僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

8年ぶりに高熱が

2025年01月30日 | 心と体と健康と

どうやら、久しぶりに風邪を引いてしまいました。

一昨日の28日、朝から熱っぽくて喉がやたらに痛かった。
「あ~」と声を出すと、自分でも驚くほどのガラガラ声。
体温計で測ってみたら38度を超えていた。
何度か図ったけれど、一度だけ39度にも達した。

で、その日の夕方、かかりつけ医に行って診てもらった。
発熱があるので、狭い検査室のようなところに案内された。
コロナとか、インフルエンザの疑いがありますもんね。
しばらくして医師と看護師さんが入ってきて、
そして爪楊枝に綿をかぶせたもので鼻の穴にぐちゅぐちゅ。
「うぇ~」ともがく僕の体を看護師さんが押さえ、
「すぐに終わりますからね」と言われ、やっと終わった。
短い時間だったけれど、あの検査はたまらない。
「結果はインフルでもコロナでもありません」
と言われたときはホッとしましたけど。

そして薬を出してもらい、一応、やれやれ。
しかし、それから2日経つのに、まだ収まりません。

37度台が続き、時々38度になったりしてます。
喉の痛みは少しマシになったけれど、熱が早く熱が下がってくれないと、やっぱり家でじっとしていても、しんどいです。

僕はこの20年余り、ほとんど風邪を引かなかったのですが、一度だけインフルエンザにかかったことがあります。それも外国で…。

2016年の年末、ということは8年余り前ですが、妻とモミィと3人でロサンゼルスへ旅行に行きました。当時、モミィは11歳でした。その旅行中、本場のディズニーランドへ行ったのですが、夕方、帰るころになると急に寒気がして声も枯れてきたのです。ホテルに着いて、部屋で体温を計ったら39度の熱がありました。

翌日はホテルの部屋のベッドで1日中寝ていました。
その間、妻とモミィはいろんなところへ行ったとのことでした。
翌日は帰国の日で、大晦日。飛行機の中でも、ぐったりしてました。

そして帰宅して、翌日は元日です。
近くに「休日急病診療所」があって元日でも医師に診てもらうことができました。
検査の結果、インフルエンザだったのですが、
今回はあの時以来の高熱でした。

でも、インフルでもコロナでもなく、まずはホッとした次第です。
それにしても、薬を飲んでいるのにまだ平熱に戻らないし、
喉も痛いのはなんとかならないか、と思います。

おまけに一昨日の夕方からモミィが学校が休みとのことで明日までわが家にいるので、風邪を感染させないように家の中でもマスクをしたりして気を使っています。

ということで、

前回予告しました「オウム真理教とTBS事件」の記事は、風邪が完治したら書こうと思っています。

皆さんも、寒い時期、お体には十分お気を付けくださいね。

 

 

 

 

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中居クン騒動がフジテレビ存続問題に発展

2025年01月27日 | ニュース・時事

前回書いた中居正弘クンの「女性トラブル」に端を発して、いまやフジテレビの存続問題にまで発展していますね。各企業が、フジテレビの番組にCMを出さない、という事態となっています。テレビ局の収入が無くなりますよね。
で、中居クンは、結局、やはり引退をしたんだ。

さて、
特に驚いたのは「月9ドラマ」として今月から放映されている僕の好きな清野菜々さん主演の、
「119 エマージェンシーコール」
というドラマは、119番通報を受け、救急車などの出動を指示する指令管制員を描く物語です。舞台は横浜市消防局で、むろん、同消防局が全面協力しているということですが、この一連の問題で、もしかして横浜市が協力を拒んだ場合には、ドラマの制作を続けるのはむずかしい、という話まで出ているほどです(そうなったらガッカリです)。
とにかく、それほど大きな社会問題となって、今日は4時からフジテレビ幹部の記者会見があるということで、午後からの大半のテレビ局はず~っとその様子を放映していました。

驚いたのは、会見に出ていた一人、フジテレビの副会長の遠藤龍之介という人が、なんとまぁ、遠藤周作の息子さんだったということ。

遠藤周作と言えば、僕は学生時代に、軽妙洒脱なエッセイをどれだけ読んだことやら。この遠藤周作の「狐狸庵先生」と「どくとるまんぼう」の北杜夫のエッセイが大の大の大好きで、それが今の僕の性格にもまだ影響しているのでは、と思ってます。それほど大きな影響を受けた作家です。

会見に出ていて人たちの中では、あの貧相なボケ顏の港浩一という社長に比べて、遠藤さんは表情も穏やかだったし、会見も落ち着いて、好感が持てました。さすが~ 遠藤周作の息子!

