僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

皆さま、よいお年を!

2024年12月31日 | 日常のいろいろなこと

今年もあとわずかになりましたね。
皆さま方にとっても、いろいろなことがあったこの1年だと思います。

僕は2月に心臓のカテーテル手術をしたのが、今年では一番大きな出来事だったかな、と思っています。
その手術のおかげで、心房細動は徐々に良好になり、今ではほぼ完治と言っていい状態になりました。

それは嬉しいことだったのですが、
でもね~

今は腰痛があったり、手足がだるかったり、時々こむら返りが起きたり、のどが枯れたり、不眠症が続いたり、など、いろいろと体調に問題を抱えているんですよね。

来年は頑張って、心身共に健康に過ごしたい!
な~んて思っている次第です。

では、今年もこのブログをお読みくださった皆様方に心からお礼申し上げます。
どうも、本当にありがとうございました。

皆さま、どうか、よいお年をお迎えください。

 

 

 

 

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妻が体調を崩し、モミィが家に帰ってきて

2024年12月30日 | 日常のいろいろなこと

実は昨日から、妻が珍しく体調を崩しました。
ま、それほど重くはありませんが。

妻の予定では、今日は西宮のモミィのマンションに行って、部屋の片づけや洗濯をし、モミィと一緒にわが家に帰って来ることになっていました。しかし妻が行けなくなったので、モミィは今日の夕刻、1人でわが家に帰って来ました。藤井寺の駅には僕が迎えに行きました。

でも、妻の体調が悪かったので、いつものように彼女がモミィの話を聞いてやったり、好きな料理を作ってやったり、と、いろいろと相手をしてやる、ということができなかったんですよね。

それで僕が代わりをすることになり、モミィの好きな食べ物を買いに行ったり、駅まで迎えに行ったり、夕食のあとはテレビの「日本レコード大賞」を見ながら、僕なんかは全然知らない若い世代のアイドルグループなどに関する詳しい話を、モミィからさんざん聞かされたりして、あっという間に時間が経ってしまいました。

妻は早い目に寝室へ行っていたので、僕ひとりがモミィの話し相手でした。
そして、いま、「おやすみ」をしてやっと自分の部屋に戻ってきて、大急ぎでこのブログを書いています。

時間は間もなく午後11時45分。
12月30日はもうあと15分しかないで~。
ギリギリですわ。

今日のブログには、予定していた「1971年の紅白歌合戦」の話を書けず残念でしたが、日が変らないうちに今日の分をアップしなければ、と必死でしたわ(笑)。

では、皆さま。
また明日の大晦日に!

 

 

 

 

 

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「紅白歌合戦」も変わりましたね~

2024年12月29日 | 映画の話やTVの話など

年の瀬も迫り、明後日はいよいよ大晦日ですね。

大晦日といえば「紅白歌合戦」が頭に浮かびますが、もう最近、というか、ここ十数年というか、ずいぶんそのイメージが変わってきました。

かなり前ですが、そんな紅白歌合戦を皮肉って、

「横文字の それが曲名 これが歌手」

という川柳があって大笑いしたことを覚えています。

このころから、紅白歌合戦の出演者(とかグループ)は「横文字」が増えてきて、僕らの世代にとっては歌手の名前も知らないし、むろん曲名もわからない。カタカナやローマ字ばかりなんでね。

それで、どちらが歌手でどちらが曲名かわからない、ということを詠んだ面白い川柳でした。

そして、今ではそれが、もっともっと色濃くなってきていますよね~

これは昨日の朝日新聞に掲載された今週1週間のテレビ番組表です。

そのうち、31日の「NHK紅白歌合戦」の欄を撮ったのですが、
こんなんですわ。


  

「第75回紅白歌合戦(初出場歌手)」って書かれていますけど、
僕なんかには何が何やら、ワケわかりまへんな~。ホンマに。


★約2週間前に、NHKテレビで「1971年の紅白歌合戦」という番組が2日間に分けて再放送されました。それを見て、思わず涙が出たほど懐かしかったです。
あの頃の「紅白」はよかったなぁ。

では、また明日、それについて書きたいと思います。

 

 

 

 

 

