今月下旬にアルゼンチンへ行くことになっている。
ずいぶん以前から計画していた旅行だが、出発まであと2週間を切り、そろそろきちんとした準備もしなければならない。
準備といえば、4月からECCに英語を習いに行き始めたことも、今、独学でスペイン語を勉強していることも、まあ、準備といえば準備だから、こういう準備は、どの服を着ていくか、あちらに行ってどこを観光するか…というたぐいの準備に比べて、長い期間が必要だ。
パックツアーではなく、個人ツアーである。いろいろなことを研究・勉強しておかなければならない。
なぜ地球の裏側にあるような遠いアルゼンチンまで行くのか…?
これには深いわけ…じゃ~なくて、単純なわけがある。
甥が、アルゼンチンのブエノスアイレスに住んでいるのだ。
当地のレストランでシェフをしている。
その甥に会いに行くのが、旅の一番の目的なのだ。
甥のヒロユキは、最近、パリやハワイやカナダへいっしょに旅行している妻の姉の子どもである。昭和44年生まれだから、それこそ僕が自転車旅行をした年に生まれた子だ。自転車旅行から帰り、始めて妻の実家へ行ったとき、その姉の子は、まだ生まれたての赤ちゃんだった。
成人してキタの新地で寿司を握っていた彼は、あるときスペイン料理店のオーナーにスカウトされ転身した。そして1995年に本場スペインへ修業の旅に立った。
フランスとの国境に近いスペインのサンセバスチャンというところの店に住み込んで働いていた彼を、一度、僕たち夫婦が訪ねて行ったことがあった。
その1995年の秋、僕たちは個人旅行でパリへ出かけ、合間にパリのホテルに荷物を置いたまま、新幹線で国境を越え、サンセバスチャンで2泊して、ヒロユキと会った。ヒロユキの母である妻の姉は、そのころ仕事を持っており、都合がつかず、行ったのは僕と妻の2人だけだった。
ヒロユキは、何年か後に日本に帰ってきてスペイン料理店を開くものと思っていたら、どういうわけだか、今度はアルゼンチンに行ってしまったのである。
おそらく、もう二度と日本に戻って来ることは、ないのではないか。
「日本は、こちらに比べて料理人の地位が低いから…」
とヒロユキは、スペインで会った時、そう言っていた。
ヒロユキの母、つまり妻の姉は、最近の僕たち夫婦の海外旅行にいつも同行するようになった。
「この歳になって、外国へ連れて行ってもらえるなんて、夢みたい」
と、僕に感謝してくれているのであるが、それならいっそ、3人で、遠い遠い国に住んでいるヒロユキの顔を見に行こうではないか…ということになったのが、1年以上前のことだった。
しかし、旅行社に問い合わせても、アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスだけという個人ツアーはなかなか見当たらないものである。
どこを捜してもない。ブラジルのリオやペルーなどとセットになっている「南米○日間ツアー」というパックはあるのだけれど、そこではブエノスアイレスは1泊、あるいは2泊というのが精一杯で、これではせっかくなのに日が足らない。僕たちはブエノスアイレスだけでいいから、4、5日は滞在したいのである。
妻がさんざん探したあげく、J◎Bでひとつだけ、ブエノスアイレスのみの個人ツアーがあったのを見つけた。人数は一人からOKだ。
「おお、これや、これやっ!」
迷うことなくそれに3人で申し込んだのである。
ヒロユキには、アルゼンチンに行くことをメールで告げている。
彼も、母と会えるのを楽しみにしているであろう。
昭和44年生まれだから、ヒロユキもかれこれ40歳になる。
最近、あちらで彼女が出来たらしい 
もちろんアルゼンチン人である。
メールで送られてきた写真を見せてもらうと、愛くるしい笑顔のセニョリータであった。名前は「Sor」ちゃん、というのだそうだ。
「ソル」と読むのか、「ソール」と読むのか、スペイン語をかじっている僕にもよくわからないが、先日はこのお嬢さんへのお土産を妻が買っていた。
彼女は日本語が全然ダメなようなので、ここはひとつスペイン語を磨いて「Sor」ちゃんと会話しなくっちゃ…
。
そんなことで、9月22日に出発して、29日に帰って来るのであるが、旅行社からもらった行程表を見ると、なんとまあ、大阪からアルゼンチンに行くのは、びっくりするほどの時間がかかるのである。
時差があってわかりにくいけれど、次に掲げてみる。