ま、それは置いといて、
マスコミは、中居クンの話から、今はフジテレの存続問題の話ばかり。
いったい、中居クンは何をしたのか。
「プライバシー」を盾に、会見では語られません。
でも、ネットでは、被害を受けた女性の名前も写真も出ていますよね。

今後、フジテレビはどうなるのでしょうか?
僕らの大阪では「関西テレビ」ですが、こちらへの影響もどうなんでしょうね。

テレビはどのチャンネルも同じことばかり放映していますが、今日の夕方の会見の模様は、また明日も、朝のモーニングショーから昼、夕方と、ず~っと流し続けるんでしょうね。
でも、フジに限らず、自分のところのテレビ局は、大丈夫なんでしょうかね~


30年以上昔のことですが、「オウム真理教とTBS事件」というのがありました。このとき、TBSテレビ(大阪ではMBS)が大失態を犯し、未曽有の大事件に発展したことがありました。

次回はそのことについて、自分の思い出を交えて書きます。

 

 

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中居正広クンやら吉沢亮クンのことなど

2025年01月19日 | ニュース・時事

元スマップの中居正広クンの「トラブル」は、何だか、どんどん騒動が大きくなってきているようです。

テレビ報道だけでは何が一番問題なのか、よくわからないんですけど、ネットでいろいろ見てみると…
2023年に、中居クンとフジテレビ幹部のAさんという男性と、もう一人、女性の計3人で会食が行われる予定だったのが、Aさんが急に欠席をして中居クンと女性の2人きりとなり、その後、密室内で2人の間に《深刻な問題が発生し、トラブルに発展した》と週刊誌で報じられたのが発端だったようです。

深刻な問題? トラブル? なに、それ?

おそらく「密室内の2人の間に…」と書かれているので、女性が性的な関係を強要された、というようなことなんでしょうか。それで、その後、中居クンは女性側が立てた代理人との話し合いの上で、9千万円の解決金を払って「和解」した、という話でした。

9千万円! げぇ~っ。なんという金額!
その金額にも驚きますね~

で、「和解した」というので、それで解決したかと言うとそうではなく、日々、そのことが大きく報じられるようになり、今はフジテレビまでを巻き込んだ大騒動になっているみたいです。

テレビ局と人気タレントとのつながりというのも、怪しい側面を持っているのかな、と思わせる騒動ですが、それにしても中居クンはこれまで好印象を持たれていたスターで、ファンも数多くいるでしょうに、これで芸能人生命を絶たれてしまうのでしょうか? 気になるところです。

もうひとつは吉沢亮クンの所業です。
2021年の大河ドラマで、主人公の渋沢栄一を演じたのは、まだ記憶に新しいところですが、その吉沢クンが去年の年末、お酒に酔って自宅マンションの隣の部屋に無断で侵入したとして110番通報され、住居侵入の容疑で警察が書類送検したとか何とかという事件を起こしました。

僕も酔って田んぼに滑り落ちたりしましたけど、さすがによその家に間違って入ったことはないですわ。吉沢クンも飲み過ぎたことを後悔しているでしょうね。しかし、その隣の部屋は、鍵がかかっていなかった、ということになりますよね。やはり、ちゃんと鍵は掛けておかないと。

あ、そうそう。そういえば、僕も深夜、酔った時に家に帰り、鍵を開けようとしたのですが、いくら鍵を差し込んでもひねっても、ドアが開かず、1時間ぐらい玄関に立ちっぱなしたことがありましたわ。でも、よその家ではなかったのでよかったです(それでもアホやがな)。

泥酔といえば、これも元スマップのメンバーだった草薙剛クンも、昔、酒に酔って深夜の3時ごろに東京都内の夜間立ち入り禁止の公園に入って、
「バカヤロー」とか「何だぁ」などと大声でわめき散らし、近隣住民が110番通報をしたというニュースがありました。草薙クンはなんと、その時全裸だったので、警察官がかけつけて、「公然わいせつ」の容疑で逮捕しました。
ほんまにねぇ。何をしてるんや。

中居クンの「女性トラブル」のことやら、吉沢クンの「泥酔」の話やらで、元スマップの草薙クンのその「泥酔全裸わめき騒動」を思い出した次第です。

僕もお酒は大好きですけど、最近は「泥酔」するほど飲みません。
ま、「泥酔」するほど飲む元気が、
なくなってきたのかも知れませんけど(笑)。

 