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お餅で喉を詰まらせないためには

2024年12月27日 | 心と体と健康と

いよいよ今年も押し迫ってきました。
今日は12月27日だから、5日後はもう元旦。2025年の幕開けです。

この年末年始は、明日28日の土曜日から1月5日の日曜日まで、
「奇跡の9連休」などと言われていますね。「奇跡」という言葉にはちょっと違和感がありますが、それでも滅多にないことなんでしょうね。
まぁ、僕なんかはず~っと「何千連休」
ですけど(笑)。

さて、お正月といえばお餅ですよね。
ですが…
先日のニュースによると、お正月にお餅を喉に詰まらせて死亡する人がとても多いということで、数字はちょっと忘れましたが、びっくりするほどの数でした。
「へぇ~、こんなに沢山の人たちが!」
おめでたい食べ物の象徴のようなお餅なのに、実際は怖い食べ物なんですね。
そのニュースを見て、僕も気をつけなければなぁ、と思いました。

そういえば、このブログでも書いたことがありますが、
「18歳と81歳の違い」
という、お笑いネタがありました。

「恋に溺れるのが18才。風呂で溺れるのが81才」
「まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えていないのが81歳」

…な~んていうお笑いネタだったのですが、そこに、

「恋で胸を詰まらせるのが18歳 餅で喉を詰まらせるのが81歳」

…というのがありました。
その時は「おもしろいなぁ」と笑っていたのですが、前述のように、お餅を喉に詰まらせて亡くなる人が実際に多くいらっしゃる、という話を聞くと、「これは笑い事ではないぞ」と思った次第です。

で、ニュースではお餅を喉に詰めないようにする食べ方が紹介されていました。
その内容とは…

・お餅は食べやすく小さく切り、一口の量を少なくすること
・先にお茶や汁物を飲んで、喉を潤しておくこと
・急いで食べず、ゆっくりと、よく噛んでから飲み込むこと

などの注意事項が出されていました。
「な~るほど」
と思い、これは必ず実行しなければならない、と思いました。

中でも特に、「急いで食べず、ゆっくりと、よく噛む」ことを心掛けることが僕にとっては最も大事なことだと思いました。食事中にボンヤリと食べ物を噛んで飲み込むときに、よく喉に引っかかることがあり、咳き込んだりするケースが僕には割に多いんですよね。なので、このお正月は、お餅は「よく噛む」ということをしっかり頭の中に入れておこうと思っています。

楽しいはずのお正月が、一転、お餅を喉に詰まらせて倒れてしまったら、何をしていることやらわかりませんものね。

お互いに、お餅を食べる時は、小さく切ってよ~く噛んで食べましょうね~


★追伸(12月28日)

さきほど知ったことですが、来年の年末年始も9連休です。
2年連続ですから、
「奇跡の2年連続9連休」
と言えばいいのかも知れませんね~

 

 

 

 

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今日も超ビックリ偶然! 加美南部小学校

2024年12月23日 | 日常のいろいろなこと

昨日、僕と妻の父親の告別式がいずれも大晦日だったことを書きました。
こんな偶然ってめったにない、と思って書いたわけですが、
今日はまた、それ以上に信じられないような偶然に出遭いしました。

普段から妻とふたりでウオーキングをしているのですが、
今日は少し離れた場所で、僕が小学1年生から高校1年生まで過ごした大阪市内の家を妻に案内しました。家と言っても安アパートですけどね。

場所は大阪市・平野区(当時は東住吉区)で、JR大和路線の加美駅で降りました。そこから昔に住んでいたところへ歩いたのですが、もう60数年も前のことですからね~。僕ら親子が住んでいたアパートは影も形もなく、何か工場のようなものが建っていましたし、当時の隣近所のお店なども全く無くなっていました。

そして次は、遠い記憶をたどりながら、6年間通った小学校に向かって歩いて行きました。通学路もよく覚えていなかったのですが、たぶんこの辺だろうと思いながらテクテク。学校の名前は「加美南部小学校」といいます。

通学路もうろ覚えでしたが、途中でこれを見つけました。

  
 通学路 加美南部小学校とありました。

やったぁ~。いくら6年間通ったといっても、もう60数年も前のことなので、ほとんど覚えていませんよね~。そこでこの標識を見つけたのだからうれしかったです。途中、妻に小学生の頃の思い出をぺちゃくちゃと話しながら、その通学路を歩いて行き、やがて学校に到着しました。

学校の入口に立った時は、いやぁ、ホント懐かしかった~
…というのはウソで、全然覚えていません。
だいたい、もう改築されて、当時の面影もないでしょうしね~
でも、やっぱり僕の母校であることには間違いないですわ。

