先ほどのニュースを見て驚いた。
「笠谷幸生さんが亡くなった」というニュースだった。享年80歳。
スキージャンプの選手で、札幌冬季五輪の英雄だった人だ。
えっ、笠谷幸生さんが?
何ともまぁ、久しぶりにこのお名前を聞いたわけですが。
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あれは1972年(昭和47年)の2月のことでした。
初めて日本で行われた冬季五輪。場所は北海道の札幌だった。
僕は結婚した翌年で、23歳。妻はお腹が大きかった。
4月に子供が生まれる、という時期でした。
(ちなみに、そのお腹の子は、今のモミィのパパです。古い話やねぇ~)
そんなお腹の大きい妻と2人で暮らしていた僕は、テレビの冬季五輪に夢中になっていたのです。
中でも最高に興奮したのがスキージャンプでした。
そこで笠谷選手が、冬のオリンピックで日本人として初めての金メダルを獲得したのです。しかもその種目、銀メダルに金野選手、銅メダルに青地選手と、1位から3位までの全部のメダルを日本選手が独占するという、夢のような結果でした。世界各国でも「快挙」として称賛されたようでした。
きょう、その笠谷選手が亡くなったとの報を聞き、長男が生まれた1972年(昭和47年)当時のことを思い出し、あの年は笠谷選手のことをはじめ、本当にいろんなことがあったんだなぁと思ったものです。
この本は、朝日グラフの「増刊」ということで、1972年を回顧する本で、僕の本棚にあったものを引っ張り出して、先ほど写真を撮りました。
その本の最初のページに、笠谷選手の写真が載っています。
やはり、1972年のトップスターだったんですよね。
当時はオリンピックは夏季、冬季とも、同じ年に行われており、この年は2月に札幌で冬季、8月にミュンヘンで夏季オリンピックが行われました。
それにしてもこの1972年というのは、いろんなことがありました。
田中角栄首相のもとに日中の国交回復があって、パンダが日本にやって来た。
初めて日本へ来たパンダはカンカンとランラン。
これはランランです。
大きな事件として、連合赤軍が浅間山荘に立てこもったあの事件は、日本中がテレビに釘付けになりました。
グアム島で、横井庄一さんが終戦から28年間、生き残ってジャングルの穴倉で生活をしていたことが発見されたのもこの年。
大阪ミナミでは千日デパートが焼け、100人以上の死者を出し、中でも7階のアルサロのホステスさんたちから大量の死傷者が出た、という事故もありました。
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そして今日ですが、19年前の4月25日に、JR福知山線の尼崎で、列車がスピードを出し過ぎてカーブを曲がり切れずマンションに激突し、107名の方々が亡くなられた日でした。僕は当時、勤務先の市役所で執務中でしたが、同僚が「えらいことが起きたで!」と顔色を変えて伝えてくれたのを今でもはっきり記憶に残っています。
19年前と言えば2005年。その年の秋に、モミィが生まれました。
そんなことで、最近は特に、自分が歩んできた人生と、過去の世の中の出来事を思い比べることが多くなりました。
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