 

 

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阪神淡路大震災から30年

2025年01月16日 | ニュース・時事

1月17日。
忘れられない日です。
あの阪神淡路大震災が起きた日でした。
ここ数日、テレビでも、それに関する特集番組が各局で放送されています。

1995年(平成7年)のことでした。
あれから30年が経ったのですね。

僕たち家族が経験した地震の中でも、最も恐ろしかったのが、あの地震でした。早朝5時台に急にガタガタっと揺れだし、布団にしがみついて、生きた心地がしませんでした。それでも大阪の南部に位置するわが家の地域では、揺れは大きかったですが、それ以上のことはなく、すぐにつけたテレビでも、神戸の様子が映っていましたが、さほどの被害はないような報道でした。

で、その日は普通に勤務先の松原市役所に出勤して普通に仕事をしていたのですが、お昼休みに、職場でテレビを見て、飛び上がるほどの衝撃を受けたのでした。地震で高速道路が崩れ落ち、バスがもう少しで転落する映像など、目を疑うような映像が繰り返し報じられていたのです。

本当に、あの時は驚きました。

そして、その震災で、神戸を中心に6,000人以上の方々が亡くなられています。

今、モミィが住んでいる西宮市もその時に大きな被害を受け、1,000人以上の方々が亡くなられた、とのことです。

あれからもう30年が経ったなんて。
早いなぁ、と思いながら、当時のことが強烈に脳裏に浮かんできます。

このブログでも、何度かこのことを書きました。

それで、今年も阪神淡路大震災に関する記事を載せたいと思います。     

  ………………………………………………………………………


当時から保存していた震災当時の新聞記事です。
 

  
   1995年1月17日(地震当日)の夕刊一面。  

 

  
  同じ1月17日夕刊の社会面。
  高速道路が途中で折れ、バスが落ちかけている写真もありました。
 

  
  翌18日(水)朝刊。
  地震発生から半日が過ぎても燃え続ける神戸市街。


 
  1月18日夕刊。
  激しい地震で家が倒れ、焼け野原になった神戸市街。

  
 
 1月19日(木)朝刊。災害の全貌が、徐々に明らかになってきました。
 写真は、活断層が動き、地表に生じた亀裂が一直線に延びたさま。


 
  1月19日夕刊。
  19日になっても、三宮中心街の高層ビルで火災が発生しました。
  (写真は、煙に包まれる高層ビル)
  救助に当たった自衛隊や機動隊は、生存可能者を優先しました。
  生き埋めになった遺体の捜索・搬出まで手が回らないので、
  それらを、地元住民の手で行なった地域も少なくなかったそうです。

  
 
  1月20日(金)の朝刊。
  写真は、倒壊したビルの中から57時間ぶりに救出された子ども。
  この9歳の男児は、救出の瞬間「まぶしい」とつぶやいたそうです。
  新幹線の新大阪~京都間は、この日から運転が再開されました。


 
  1月21日(土)朝刊。
  当初、震度6と発表されていましたが、気象庁の詳しい調べで、
  神戸の三宮地区と淡路島北部は震度7だったと判定されました。
  僕が生まれた昭和24年に震度階級「7」が設けられて以来、実際に
  震度7が確認されたのは、これが観測史上初めてということでした。
 (16年後の2011年3月、東日本大震災の時の宮城県も震度7でした)
 
  

 
  1月24日(火)朝刊。震災から1週間が経ちました。
  死者はついに5,000人を超えたと報じられました。
  (最終的には6434人が亡くなられたとされています)

…という驚くべき記事の連続でした。

その後、2011年3月11には東日本大震災で1万5千人以上の方々が亡くなられました。 

自然災害は本当に恐ろしい、
ということを改めて感じさせられます。

 

 

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成人の日の華やかな光景

2025年01月13日 | 日常のいろいろなこと

今日13日は「成人の日」だったんですね。
昔は1月15日と決まっていたので、そのイメージがまだ頭の隅に残っています。

それで、いつものように、午後から妻と歩きに出て、約10分程度の場所にある藤井寺市役所前に差し掛かった時、大勢の晴れ着姿が見えたので、
「あ、そうなんや。今日は成人の日やったんやなぁ」と気が付き、
とても華やかな光景だったので、スマホでその様子を撮影しました。