そこで、校門の前に建って、妻に写真を撮ってもらいました。

 
  今日(12月23日)午前11時半ごろ撮影。

写真をアップしてみると、

 
 「大阪市立・加美南部小学校」と書かれていますよね

そんなことで、また通学路を逆戻りし、「奈良街道」と呼ばれている国道25号線に出て、僕が昔住んでいたあたりに建っていた「ガスト」に入り、唐揚げやらポテトを食べながら生ビール数杯をグイ~っと飲んだ次第です。

さて、
本来なら、これで今日の話は終わりですが…
夕方に帰宅して、テレビをつけた時に、ビックリするような偶然と出くわしました。

午後5時過ぎだったのですが、たまたま朝日放送テレビの「ニュースおかえり」という番組がかかっていました。そこでなんとまぁ、こんなニュースが飛び出したのです。

「きょう、大阪市立の小中学校で終業式がありました」
という出だしから、ある小学校が映りました。それがなんと、

「大阪市平野区の加美南部小学校でも終業式が開かれ…」
とナレーションが流れたのでした!
画面を見ると、校長先生のお話や児童たちの笑顔が映し出されていました。

え~~~~~。
これ、加美南部小学校やんか!

60数年ぶりに自分の母校である加美南部小学校に行って校門で写真を撮って帰って来たその時、テレビで、大阪市内で300校近くもある小学校の中で、なんとまぁ、その加美南部小学校が映し出されたのですから、この偶然はもうビックリだけでは済まなかったですね。

昨日も偶然の話を書きましたが、いやまぁ、今日のこの偶然は、
「あり得な~い!」
と叫びたいほどでした。


これがその加美南部小学校で撮影されたニュースです。

 

 

 

 

 

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僕の父と妻の父 何という偶然!

2024年12月22日 | 思い出すこと

僕の父(義父)は2002年の12月に亡くなっています。
先日、妻が「今年はおとうさんの年回忌じゃなかった?」
と言ったので、そういうことに疎い僕はネットで調べてみました。
そうしたら、2002年に亡くなった人は、今年、年忌法要を行う年とありました。「23回忌」なんだそうです。

それを妻に伝えると、
「やっぱりね。じゃぁ法要に行きましょう」
となって、先日、天王寺の一心寺へ行き、年忌法要をしてもらいました。

早いものですね。
父が亡くなってから、もう22年が経ちました。

父は12月の30日に病院で亡くなったのですが、その日は僕の勤務先の市役所の年末年始休暇が始まった日で、朝もゆっくり過ごしていました。すると電話が…

母からの電話で、父の訃報でした。
急いで長男の運転する車で妻と病院へ行ったのですが、
お葬式をいつするか、で、葬儀屋さんと話し合いました。
お正月になると火葬場も開いていないので、今日の30日にお通夜をして、明日の31日の大晦日にお葬式を挙げるのがいいのでは、という葬儀屋さんの提案で、そうすることに決めました。

そして、亡くなった翌日の大晦日にお葬式を挙げました。

そこで、なんとも偶然と言うか、不思議な巡り合わせと言うか、
その話をさせてもらいますと…

実は妻のお父さんが、それよりかなり以前に亡くなっていたのですが、
亡くなったのは12月29日でした。
そして30日にお通夜が行われ、お葬式は翌31日でした。

つまり、妻のお父さんも、大晦日の日にお葬式でした。
そして僕の父もまた、大晦日の日にお葬式だったのです。

何なんでしょうね~
この偶然は。

そんなことで、
父の「23回忌」の法要で一心寺へ行ったあと、阿倍野で妻と昼食を取りながら、妻のお父さんと僕の父の、生前の話題で会話が弾みました。

2人の父親も、あの世できっと喜んでいるでしょう。

「お互い、大晦日に、葬式をやったんですな~」
と、手を握り合ったりして(笑)。

 

 

 

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年賀状じまい

2024年12月16日 | 日常のいろいろなこと

今年も残りわずかとなりましたね。
昨日(15日)から年賀状の受付も始まったようです。

年賀状といえば、僕は6年前に、
これまで年賀状をやり取りをしていた人たちに、
「今年をもちまして年賀状を最後にさせていただきたいと存じます」
という文章を書いて送りました。

