55)にこんな立派な校舎を造ったのに少子化の嵐には勝てなかったようだ。 平成20年からは「小中」でも「中高」でもない、小中高一貫教育が本格実施されたといいます。

 

 タクシーに乗って久賀島に向かいます。 

 

 旧五輪教会。オリンピックではありません。集落の名前が五輪。この教会を含めて世界遺産「久賀島の集落」 として登録されたのです。それにしても「集落」が遺産登録というのは素晴らしいと思う。言ってみれば潜伏キリシタンの村ということか。今回日本で22件目として登録されたこの世界遺産、12ある資産のうち10か所が集落だ。しかし、指定された地域の保全はどうなるの。と気にかかる。近代的なお家は造れないのでしょうか。

 国指定の重要文化財。明治14年(1881)に建築されたものを、昭和6年にこの地に移築した。と書いてあり、木造建築としては最古の部類に入ると思われる。としてあります。 

 市に寄贈されたというこの教会、隣に真新しい新五輪教会があるのです。この教会には管理人は誰もいませんでした。自由に撮影できるのです。それにしても素朴な教会。なにがなんでも教会が欲しい。時の信徒の皆さんの気持ちが伝わってきます。 

 

 

 気になっている二つのキリシタンについて調べてみた。AERAがこう書いていた【「潜伏キリシタン」という言葉に馴染みのない人も多いのではないだろうか。似たような言葉で「かくれキリシタン」が思い浮かぶが、実はこの二つには、明確な違いがある。1644年から1873年までの230年間、禁教の時代を文字通り潜伏して生き抜き、明治になって禁教が解かれたときにカトリックに復帰した信者たちを「潜伏キリシタン」、一方で、カトリックに復帰せずに潜伏期以来の儀礼や行事を守ってきた人たちを「かくれキリシタン」と、便宜的に呼び別けている。】

 こうして並べてみると旧教会はまるで民家だ。手前の新しい教会が新五輪教会。さていつ出来たのかわかりませんが、これも自前の教会でしょうか。とすればやはり信教の力というのはすごい。その「信教の力」が、時として地球上に宗教戦争と表現されるような戦いを起こしてしまうのかもしれません。

  「黒島です」と船長さんが言った。この写真に写っている小さな島がそうであるかどうか分かりませんが、そこで衝撃的な言葉が出た。「住人は二人」確かに私はふたりと聞いた。

 と言われて、拾ってみた。これをどこから見つけて来たのか覚えていませんが、びっくり仰天の数字だ。この数字を書き込んだのは私ではありませんから念のため。もひとつ、35年の上段に書かれている人数はいつのものかも分かりません。

 福江島にたどり着いてホテルにチェックイン。お部屋にお茶菓子があった。食べちゃってから「そうはいっても」と写したのがこれ。天皇皇后さまが佐世保で開催された「全国豊かな海づくり大会」のおり足を延ばしてこの島に立ち寄り、このホテルで宿泊されたそうだ。 

 赤矢印は満月らしいお月さま。今宵は自由食。ここでも「ちゃんぽん」が食べたいとフロントで聞いての出発。途中ガソリンスタンドでも確認。赤ちょうちんはあったけど、ちゃんぽん屋さんは見当たらない。港まで歩いて引き返すのでした。アーケード通りを歩いても、めし屋さんは目に留まらない。よって最後はコンビニのお弁当。悲しい夜になりました。  

コメント
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