それがこの写真です。今日の午後2時頃でした。

 
  後方の建物が藤井寺市役所です。

いやいや、ホント、華やかでした。

そのあと、駅前のイオンショッピングモールへ歩いて行ったのですが、途中でも、晴れ着姿の女性たちの姿がチラホラ。さらにイオンに入ると、そこのフードコートのテーブルを囲んで、大勢の晴れ着姿の人たちが楽しそうにパンを食べたりラーメンを食べたりして談笑していました。

やっぱり20歳というのは、華やかで、にぎやかですね~

うちのモミィは今年の秋に20歳の誕生日を迎えます。

そして今年は19歳。いよいよ1年後の来年、20歳の成人式を迎えることになります。

今、思い出すのは、モミィが10歳の時に「2分の1成人式」ということで、ドレスや振り袖姿で写真撮影をしてもらった時のことです。

あれから9年が経ち「ほんまもん」の成人式まであと1年となりました。
本当に早いですね~

その当時、スタジオで撮ってもらった懐かしい写真です。

  
  ドレス姿の写真です。

  
  そのあと振り袖姿で撮影をしてもらいました。
  (2015年10月)

20歳ねぇ~

僕にも20歳の時がありました(誰でもあるがな)。

6月から8月まで、75日間をかけて自転車で東日本一周の旅をし、大阪へ帰った後、今の妻と結婚を約束したのが20歳の時でした。
人生の大きな曲がり角の年齢だったとも言えます。

今日の若い人たちの姿を見て、
そんな昔の自分を思い出したりしました。

 

 

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大河ドラマ「べらぼう」と「♪学生時代」と

2025年01月10日 | 思い出すこと

昨年のNHK大河ドラマは「光る君へ」でしたね。
毎週、楽しみに見ていたので、終わっちゃって寂しいです。
紫式部(まひろ)が主人公で、吉高由里子さんにも魅せられました。
(以前も書きましたが、僕は彼女のファンですしね~)

さて、
百人一首は全部暗記している僕ですけど、この時代の人たちは和歌で自分の心境を表すので、ドラマの中にもいくつもの和歌が出ていました。むろん、百人一首に詠まれている歌も出てきました。清少納言とか和泉式部とか藤原ナンチャラの母、とかの歌がね。

でも、主人公の紫式部が百人一首にある和歌を詠うシーンは出てこないなぁ、と思っていたのですが、とうとう最終回に出てきました。

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に、
雲隠れにし 夜半の(よわ)の月かな

思わずテレビの前で「出た!」と叫んだ僕でした。
妻はそんな僕を見て、笑っていました。
妻もこの「光る君へ」が大好きでした。


そして、

今年の大河ドラマは、ご承知のとおり、
「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」
というドラマです。
「蔦重栄華乃夢噺」って、ちょっと読みにくいですけど、
「つたじゅう えいがの ゆめばなし」と読むそうですね。

解説によると…

喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、滝沢馬琴らを見だし、東洲斎写楽を世に送り出したことで知られる“江戸のメディア王”蔦屋重三郎(1750‐1797)。 通称「蔦重(つたじゅう)」の波瀾万丈の生涯を描く。

ということだそうです。

これまでは、戦国時代か幕末を舞台にして人気を博していた大河ドラマですが、前回の平安時代に続き、今回は江戸時代なんですよね。
「明和9年、第10代将軍徳川家治の時代」ということだそうです。

そして、
その第1回目を先日の日曜日に見たんですけど…

吉原の大火事からドラマが始まりました。
そこで主人公の蔦重が、火事で身寄りを亡くした少年と出会うシーンがあります。そして蔦重は、その少年を自分の暮らす吉原に連れて行き、面倒をみてやることになるんですよね。

その少年の名前が「唐丸(からまる)」と言います。

それを見て、僕はビックリ仰天しました。
蔦重の「蔦(つた)」と、唐丸(からまる)です。

そして主人公の蔦重は、後に狂歌、戯作の制作も行い、
その際に、蔦唐丸(つたのからまる)と号した、と言われています。

つたの からまる!