それでも、翌年、年賀状をくださった方が何人もいらっしゃいました。
それに対し「寒中見舞い」という形で、その方たちに送りましたし、その後も数は減ってきましたが、年賀状をくださる方がおられたので、その都度「寒中見舞い」を年賀状のお返事として出しています。

あれから間もなく6年。
もうほとんど年賀状はいただいていませんが、それでもまだ送ってくださる方がいて、たぶんこのお正月も何通か来ると思うので、寒中見舞いで「お返事」をするつもりです。

それで、昨日から年賀状の受付が始まったことで、「年賀状じまい」という言葉がニュースで飛び交っています。もう年賀状は出さない、という人がかなり増えてきたということです。ハガキの値段も上がったこともあるようですが、昨今は手紙やハガキよりも、メールやLINEでのやりとりが増えてきていますもんね。その意味でも「年賀状」がどんどん減っていくのは、仕方ないんでしょうかね~

そんなことで、「年賀状離れ」も、時の流れじゃないかな~と思いますよね。

今日の話はそれだけですが、
6年前に僕がパソコンで作った「年賀状じまい」の写真を掲載します。
これが、わが人生の最後の年賀状です。

 

と、まぁ、こんなものでした。

もし、ご関心のある方は、その当時の僕のブログをご覧ください。


 年賀状「今年を持ちまして最後に…」 2019年1月11日)

 

 

 

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13日の金曜日

2024年12月13日 | 思い出すこと

今日は13日の金曜日ですね。

僕がいつまで経っても忘れることができないのが、昔々、大昔の映画、
「13日の金曜日」です。
あのシリーズの第1作目の映画は、ホントにホントに、恐かった。
今もあの映画を思い出すとぞっとします。

映画が上映されたのは1980(昭和55)年の8月でした。
その後この映画のシリーズは10作以上製作されましたが、この第1作を超えるものはない。と僕は思っています。

そこで、その大昔の映画の話ですけど。

僕はこの映画の試写会を申し込み、運良く当たったので、一人で大阪御堂筋の会館へ出かけて、その映画を見たのです。

試写会だったので、映画の始まる前に、舞台に著名な女性アナが出てきて、この映画の成り立ちや概要を説明してくれました。そして、最後に気になる言葉を残したあと、舞台を下りたのです。

その気になる言葉というのは…

「皆様、この映画が完全に終わるまでお席を立たないでくださいね」
という言葉でした。

つまり映画が終わって、エンディングロールになった時にも、そこで立って出て行ってはいけない、ということです。僕はそれを何となく聞いていたのですけど。

そして映画が始まった。

「13日の金曜日」シリーズは多くその後沢山ありましたけど、僕が見たのはその第一作目でした。

そのストーリーを紹介しますと…

あるキャンプ場の近くの湖で一人の少年が溺れて行方不明になった。その事故が起きたのが、13日の金曜日だった。その後、そのキャンプ場では奇怪な殺人事件が次々に発生し、さらにキャンプ指導員の男女2人も殺害される。そして、そのキャンプ場は閉鎖される…

そんなことがあってから何年か後に、そのキャンプ場が再開されることになった。何人かの若い元気な指導員候補生の男女がこのキャンプ場を訪れた。そして、そこでまた、その男女が次々と殺されていくのだ。(この殺され方が、また恐い)

最後にたった一人生き残ったのが、アリスという女性だった。

震えながら恐怖の夜を過ごすアリスのところへ、一人の見知らぬ中年の夫人が現れた。その夫人は、以前キャンプ場の湖で溺れた少年の母親だった。彼女が言うには、息子が溺れかかっていたとき、キャンプ場の指導員たちは遊びほうけていて、結局、見殺しにされて息子は死んでいった。それを恨んだ中年夫人は、2人の指導員を殺害した。そして今回の連続殺人も、自分の犯行である、と、恐るべき事実をアリスに告げたのだった。

ギャッ! この母親が犯人だったの? と驚くアリス。声も出ないほど、恐怖で身がすくんだ。そしてそのアリスに、母親が襲いかかってきた。

すさまじい格闘の末、アリスはなんとか相手を倒す。どうにか一命をとりとめたアリス。そして、いよいよ映画はラストシーンに入る。

夜が開け、それまで暗かった映画の画面もパッと明るくなり、朝日を反射してキラキラ光る美しい湖に小舟が浮かんでいる。その小舟の中から、アリスがすくっと身を起こして微笑んだ。
見ていてホッと胸をなでおろすシーンでしたね。

