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昭和の町散策(2021九州no7)

2021-06-09 | 九州

 宇佐市から豊後高田市にやってきた。中之島旅館でお昼ご飯。食卓の目の前での手際いい蕎麦打ちを見学しながらの食事。

 茶碗蒸しをひとさじいただいてからの撮影になった。トントントントンそば切りの音が気になってなりません。

 

 待望のそばがやってきた。大盛だ。ざるそばではなかったのが残念。でも、おいしさは満点だった。ごはん大盛の茶碗は遠くにサヨナラするのでした。

 食事を済ませて旅館を出たところにガイドさんが待っててくれた。「お百姓の小っちゃなおばはんです」ユーモアーいっぱいの自己紹介。

 ガイドのおばちゃんがこの地図をみんなに配ってくれた。その一部分を切り取りました。二重丸の橋を渡って進むのでした。こんな感じで昭和のお家が並んでいます。どうやら建て替えちゃったお家は番号を付けてもらえないようだ。

 桂川を渡って昭和の町に向かっています。観光協会のパンフレットでは「街の心に出逢う昭和の町」と紹介している。

   豊後高田市のホームページには、こんな写真がありました。

 通りの延長は500メートルほどだという。郊外に大型店が立地して取り残された街になってしまったといいます。このことは全国各地での現象だ。それを逆手にとってのまちづくり。「昭和の町」として全国に知られるようになったというのです。よって、私たちも観光に訪れているというわけだ。

 1950年 (昭和25) 代後半のことだという「三種の神器」洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビが並んでた。そこにはこんな説明書きがあるのでした。昭和30年国家公務員初任給8700円、洗濯機32500円、昭和32年平均月収6000円、冷蔵庫16万円 「わぉう月給27か月分だ」そして昭和36年国家公務員初任給14200円、白黒テレビ15万円と書かれている。当時これら電化製品はまさに「神器」であったことは間違いないようだ。ちなみに、「貧乏人は麦を食え」と池田勇人蔵相が発言したといわれている年が昭和25年。しかし彼の所得倍増論が功を奏したということか、昭和31年(1956)の経済白書が「もはや戦後ではない」と戦後の復興を宣言している。

 懐かしい顔もあった「黒い花びら」1959年 (昭和34) 発売の歌手水原弘だ。蚊取り線香はキンチョウじゃなかったんだ。街並みで写した写真はここまで。以後の写真は、昭和のお宝を詰め込んだ施設だという「昭和の町展示館」「昭和ロマン蔵」での写真になります。

 ああ懐かしい。手前に並んでいる古もだけど、ポスターが。「現金に手を出すな」ジャン・ギャバン「麗しのサブリナ」オードリー・ヘプバーン「騎兵隊」ジョン・ウェインとウイリアム・ホールデン~~若かりし頃がよみがえるのでした。

 たぶん小学校の教室かも。隅にあるのはオルガンらしい。

 現役のボンネットバス。どうやら催しもののある時には街中を走るらしい。右にはサニー (日産)・コロナ (トヨタ) や大村崑によるコマーシャルで大人気だったダイハツのミゼットなどが並んでいました。

 

 

 「講和条約けさ調印終る」吉田全権署名 米英初め49か国 なんて見出しを打った昭和26年 (1951) の朝日新聞が飾られていた。

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