う~~~ん。

僕と同世代の人たちはよく知っていると思いますが、昔、僕が高校から大学へ行った頃に、ペギー葉山の「学生時代」という歌が大ヒットしました。
題が「学生時代」ですから、当時の僕らにピッタリの歌ですよね。

その大ヒットした歌の出だしが、

♪ つたの絡まるチャペルで 祈りを捧げた日~
 夢多かりしあの頃の 想い出をたどれば~

というものだったんですよね。
そうです。
「つたのからまる」なんです。
この大河ドラマでも、蔦唐丸(つたのからまる)ですもんね。
そりゃ、びっくりしましたわ。

そんなことで、今年の大河ドラマが終わるまで、つまりこれから1年間、
毎週日曜日になれば、僕は、
「♪つたの絡まるチャペ~ルで 祈りをささげた日~」
という、懐かしい、ほんとに懐かしい歌を、心の中で口ずさみながらこのドラマを見ていることになるのでは、と、ニンマリしながら思っています。

 

ペギー葉山 学生時代

 

 

 

 

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「年賀カレンダー」が届きました

2025年01月07日 | 日常のいろいろなこと

先日の「年賀状じまい」にも書きましたが、
5年か6年か前から、年賀状を出すのを辞退しています。
でもその後も年賀状を送ってくださる方が少数ですがいらっしゃいます。
今年も15通ほど、いただきました。
また「寒中見舞い」をお返事代わりに出すつもりです。

そんな中で、このブログで何度も登場してもらっているドイロン君から、また「封筒に入った年賀状」をもらいました。
あの「絵手紙の名人」ドイロン君からです。

その封筒の中身は、ドイロン君自作のカレンダーなんですよね。

相変わらず機知に富み、ニコッとさせてくれる手製のカレンダー。

その何ページかを、ご紹介させていただきます。

まず、表紙から。

 

これをめくって行きますと…


 
  まず、目次と1月です。
 「くねくね迷い続けても それが生きてる証拠だよ」と。
  今年は巳年ですもんね。くねくねと行きましょうぜ~

 
  そして6月。
 「いつも何でもいい方向に考えよう」
  って、そのとおりですよね。
  なかなか実行できないけど(ぐすん)。

 
 次に8月。
 「誕生日 今日で年齢 自己ベスト」
 「日々成長してゆく。これ大事」
 おっしゃるとおり、ですね~
 僕も明後日に誕生日を迎えます。
 年齢、自己ベストやで~


そして12月です。

 「ええ塩梅で暮らしましょ」
 「どんなことにも加減は大事やね」

そうですよね。
何年か前に、ももせいずみ さんという方が書かれたエッセイの題名が、
「ほどほど加減の幸せ暮らし」というものでした。
「ほどほど加減」というのは僕の大好きな言葉で、この本は今も枕元に置いて、パラパラとめくって眺めたりしています。


ドイロン君のカレンダーの最後に出てきた「いい塩梅で暮らす」というのは、まさにそのことだろうな~と思いながら、この素敵な新年のプレゼントに改めて感謝した次第です。

…ということで、

今年も「ほどよい加減」で生きていきたいですね。
(誰ですか!「ほろ酔い加減やろ」と言うてるのは?)
うふふ。

では、ドイロン君、ありがとうございました。
これからも、その卓越した感性と技術に、
ますます磨きをかけてくださいね~

 

 

 

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明けましておめでとうございます

2025年01月05日 | 日常のいろいろなこと

皆さま、明けましておめでとうございます。
…と言うには、今日はもう5日なので、ちょっと遅いかなぁ。

でもまぁ、今年初めてのブログなので、しょうがないか(笑)。

早いもので、このブログを始めたのが2007年の12月でした。
あれからもう17年余りが経ち、今年は18年目を迎えます。
このブログの編集画面のデータを見ると、

「ブログ開設から6248日。記事は2342件」とあります。

なので、今日の記事は2343件目、となります。

ま、数のモンダイじゃぁ~ありませんけどね。
でもね~、自分でも、
へぇ~、そんなに年月が経ち、そんなに沢山記事を書いてきたのか~
なんて、思いますよね。ま、数だけで、中身のほうは薄いですけど。
塵も積もれば山となる、ということでしょうね~

さて、
年末・年始の1週間近く、モミィが家にいたので、体調を崩していた妻も忙しくてそれが気になったお正月でしたが、ありがたいことに妻も元気になり、みんなで健やかに過ごすことができました。

モミィは今年から、西宮の塾で、講師のアルバイトをすることになっており、昨日の4日はその打ち合わせで、そちらへ行っていました。

で、僕たちはそのあいだの時間を利用して、妻と2人で初詣に出掛けました。お参りに行く先は毎年同じで、道明寺天満宮です。


  
  道明寺天満宮。昨日はとてもいいお天気でした。


僕自身、去年は心身ともにいろいろなことがありましたが、今年はどんな年になるのだろうかな~と思います。

皆さま方には、良い年でありますことを心から願っています。

 

 

ではでは、
今年もよろしくお付き合いの程、お願い致します。

 

 

 

 

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