昨夜、旧知の間柄である doiron ちゃんからコメントをもらった。
アルコール依存症の治療というのはどんな治療になるのか?
そして、はたして治療が必要なのか?
…ということが書かれていた。
おっしゃるとおり、です。
アルコール依存症専門のクリニックへ電話をしてから10日間というもの、
僕も、ず~っとそのことについて、考え続けていた。
まず、アルコール依存症に関する正確な知識を得るため、2冊の本を読んだ。
『おサケについてのまじめな話』~アルコール依存症という病気~(小学館)
(西原理恵子・月乃光司 著)
http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784093878647
「アルコール依存症を治す」 (中村希明 著)
http://www3.ocn.ne.jp/~osakexx/hon036.html
この2冊だ。
2冊は、僕にとって、さまざまな意味において示唆に富んだものであった。
そして、初めて自分とアルコールとの関係に、真剣に向き合うことができた。
昔、よく 「アル中」 という言葉が出回った (今でも言われているが)。
アルコール中毒者の略称で、飲んだくれて堕落した廃人同様の人たち…
そういう暗くて絶望的なイメージが、この言葉にはつきまとっていた。
その点、アルコール依存症という名は、アル中よりも症状が軽そうだ。
自分はアル中ではないけれど、アルコール依存症ではあるかも知れない、
などと僕は勝手に思っていたわけである。
しかし、実際には、それは大きな誤解であった。
この2冊の本で知ったのだが、アルコール依存症とアル中は、一緒なのだ。
「中毒」という言葉は、食中毒がそうであるように、
生体に入った薬物・毒物に対する反応で機能障害が生じることを指すので、
自らの意思で飲酒し、慢性の症状を示すこの病気には適切ではない…
…そいういうことから、「依存症」 という表現に統一されるようになった。
今は 「中毒」 が正式な用語として使われているのは、
短時間のアルコール節酒によって生じる 「急性アルコール中毒」 だけだそうだ。
だから 「アルコール依存症」 は、昔で言う 「アルコール中毒」 そのものなのだ。
単に呼び方の問題にせよ、これは僕には大きなショックだった。
そして、もう一度、本当に自分はこの病気なのか?
本当に治療が必要なのか?
そんなことを、改めて考え直してみた。
その治療であるが、まず酒を飲むと気分が悪くなる抗酒剤というのが処方される。
むろん症状によってさまざまだけど、とりあえず酒を飲まさないための処置である。
実際、前述の 『おサケについてのまじめな話』 を読んでいると、
著者のひとり西原理恵子さん(漫画家)の夫がアルコール依存症になり、
病院で処方された抗酒剤を飲んだあと、こっそり自動販売機の酒を飲み、
その場で昏倒して頭を10針縫った、という話が出てくる。
恐ろしい薬だ。
しかし、それを一生飲み続けるわけにもいかない。
最後は自主的に酒を飲まなくなることが、治療の目的である。
内観治療に加えて、専門医によるカウンセリング。
さらに、自助グループでのミーティング…。
アルコール依存症から抜け出すためのさまざまなプログラムがある。
しかし、本に出てくる依存症の患者たちは、みんな途方もない大酒飲みである。
飲むと豹変して、相手を徹底的に罵倒したり、暴力をふるったり、飲酒運転したり、
物を破壊したり、仕事にも行かず毎日朝から飲酒に浸ったり、幻覚にうなされたり…
前述の本の著者である月乃光司さんに至っては、家に火をつけたこともあったという。
いや。 いくらなんでもねぇ。
僕はこんなにひどくない…。
こういうのを依存症というのなら、僕などまだまだヒヨコである。
だいいち、酒の場で人とケンカなど、したことない。
もちろん、暴力をふるうなんて、とんでもない話で、するわけがない。
まあ、二日酔いで仕事を休んだことは何度かあったけれど、
朝から酒を飲んで仕事に行かなかったことはないし、幻覚も起こらない。
でも、酔うとぐでんぐでんになるのは間違いのないところだ。
日曜の昼間に家で飲み過ぎて酔いつぶれ、夜の約束を忘れてしまったこともある。
途中から記憶がプッツン途切れ、どうして家に帰ったかわからないこともザラだ。
まわりの人たちに、ずいぶん迷惑をかけたり、信頼を裏切ったことがある。
酒で失敗するたびに、あぁ、ダメだ、これから禁酒しよう、と心に誓う。
しかし、1日たつと、もうそんなことをケロリと忘れたかのようにまた飲む。
そして、また失敗し、あぁ、ダメだ、これからはゼッタイ禁酒だ…と、
こんな恥ずかしいことを、これまでいったい何百回繰り返してきたことか。
「お酒が好きなら、別に禁酒なんてせず、適度な量を飲めばいいじゃん」
そう言ってくれる人がたくさんいる。
そうですね。
お酒は、適度な量だと、身体にもいいらしい。
つまり、節度を守ると、お酒も強い味方になる、ということだ。