犯人の女(母親)は死んでしまった。
遠くからパトカーのサイレンも聞こえてきた。
自分を助けに来てくれたのだ。

舟の上で「あぁ助かったのだ」という安堵の表情で両手を広げ、天を仰ぐアリス。そしてエンディングロール画面に変わった。映画は終わったんですよね。

出演者、製作者らの名がスクロールされる。字ばかりのスクリーンを見ながら、そろそろ席を立つ観客もいた。

あぁ、恐かったなぁ。でも、最後の一人(アリス)は助かってよかった。そう思いながら、バッグを持って席を立とうとした瞬間、スクリーンには、再び先ほどの湖の小舟の光景が映し出された。
映画はまだ終わってなかった?
そして驚くべきシーンが。

湖の中からいきなりガバっと、泥だらけの小さな子供のような生き物が飛び出し、舟にいたアリスに飛びつき、ギュっと首を締めたのだ。

「キャ~~~!」 
と叫ぶアリス。
同時に観客からも悲鳴が上がり、映画館全体がどよめきました。

僕も思わず「わぁっ!」と叫んでしまった。椅子から転げ落ちるかと思ったほどです。いや~、このときは、本当に、本当に驚きましたね~

もう、映画は終ったはずだったのに、まさか、最後にそんな仕掛けが待っていたとは。

「皆様、この映画が完全に終わるまでお席を立たないでくださいね」
と、試写会の最初に女性アナが言ったのは、このことだったのだ。

と、まあ、そのときのことを、今も生々しく思い出すのです。

僕は、これまでの長い人生の中で、これほど恐い映画のラストシーンをいまだにありません。

試写会が終り、電車を乗り継いで帰途につき、藤井寺の駅から家まで歩きました。時間はかなり深夜に近く、人影のない道路をテクテク歩きながら、今見た映画のラストシーンがどうしても頭に浮かんでくるんですよね。

心臓が凍りつくような恐怖感に駆られる。
家に近づいてきて、溝のある薄気味悪い道に出た。そこを通るのが、もう恐くて恐くて仕方なかった。(もともと僕は大の恐がりなんです)

僕はそこから一目散に走った。なりふり構わず、思い切り走った。もしかして、溝の中から泥まみれの子供が自分の首に飛びついてくるのでは!

ぎゃぁ~
ぎゃぁ~

と、心の中で悲鳴を上げながら、一目散にわが家へ疾走したのです。

とまぁ、
そんなことで、13日の金曜日が来る度に、その映画を見た恐怖の夜のことを思い出すのです。今日も思い出したのでここに書きました。

なんだかねぇ。
死ぬまで忘れられそうにないかも、ですね~

 

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流行語大賞は「ふてほど」

2024年12月08日 | ズレズレ草

今年の「流行語大賞」に選ばれたのは、
「ふてほど」だそうですね。

最初に見たときは、なんのこっちゃ? と首を傾げた僕でした。
で、見ていると、テレビドラマの「不適切にもほどがある」を略したものだということがわかりました。このドラマは僕も見ていましたけど、それほど大ヒットしたドラマでもなかったので、その題名がなんで今年の「流行語大賞」なのか? 
それがわかりません。

というか、近年は「流行語大賞」といっても、ピンと来ない感じですよね。
あまりにもいろんな言葉が錯綜して、意味の分からない言葉もいっぱいあって、その時代を反映する言葉なんて、ほとんどわからない。

今年の場合、強いて言えばプロ野球大リーグ・大谷選手の「50 50」ぐらいかな、と思いますが、この言葉もノミネートはされたものの、「大賞」には至っていませんしね~

ただ、流行語大賞としては「不適切」かな~と思われる「ふてほど」ですけど、社会現象としてはかすかに思い当たるところがあります。

ま、不倫の話ですけど。

たとえば、今日の朝日新聞の記事ですが、大阪府岸和田市の市長が政治活動で関わりのあった女性と不倫をしていたことに関して、記者会見を開いた様子が載っていました。そこで市長は「不適切な不倫の関係があり、謝罪したい」と言ったとのこと。

また同じく今日の新聞記事ですが、お笑いタレント「ダウンタウン」の松本人志が、性加害疑惑について説明のないまま、週刊文春への訴訟を取り下げた件が取り上げられていました。

