僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

お年玉年賀はがき 2等賞に当たった時のこと

2025年02月07日 | 思い出すこと

早いもので、もう2月に入って1週間経ちました。
節分も終わり、今はバレンタインデーが世間を騒がせています。
どんどん、どんどん、日にちが経っていきますね。

ところで、お正月の年賀状の「お年玉賞品当せん番号」が先月に発表されましたが、引き換え期間は7月22日まで、とのことですが、当選された方はもう賞品をもらいましたか?

僕は「年賀状じまい」をしているので、いただいた年賀状も十数枚と少数です。それでも、今年はその中で下2けたの「お年玉切手シート」が1枚だけ当たりました。まだもらいに行っていませんけど。

で、今日はこの「お年玉年賀はがき」のことなんですが…

2004年のことだと記憶しています。いまから20年少し前のことで、
モミィが生まれる前の年でした。

この年、お年玉付年賀はがきの2等賞が当たったのです。

年賀はがきの番号は全部で7ケタですよね。
それで、2等賞は下6ケタということで、10万枚に1枚の確率です。
その10万分の1の確率の2等賞に、当選したわけなんです。

その1月中旬に、当たりくじが新聞発表された日。
ハガキの番号を、1枚1枚丹念に照合し、全部、チェックを終え、
「あ~、また切手シールだけかぁ」
と軽くため息をついて、それで一応終わったのですけど。

お~っと、まだ調べていない年賀ハガキがあった。
書き損じて、隅っこに置いていたハガキが1枚あったのです。
ついでにこれも調べておかなければならない。

それを見ると…
その、書き損じたハガキの番号を見て、ビックリ仰天!
まさかと思ったそのハガキ。
2等賞の下6ケタの数字と、ピッタリと一致していました。
10万枚に1枚の2等当選のハガキが、こんなところから出てきたのです。

翌日、友だちのドイロン君から、僕の携帯にメールが入りました。

「あなたからもらった年賀ハガキが、もうちょっとで2等賞に当選するところでした。わずか数番違いだったのです。あなたが出されたハガキの中に、2等賞があるはずです。誰に当たったのでしょうね~」
…と、書いてありました。

で、僕は、ドイロンに、返事を送りました。
「そのハガキはたまたま書き損じのハガキだったので、出さずに僕が持ったままです」
なんとまぁ、悪運の強い…
な~んてことは、優しいドイロン君だから、思わなかっでしょうけどね~

そんなことで、「奇跡の2等賞」を得たのでした。

そしてそのハガキを持って、近所の郵便局へ行き、
「すみません。年賀ハガキ、2等が当たったんです」
と言ったら、カウンターの女性局員が、いぶかしげに、
「はぁ?」と聞き返したので、
「えぇ、お年玉年賀ハガキ、2等なんです」
と、ハガキをその人の目の前に見せたのでした。

すると、彼女はビックリした表情でまわりを見て、
他の局員の人たちも集まって来て、ハガキを確認し、
「へぇ~」と皆さん、顔を見合わせ、
「では、どうか、本局の方へ行ってください」
と、一人の男性局員に言われ、そこから、かなり距離のある本局まで行きました。

と、まぁ、こんな調子で、面白かったですわ。

ちなみに、当時の2等の賞品は、
ふるさとパック(地域特産物小包…約5000円)5個セットか、電子辞書のどちらで、価格的には2万5千円相当でした。

僕は電子辞書をもらいました。その電子辞書は今でも使っています。特に、このブログを書く時、物事や言葉の表現を確認するのにすご~く便利です。

今はもう、「年賀状じまい」などと言って、年賀状とはほぼご無沙汰していますけど、こんな貴重な思い出もあるんですわ。えへへ~

 

 

 

 

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TBSとオウム真理教

2025年02月03日 | 思い出すこと

高熱が出てから1週間が経ちました。
熱のほうは2日くらい前にほぼ平熱に戻りましたが、まだ鼻はグスグス言うし、喉の違和感も残っています。
年を取ってくると回復力も衰えてくるのかなぁ、と、しょんぼり。

さて、中居正広クンの問題は今やフジテレビ局の問題に発展して、同局に対する批判は広がる一方です。CMを辞退する企業も増え、今後テレビ局として、ちゃんとやって行けるのか? と思われるほどですよね。
また、ホントかウソか知らないけれど、フジテレビは中居クンに100億円の損害賠償請求をする…などという話もネットで飛び交っていますしね。
ホント、大騒動です。

そんなテレビ局の不祥事で思い出すのが、「TBSとオウム真理教」です。
一応ネットで確認したら、事件の発端は1989年(平成元年)でした。

このころ、オウム真理教が「怪しい宗教団体」のように報じられ始めていました。そのオウム真理教を強く批判していた一人に坂本弁護士という方がおられました。
で、TBSテレビが、ワイドショーで放送するために、その坂本弁護士にオウムに関するインタビューをしたのですが、その録画が放送される前に、そのことを知ったオウム側が、TBSにインタビューの映像を見せるように強く要求したとのこと。

そして結局、TBSは放送前に、それをオウム幹部に見せたということです。
それから間もなく、「坂本弁護士一家殺害事件」が発生。
坂本弁護士ご本人と奥様、そして子供さんの3人が殺害されたのです。
なんともひどい事件でした。

しかしオウムの関与は疑われたものの、確たる証拠も出なかったのか、捜査は終了し、事件は一時迷宮入りとなりました。この時は、TBSがインタビュー映像をオウムに見せたことは隠していたので、話題には上がりませんでした。もし公表していれば、坂本弁護士に関する事件に対して、もっとオウムへの疑いが濃厚になっていたはずなんですけどね。

そして6年後の1995年(平成7年)3月20日に、地下鉄サリン事件が起きました。これがオウム真理教によるテロと判明し、強制捜査の結果、坂本弁護士一家殺害事件もオウムの犯行だったことが明らかになりました。そしてその犯行の動機になったのが、TBSが坂本弁護士のインタビュー映像を、放送前にオウムの幹部に見せたことだった、ということでした。

これが分かったことで世論は当然の如くTBSを強く批判。
TBSは自局のワイドショーの放送をすべて打ち切り、
以後10年くらいはこの局ではワイドショーはなかったんですね。

とにかく、あの時も大騒動でした。

今回の「フジテレビ大騒動」を見ながら、
当時の「TBS大騒動」を思い出した次第です。

 

 

 

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