しかし、アルコールに対する節度というのが、僕には欠けている。
飲む前は、きょうは軽く飲むだけにしよう、と心に決める。
しかし、一口飲むと、殊勝な気持ちは虚空に消え、止まらないお酒になる。
といっても、家で毎日そんなことをしているわけではない。
ごくおとなしく、ビール2本ぐらいで終わることは常にある。
しかし何かの拍子に、外でも家でも、メチャメチャ羽目を外してしまうのである。
こうして自分とお酒との関係を、あれやこれやと分析していくと、
特に定年退職したあとは、毎日、飲酒するのが一番の楽しみになっている。
そのため、ほかの趣味が後回しになっていることに気づくのである。
最近、映画を見なくなった。
衛星放送などで、見たかった映画があると、せっせと録画することはしている。
それがたまっていくのが気になるが、夜は飲むと眠くなり、面倒くさくなる。
(日中は何やかやと、することが多いので…)
映画を見る気もせず、それ以上に目が疲れる読書もせず、ごろんとベッドに寝転び、
ぼんやりしながら眠気が襲ってくるのを待つ。
睡眠導入剤を飲み、いったん寝ても、また目が覚める。
何度も夢を見るような浅い眠りで夜を過ごし、やがて夜が明ける。
こういう生活習慣を見直さなければ、禁酒は無理なのではないか…と思った。
夜に、飲酒以外の楽しみを持つこと。
これが禁酒、あるいは断酒の成功の一番の近道だと、本にも書いてある。
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さて、話はアルコール依存症専門クリニックへ電話をした時に戻る。
そこで治療を受けようと決心し、電話で予約をお願いしたものの、
ケアマネージャーの女性が、予約は2週間先になります、と言ったので、
正直なところ、ちょっとがっかりした。
僕はすぐにでも治療を受け、生活習慣を変えるきっかけにしたかったのだ。
しかし、考えてみると、治療が始まるまで2週間あるけれど、
この期間、お酒はどうしたらいいのだろう…?
飲みながらその日の来るのを待つのかいな…?
それともその2週間を禁酒して過ごすのか…?
これはなかなかむずかしい問題である。
ヒマな人間にしか味わえない悩みでもあるけれど (笑)。
まあ、考えるまでもなく、2週間、酒を断つことが先決だろう、と思った。
その日、つまりクリニックへ電話した5月25日だけれども、
その日から、僕は禁酒生活に入った。
禁酒は思いのほか大した苦痛もなしに始めることができた。
これまで何度か禁酒は経験したが、飲みたいのを我慢しての禁酒だった。
毎晩、ビールに変わるノンアルコールビールを飲んで、しのいだ。
しかし、なぜか今回は、飲みたいという気が湧いてこない。
そういう欲求が起きたら終わり…という切羽詰った心境もあるのか、
ノンアルコールビールのお世話にもならず、淡々と食事が出来ている。
テレビでビールのCMを見ても、あぁ飲みたいな~とは、思わない。
なんで、こういう気分に変わってきたのか…?
ひとつは本気で治療しようとクリニックへ電話したことがよかったと思う。
もうひとつは、孫娘のモミィを養女として引き取ったことを機会に、
自分の健康は自分でしっかり守り、決して家族に心配をかけてはならない、
…という自覚が、遅まきながら彷彿と湧き出でてきたのでは … と考える。
もう、自分は若くはないのである。
ここで酒浸りになると、本当に命に関わってくることは間違いない。
禁酒してから10日目に、僕は再びクリニックへ電話した。
ケアマネージャーの女性に、とりあえず、予約をキャンセルしたい、と伝えた。
「どうされたのですか…?」
と、女性がキャンセル理由を訊いてきたので、僕は次のように答えた。
そちらへ電話をして予約した日から禁酒を始めて今日で10日目になるが、
今のところ自分の意思で禁酒を続けられている。
この調子で行けば、まだまだ続けられるような気がする。
多少、禁断症状のようなものは出たけれど、今のところ身体に異常はない。
禁酒のきっかけを作ってくれたのは、そちらへ電話をしたことだと思う。
もう少し、自分の意思で禁酒が継続するよう頑張りたいと考えているので、
今回はキャンセルさせてもらうけれど、もし、これに失敗したときは、
自力では酒を断てないものと判断して、そちらの治療を受けたいと思う…。
だいたい、そんなことを話した。
電話の向こうの女性も、
「わかりました。何かありましたら、いつでもご相談ください」
と、あたたかく言ってくださった。
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今日で禁酒12日目になる。
夕方になっても、ビールを飲みたいという気持ちは起こらない。
それより、心はその反対の方向に動いていることを、かすかに感じる。
きのうの夜、久しぶりに、録画していた映画の一つを見て、何度も涙ぐんだ。
「幸せのレシピ」 という映画だった。