先月には、あの国民民主党の玉木代表も不倫をしていたことが、大きく取り上げられていましたよね。

他にもどこかの市長か忘れましたけど、部下の女性に性行為を無理強いしたという報道もありました。

不倫、それも政治家や芸能人のように、ある程度の「力」を持つ人間が、その威光を振りかざして女性と関係を持つ、あるいは関係を強いる、というのはかなりタチが悪いです。

これはどうみても不適切です。
う~ん。いやいや、そうではなく、
これはもう不適切を通り越していますわ。
つまり、不適切にも「ほど」というものがあるんやで~、ということ。

そんなことを考えてみたら、今年の流行語大賞が「ふてほど」というのも、まぁ少しは当たっているような気もしますね~

 

 

 

 

 

 

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中山美穂さん死去 ヒートショック?

2024年12月06日 | 心と体と健康と

昨日、月に1度通っている近くのかかりつけ医に行きました。
心臓を安定させる薬、血液をサラサラにする薬、尿酸値を下げる薬、血圧を下げる薬などをその医院で処方してもらっています(薬だらけですわ)。

で、医院に行く前、家で血圧を測ると、上が180を超えていて、驚きました。
まぁ、もともと血圧が高く(特に朝が高い)、それで薬も飲んでいるのですが、昨日の朝は特に高かったのです。

それで、その数時間後にかかりつけ医に行ったわけですが、そこでも血圧を測られたのですが、すると…
「120です。正常ですね」と言われて、またビックリ。
なに、それ? 
「朝は180を超えていたんですけど」と言うと、医師は、
「う~ん。上下の差が激しいですね~」と言いながら、カルテに何かを書き込んでおられましたが、そこまででした。
しかし、僕にとっては、高血圧は悩みの種ですわ。

…ということが、昨日ありました。

そして今日ですが、
妻はモミィと会うのに昼前に梅田方面へ出て行きました。
僕は一人で昼食をとりながら、NHKのEテレで12時から放送されている医療情報番組、「チョイス 病気になったとき」というのを見ていたのですが、
今日の放送は、
「押さえておきたい 高血圧の基本」
というテーマでした。
えっ。高血圧? これはしっかり見ておかなければ。

血圧については、僕も気にしていたので、食事もそっちのけで、テレビに見入りました。その最後のほうに、「ヒートショック」という言葉が出てきました。ゲストの医師が、「お風呂も気を付けなければなりません」と言ったのですが…

要約すると、
寒い季節になると入浴には気を付けなければならない。入浴前に体が冷えて血圧が上がる。そのあと、浴槽に入って温度が上がった時には、今度は急激に血圧が下がる。またそのあと、脱衣所に戻って寒くなって血圧が上がる。
そういうことでヒートショックというのが起きることがある、ということでした。意識が亡くなったりする怖い症状です。

特に晩御飯にビールを飲んで、1時間以内に風呂に入るとヒートショックが起きやすい、という話も出ていました(気を付けなければ)。

その番組を見ながら、「冬になると、お風呂も怖いなぁ」とつくづく思っていた矢先のこと。
夕方のニュースで、あの有名だった女優・中山美穂さんが死去されたという報が流れました。
え~っ? あの中山美穂さんが、なんで?
と驚きながらテレビを注視したのですが、
「お風呂の中で座った状態で亡くなった」
ということでした。

テレビでは、そのあと、
現場や遺体の状況から、浴室に入った際に急激な温度変化により体に悪影響をもたらすヒートショックの可能性もある、
という解説も加えられていました。

これを聞いて、
「えっ? ヒートショック! あのヒートショック?」
と、数時間前に見た情報番組「チョイス」と重なったのです。

血圧に関する情報番組を見て、ヒートショックという言葉を知ったばかりのすぐあと、中山美穂さんの訃報と、その死因がヒートショックではないか、と言われたのには、本当に驚きました。

まだ54歳の若さだったのに。
悲しんでおられるファンの方々も多いでしょう。

これから益々寒くなる時期。
ヒートショックという言葉を忘れないように。

そして、特にお風呂には気を付けなければ。

血圧に問題を抱えている僕なんかは、
特に気を付けなければならないな、
と改めて感じさせられた次第です。

皆さんも、どうか、お気を付けください。

 

 

 

 

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