9月22日午後2時30分に大阪伊丹空港を出発。
午後3時35分に成田空港に着く。
2時間半後の午後6時に、成田空港を出発。
11時間45分をかけて米テキサス州のダラス空港に着く。
ダラスと言えば、ケネディ大統領が暗殺された地だ。
ダラス着は、日本時間の翌23日の午前5時45分。
現地のダラスでは、まだ22日の午後3時45分である。
ダラス空港から次のアルゼンチン行きの飛行機に乗るまで、4時間待つ。

ところでダラスで乗換えをするというだけで、アメリカに入国することになり、それにはESTAという電子渡航認証を取得しなければならない。今年の1月12日からこの制度が義務化されたのであるが、ちょうどこの頃、カナダに旅立った僕たちは、わずか数日の差で、ESTAのシステムの対象外となり、申請しなくてすんだ。
しかし今度はしなければならない。
パソコンで出来るのだが、旅行社に「代行」してもらうと1人4,000円も手数料がかかるという。もちろん、3人分とも、僕が自分のパソコンで申請し、認証を取得した。しかしパソコンのできない人は、ますます不便な世の中になるなぁ。
さて、ダラス空港で4時間待ったあと、アルゼンチン行きの飛行機に乗る。これが日本時間の23日午前9時35分発で、こちらでは22日の午後7時35分発。米のテキサス州は日本より、14時間遅れである。
ダラスから10時間、飛行機に揺られて、ようやくアルゼンチンのブエノスアイレスに着く。

アルゼンチン到着は、日本時間で23日午後7時35分。
現地時間では23日午前7時35分だ。
このアルゼンチンは、日本より12時間遅れの時差だ。
結局どれくらいの時間を要するのかを計算すると…
大阪の伊丹空港を出るのが22日の午後2時30分で、成田、ダラスと乗り継ぎ、待ち時間も全部含めて、アルゼンチンの空港に着くのが日本時間の23日午後7時35分だから…
え~っと、つまり、全部で29時間である。
帰りを調べてみると、気流の関係か、飛行時間が長いので、もっと時間がかかる。アルゼンチンの空港を出発して、ダラスに着いて、そこで待ってまた飛行機に乗り、成田に着き、さらに伊丹まで…これが合計で…
32時間30分もかかるのだ! 
ブエノスアイレスのホテルに泊まるのは4泊である。
しかし僕らの旅行は22日から29日までの8日間なのだ。
あとの3泊は、いったいどこへ消えてしまったのか…
日米間の時差、米とアルゼンチンの時差、そして日本とアルゼンチンの時差…などを、いちいち指折り勘定してみたものの、やればやるほど頭がこんがらがって、気が狂いそうになったので途中でやめた。
ダラスでの入国審査や税関、そしてまたアルゼンチンへの出国などが、行きも帰りもある。アメリカは、こういうところはヨーロッパと違ってめちゃめちゃ厳しい。添乗員なしの旅行だから、何か起これば…頼れるものはただ一つ。言葉だ。言葉がわからなければ話にならない。
そのために、きちんとした英語を話せるようになろうと、ECCまで行って英会話を学んできたわけだけど…。
(うぅ~。全然身についていません、あきませんわ~
)
現地にはヒロユキがいるけれど、仕事があるので観光などはある程度自分たちですることになるだろう。その際カタコトでもスペイン語が話せたら都合がいい。8年前、スペインのマドリードとバルセロナを旅行をした時は、行く半年ほど前からスペイン語を勉強して、楽しい旅ができた。今またその教材を引っ張り出して、ほぼ忘れかけていた記憶を呼び起こすのに、必死になっている。
そんなことでこのごろは、英語より、スペイン語を勉強する時間の方が長くなっている。ECCを欠席してまで、スペイン語の勉強をしているときもある。
ヒロユキの彼女と、スペイン語で会話するのが楽しみである。
オ~ラ コモ エスタ? ビエン グラシアス
あと2週間。外国語の最後の特訓を続けながら、その他の準備にもそろそろ入らなければならないので、このブログも更新するのが難しいかもしれません。よろしく~。
では、アディオス 
http://www.rosanegraargentina.com.ar/
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そのヒロユキの店のホームページです。
最初の画面の中央をクリックした後、
下の「CHEF」というところをクリックしたら、
ヒロユキの写真が出てきます。
左にスペイン語の解説が出ていますが、わかりましぇ~ん。
どなたか、なんて書いてあるのか教えてくださ~い。